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2017年に迎える「周年災害」、気になることは?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:アフロ)

1657年3月2~4日(明暦3年1月18~20日) 明暦の大火

江戸時代最大の被害を出した大火で、1772年明和の大火、1806年文化の大火と共に江戸三大大火の一つに数えられます。死者は10万人を超えたとも言われ、関東大震災や東京大空襲に匹敵します。江戸城や大名屋敷、市街地の大半が焼失しました。江戸は、この大火を契機に都市改造が行われ、御三家の屋敷が江戸城外に転出、武家屋敷・大名屋敷、寺社も移転しました。また、隅田川に両国橋や永代橋などが架けられ、川の東に市街地が拡大しました。防火のため火除地や広小路が作られ、耐火性向上のため土蔵造や瓦屋根が奨励されました。

1677年11月4日(延宝5年10月9日) 延宝地震

延宝房総沖地震とも称されている地震で、福島県から千葉県に大津波が襲いました。マグニチュードは8程度と言われています。半年前の4月13日(延宝5年3月12日) には、三陸沖を襲ったマグニチュード8クラスの地震が発生しています。昨年末、11月22日に福島県沖の地震が、12月28日に茨城県北部の地震が発生しており、房総沖は気になります。

1707年10月28日(宝永4年10月4日)  宝永地震

有史以来最大の南海トラフ地震で、マグニチュードは8.6とも言われています。東海地震と南海地震が同時に発生し、関東から九州までの太平洋岸に津波が押し寄せました。この地震のことについては、尾張藩のお畳み奉行・朝日文左衛門が記した「鸚鵡籠中記」に詳しく記されています。なお、この地震の16時間後には、富士山の近く富士宮でマグニチュード7クラスの地震が発生しています。

1707年12月16日(宝永4年11月23日) 宝永噴火

宝永地震から49日後、富士山が大噴火しました。864年貞観噴火以来の大噴火です。富士山周辺では小田原藩をはじめ壊滅的な被害を受けました。江戸でも数センチの降灰だったようです。新井白石は『折たく柴の記』の中で、「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」と記しています。宝永噴火以降310年間も静かですが、万が一、同様の噴火があれば、首都圏は停電や交通網寸断により大きな影響を受けると予想されます。

1847年5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震

長野盆地の西縁にある活断層が活動したマグニチュード7.4の地震で、弘化地震とも呼ばれています。被害の様子は「信州地震大絵図』(真田宝物館所蔵)に描写されており、長野や新潟に大きな被害をもたらしました。ちょうど善光寺如来の開帳の期間にあたったため、多くの参詣者が訪れており、旅籠が倒壊焼失して多数の犠牲者を出しました。また、あちこちで山崩れがおき、とくに犀川では、虚空蔵山の斜面崩壊による河道閉塞で巨大な堰止め湖ができ、村が水没すると共に、湖が決壊し下流域に大きな浸水被害を与えました。

1917年5月22日 米沢大火

第一世界大戦中に起きた大火で、今年でちょうど100年を迎えます。この火災では3千数百棟もの家屋が焼失しました。年末に起きた糸魚川の火災での焼失棟数約150と比べると、火災の規模が分かります。米沢市では、1919年5月19日にも千棟を超える大火が発生しています。この二つの大火は、関東大震災を除くと、大正時代最悪の大火で、上杉鷹山ゆかりの米沢城下のほとんどが焼失しました。

1917年9月30日 関東大水害

9月30日に東京を襲った台風によって生じた水害で、死者・行方不明者は1300人余にも及びました。台風通過と満潮のタイミングが重なり、東京湾・横浜湾の干拓地・埋立地を高潮が襲ったために大きな被害となりました。その被害の様相は、1959年伊勢湾台風と重なります。とくに、浦安町は全町が水没し、行徳塩田の壊滅により製塩業が途絶えていきました。浦安市では、2011年東日本大震災でも大規模な液状化被害を出しており、沿岸部の干拓地・埋立地の災害危険度の高さを感じます。

1927年3月7日 北丹後地震

京都北部にある郷村断層と山田断層がずれ動き、マグニチュード7.3の地震が起きました。地震による死者は約3000人、全壊家屋は1万棟を超え、大規模火災により約8千棟が焼失しました。1923年関東地震、1925年北但馬地震に続く地震で、この地震の翌週14日には、震災手形の不良債権化に伴う昭和の金融恐慌が起きます。さらに、24日には南京事件も起き、時代が暗くなっていきました。3年後の1930年には北伊豆地震も起きています。

1947年9月15日 カスリーン台風

1947年は、5月3日に日本国憲法が施行され、8月14日には浅間山が爆発しました。そして、9月15日にカスリーン台風(台風9号)が来襲しました。この台風は上陸はしませんでしたが、大雨によって利根川や荒川などが決壊し、死者 1,100名の大きな被害となりました。大都市水害を防ぐための治水事業の重要性が認識される災害でした。

1977年8月7日 有珠山噴火

午前9時12分に有珠山でプリニー式噴火が始まり、翌年まで噴火活動が続き、有珠新山ができました。有珠山では20世紀以降だけでも、1910年、1944年、1977年、2000年と噴火を繰り返しています。1944年の噴火では昭和新山ができました。2000年の噴火では、これらの噴火経験を生かし、噴火を直前に予測することに成功し、火山防災教育の大切さも共有されました。

1977年9月9日 沖永良部台風

日本の陸上における最低気圧を記録した台風です。沖永良部島では、中心気圧907.3ヘクトパスカル、最大瞬間風速60.4m/sを記録しました。風速計の支柱が傾き計測不能となりましたが、最大風速は80m/sとも見積もられています。この台風が、気象庁が命名した最後の台風で、日本初の静止気象衛星「ひまわり」が初めて画像を送ってきたのも台風上陸直前の9月8日12時の可視画像でした。

1987年12月17日 千葉県東方沖地震

11時8分に発生した千葉県の九十九里浜付近の深さ60kmを震源とした地震で、マグニチュード6.7の地震です。千葉県の広範囲で震度5を記録し、死者2名、建物全壊16棟の被害を出しました。関東地方が強く揺れたのは1923年関東地震前後以降50数年ぶりでした。

2007年3月25日 能登半島地震

9時41分過ぎに能登半島沖で発生したマグニチュード6.9の地震です。輪島市や七尾市で震度6強を記録し、被害は死者1人、全壊家屋684棟などで、輪島市門前町などで甚大な被害となりました。

2007年7月16日新潟県中越沖地震

10時13分過ぎに新潟県の中越沖で発生したマグニチュード6.8の地震で、新潟県長岡市、柏崎市、刈羽村、長野県飯綱町で震度 6強を記録しました。被害は、柏崎市を中心に発生し、死者15人、建物全壊1,319棟などとなっています。また、局所的に最大1mの津波を観測しました。能登半島地震も含め、海底活断層の存在が注目されるようになりました。

東京電力柏崎刈羽原子力発電所の3号機変圧器から火災が発生し、原子力発電施設の耐震安全性のあり方について、多くの議論がされました。この教訓を東日本大震災で活かせなかったことは残念でなりません。また、ピストンリングを生産していたリケン柏崎工場が被災し、全国の自動車工場が操業停止し、サプライチェーンの大切さが指摘されました。

この地震については、2004年新潟県中越地震や3月に発生した能登半島地震との関連も指摘されました。過去にも、昨年発生した熊本地震や、1925年北但馬地震・1927年北丹後地震など、近くの活断層で連続して地震が発生している事例も多くありますので、大きな地震が起きた場所の周辺では注意が必要です。

これら過去の災害を思い出し、同じ災害を繰り返さないよう備えを進めていきたいと思います。本年が災害が少ない年であることを祈ります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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