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謝罪なき広島訪問に意味はあるのか?~ケリー国務長官被爆地で献花の是非~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
被爆地・広島で献花するG7外相(写真:ロイター/アフロ)

G7外相会合に出席した各国外相が、人類最初の被爆地・広島を訪問し、広島平和公園で原爆死没者に献花した。併せて外相らは原爆資料館を訪問し、原爆投下の当事国であるアメリカのケリー国務長官は「胸をえぐられるよう」(朝日新聞)と表現した。

が、同日に発表された外相らの「広島宣言」にも、ケリー国務長官の口からも、「原爆投下の加害者であるアメリカによる謝罪」の言葉は一切なかった。果たして謝罪なき広島訪問に意味はあるのだろうか?

・加害者性を決して認めず、謝罪の意志もないケリー国務長官

今回、人類最初の被爆地・広島をアメリカの現職国務長官が訪問し、献花したことは一定程度、評価できる。米国政府関係者としては最も高位にあたる閣僚の被爆地訪問である。だが、ケリーの言葉には「加害者としてのアメリカ」の自覚は皆無である。

ケリーは、中国新聞の取材に対し、以下のように回答している。

(オバマ)大統領は、全世界の核軍縮をすぐに達成することはできないし、ましてや自分が生きている間に実現することはないが、米国には(これに向け)具体的な措置を取り、この国際的な取り組みを主導する特別な道義的責任があると明確に述べている。

出典:中国新聞「ヒロシマ平和メディアセンター」、冒頭括弧内筆者

ここでケリーの言う、「(核兵器なき世界への実現に向けた)特別な道義的責任」とは、明らかに原爆投下の当事者であるアメリカの加害性であることは明白であるが、肝心な「特別な道義的責任」の内容はぼやけ、アメリカによる加害者性を曖昧にしている。

無論その加害者性をあぶりだすためには、原爆投下に対する反省と謝罪が前提となるわけだが、いまだ多くのアメリカ人の歴史観の中では「原爆投下が戦争終結をはやめ、結果的により多くの将兵を救った」とする”俗説”が信じられている手前、「原爆投下の非」を認めることが出来ないため、したがって道義的責任の内容も曖昧なものになっている。

さらにCNN(日本語版)の報道によれば、

しかしケリー長官に同行している国務省高官によると、ケリー長官が今回の広島訪問で米国による核兵器の使用や原爆がもたらした惨状について謝罪する予定はない。

国務省高官は、「米国務長官が謝罪のため広島に来たのかと尋ねられれば、答えはノーだ」「国務長官、そしてすべての米国人と日本人が、これほど多くの我々の国民に降りかかった悲劇に深い悲しみを覚えるかといえば、答えはイエスだ」と語った。

出典:米国務長官、G7で広島初訪問 原爆投下の謝罪はせず

という。ケリーの従者による発言という体でどこまでも曖昧にしているが、「原爆投下への謝罪はしない」という一点張りこそが、アメリカ政府の公式見解であることは変わりない。「悲しんではいるが、謝罪はしない」。被害者側の日本人としては、こんな意思表明は到底承服できない。

「無辜の民間人が虐殺されたという事象については深い悲しみを覚えるが、それについては謝罪しない」と言っているのと同じで、ケリー以外のG7外相はともかく、ケリーの広島訪問に何か有意な「歴史的意味」があるとは思えない。従前からの「原爆投下肯定論」をアメリカが暗に追認しただけ、という風にしか私には解釈できない。

アメリカの国務長官が広島で献花したからといって、”起こったことは悲しいが、起こした本人には責任はない―”という、加害者性を忘れた、アメリカの傲岸不遜な態度に些かも変わりはないのである。

・原爆資料館は本当の原爆の実相を伝えていない

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  • 原爆資料館(広島市)

筆者は90年代後半に初めて広島平和公園を訪れた。その際に、「語り部」として活躍されていた被爆者の女性Kさんから貴重なお話を聞くことが出来た。Kさんは、広島原爆炸裂当時、市内南部の宇品地区在住で市中心部の国民学校に通っていた女児で、爆心地から概ね1キロメートル以内で被曝、地獄を観た。

Kさんの級友はほとんど原爆で全滅している。爾来、Kさんは現在でも健在で、彼女とは年賀状のやりとりや文通をさせて頂いている。被爆者が共通して述べるのは、「原爆は体験したものでしか分からない、阿修羅の世界である」ということだ。

広島にある原爆資料館には、「被爆者の姿」として原爆の熱線で火傷した広島市民の姿が展示されているが、当初は素肌に何の傷もないマネキン人形が展示されていた、という。被爆者による数次に渡る抗議(原爆の悲劇の実相を表現していない、との声)で、だんだんと凄惨な姿に変えられていった。

火傷で皮膚がむけ、ボロ布の様になった被爆者の展示像ですら「実際の原爆はあんなものではない」という。被爆者全員が、そうのように仰る。言葉では到底表現できないのが原爆の地獄である。戦後世代の我々は、この言葉を胸に刻みつけなければならない。

その「被爆再現人形」も、広島市の方針として撤去される可能性がある、という報道がある。由々しき事態である。原爆を実際に体験した当事者たちが高齢化する中、原爆の悲惨な実相は、映画やアニメ、漫画の中での想像力が補う状況になっている。

筆者が広島の原爆資料館を初めて訪れた90年代後半、戦中の広島市のジオラマの上空に原爆炸裂瞬間の赤い火球が垂れ下がっている、特徴的な展示が印象に残っているのを覚えている。

アメリカ軍は当時、広島市内の中心部に位置する相生橋のT字型の恰好を「完璧な照準」と呼称して、原爆投下の目標点とした。実際に原爆が炸裂したのは、相生橋からやや離れた島外科病院上空である。原爆ドーム(旧産業奨励館)が広島原爆の爆心地であると誤解している人がたまにいるが、爆心地は原爆ドームではなく、島外科病院上空約550メートルである。

島外科病院は、入院患者・看護師を含め、もろともすべて、原爆炸裂と同時に消し飛んだ。アメリカが投下した原爆は、純然たる民間病院の真上で、なんの罪も無き無辜の傷病人を数千、数万度という超高温により一瞬にして炭にしたのである(島外科は、現在も遺志を継いだご子孫により同地で営業中)。

アメリカ軍のやったことはそれだけではない。原爆炸裂の瞬間、ひとりでも多くの民間人を殺傷するために、わざわざ原爆投下の従前から、広島市上空にB29単独でのテスト侵入を繰り返していた。「単独行動をするB29は、何もしない」という心理的安心感を広島市民に植え付け、原爆炸裂時にひとりでも多くの市民を殺傷するために採用した「欺瞞工作」である。

実際、1945年8月6日、原爆を搭載したB29「エノラ・ゲイ」号は、テニアンからそのまま四国方面を北上したのち広島に向かうが、空襲警報を鳴らせて市民が防空壕に退避したのでは原爆の殺傷効果が薄れるので、一端広島市を迂回してから、再び広島上空に舞い戻って「リトルボーイ」を投下した。

ひとりでも多くの無辜の日本人を原爆の熱線で殺害するために計画された、用意周到な欺瞞作戦である。この結果、原爆炸裂の瞬間は空襲警報が解除されていたため、多くの広島市民が安心し、防空壕から出て朝の日常生活を始めていた。空襲警報が鳴り、市民が防空壕の中にいたら、広島原爆の死者は、急性放射線障害を考慮したとしても、「万単位」で違っていただろう。アメリカの戦争犯罪の悪質さが読み取れる一端である。

・原爆投下の罪は清められていない

確かに、戦争は一方が悪なのでは当然ない。日本もアメリカに対し真珠湾攻撃をやって、無辜の米軍将兵やハワイ市民を殺傷しているのは紛れもない事実だ。これについては、日本側に相応の謝罪の責任がある。しかし、だからといって、アメリカの原爆投下が許容されるいわれは毛頭ない。

よく、「広島・長崎原爆の被爆者には、アメリカに対する報復感情が無い」ということが語られるが、それは真っ赤なウソである。被爆体験をした語り部の多くは、「被曝体験談を小・中学生に話すときに、アメリカへの敵愾心を煽ったところで詮無きことなので、あえて言わないが、アメリカに対する恨みは、現在も消えない」と言われる。

被爆者の正直な気持ちである。肉親を無残に焼き殺された憎悪の感情は、半世紀を経ても消えるわけがないのは当たり前だ。

実際、数多くの被爆体験記の中には、被爆直後の広島市民の隠せざる感情が表明されている。大火傷で死の淵に居る被爆者が口々に語った末期の言葉は、「この仇を取ってくれ!」「憎き米軍に復讐してくれ!」というものだった、という。

無論、鬼畜米英・打ちてしやまん、の翼賛体制の只中でアメリカに対する敵愾心が燃え広がるのは当然だ。被曝当時、広島市中心部に幽閉されていた米軍捕虜が、8月6日の被曝当日、市民の手によってリンチされて殺害されている絵が、被爆者による述懐として残っている。

この報復感情は時間とともに癒えていったことは想像に難くないが、現在でも当時の地獄を覚えている少なくない被爆者は、心のうちにはアメリカに対する加害者性への追求の気持ちがあるのは間違いはない。

彼らにとってすれば、過去の地獄の記憶の精算とは、ケリー国務長官の広島訪問などでではなく、アメリカの国家元首、つまりアメリカ大統領による広島(と長崎)への直接の謝罪であろう。ただ、それを表立って表明しない思慮深い、物静かな人々が多いだけだ。

・原爆投下肯定論のウソ

よくある、「原爆によって戦争が早く終わった(だから原爆は正しかった)」というのも、ほとんど俗説の域をでない。8月9日、長崎原爆投下のその日、東京では天皇臨席の御前会議が開催されていた。広島に投下された新型爆弾と戦局情勢の分析の目的である。その会議中に長崎にも新型爆弾が投下された、との報告が入ったが、それ以上に政府・大本営首脳を震撼させたのはソ連による対日参戦であった。

半藤一利『ソ連が満州に侵攻した夏』などの類書に詳しいが、当時、日ソ中立条約を結んでいたソ連による条約破棄と対日参戦は、ソ連を仲介して連合国側と講和するという、到底実現が不可能な幻想を抱いていた政府・大本営にとって青天の霹靂であった。

広島原爆については、被爆直後、陸海合同の調査団が空路にて派遣されるのだが、ここでの調査結果には急性放射線障害は軽視され、「防空壕に入っていた者は助かった」「白い服を着ていた者の被害は概ね軽微である」との報告を鵜呑みにした楽観的なものが多く、よって終戦判断に影響を与えたのは、直接的には原爆よりもソ連による対日参戦である。

原爆による深刻な放射線障害やその恐怖が広く認知されるのは、戦後になってからであり、戦争継続を主張する当時の陸軍首脳の多くは、どちらかと言えば「新型爆弾(原爆)恐るるに足らず」という認識であった。よって「原爆によって戦争が早く終わった」というのは正しくなく、日本の戦争を終わらせたのは原爆よりもソ連対日参戦であると観るべきである。

よってアメリカによる「原爆投下肯定論」は、歴史的に振り返っても説得力が乏しいのである。

・原爆投下の謝罪から始まる本当の日米友好

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*爆心地から約2,200メートル、広島市御幸橋西詰、千田町巡査派出所付近(松重美人氏写す、1945年8月6日)

筆者は、アメリカの国家元首(大統領)による広島訪問と、現場投下への公的な謝罪なくして、日米の真の友好なし、と考えている。確かに先の日米戦争には日本側の非(真珠湾)もあるが、その一方で原爆投下という戦争犯罪についての総括は、未だに、公的にはなされていない。

アメリカ国内のリベラル、例えば映画監督のオリバー・ストーン氏などは原爆投下を”アメリカの誤り”であると認めているが、そういった一部のリベラル界隈以外では、まだまだ、アメリカ市民一般の皮膚感覚の中で、原爆という事象そのものが「ちょっと大型の爆弾」というニュアンスの中から抜け出していないし、反省の色もない。

1945年8月6日、中国新聞嘱託のカメラマンであった松重美人(まつしげよしと)氏が残したたった5枚の写真が、広島原爆のその当日の市内の模様を「世界で唯一」記録したネガとなっている。松重氏は爆心地から約2キロ南方にある、広島市の御幸橋西詰の交番派出所付近の模様を写した写真を観る(上)に、涙が溢れてくる。

松重氏自身が、「あまりの酷さにシャッターを切るのを躊躇した」というその写真中央付近には、ピントがずれているものの、熱線でざんばらになった髪の、両腕に何か「黒い物体」を抱えたあるご婦人の姿がしっかりとネガに記録されている。

松重氏によれば、その婦人が抱えていた「黒い物体」とは、彼女の赤ん坊であり、やおら発狂状態で「坊や、坊や、お願いだから返事をして頂戴」と右往左往していたのだという。その赤ちゃんは、おそらく第一撃の原爆の熱線で黒焦げになり即死したのだろう。死んだ赤ん坊の現実を受け入れることが出来ず、ひたすら赤ん坊の名を呼びつづけたのである。その母親も、酷い火傷で恐らく後日死亡したのであろう。

このエピソードを聞いて、アメリカの加害者性をなお疑わない、アメリカによる被爆地への謝罪が必要がない、というのであれは、筆者としては「異常」の感性ように思える。繰り返すように、日本も真珠湾を始め、盧溝橋、上海・満州事変、その他諸々の加害者性はある。それは「東京裁判」でおおむね指摘されたとおりである。だが、何度も繰り返すように、それによってアメリカによる原爆投下は絶対に相殺されない。

ケリーが広島で献花したのは一定程度の評価は与えるが、アメリカが原爆投下の加害者性を深く認め反省し、心からこの非人道性を詫び、二度と再びこのような非人道の行いをしないことを誓い、アメリカの国家元首(大統領)が原爆で殺された無辜の人々の御霊の前に跪き、謝罪するその日を以ってして、筆者は「戦後の終わり」と定義したいのだが、読者諸兄にあっては、どうであろうか。

参考*

『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』(NHK出版)

『なみだのファインダー―広島原爆被災カメラマン松重美人の1945.8.6の記録』(ぎょうせい)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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