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樋口尚文の千夜千本 第78夜「ぼくのおじさん」「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。

すてきな物語のかわし方、二題

山下敦弘監督の作品が『オーバー・フェンス』『ぼくのおじさん』と連続して公開される。よもやこの時代に佐藤泰志と北杜夫(!)を、しかもけっこうな人気キャストで映画化した作品が月がわりで公開されるというのは、いちいちが驚きである。しかし今や佐藤泰志はおろか北杜夫ですらも多くの観客は読んだこともないだろうから、まあ単純にオダギリジョー、松田翔太や松田龍平が主演の青春映画が封切られる、という印象しかもはやないのかもしれない。が、わが世代にとっては、佐藤泰志も北杜夫も本来そうホイホイと映画化できる由もないものなので、まずそこにちゃんと驚いておきたい。

しかし逆にいえば、たとえば往年のATGなどでこれらの原作を思い入れたっぷりに映画化したら、さぞ重たいだけの映画になったかもしれないので、当年とって四十歳の山下監督が格別に原作をおしいただく感じでなく、いつもの飄々泰然とした感覚でこの両原作を料理してくれたことが実は理想的なことではあったかもしれない。まず先に公開される『オーバー・フェンス』は、自分本位で妻(優香)にも愛想を尽かされ家庭を喪失した男(オダギリジョー)が故郷の函館の職業訓練校に通いながら、やる気なく日々をやり過ごしているところに、不思議なキャバクラのホステス(蒼井優)との出会いがあり、彼女との関係にはまってゆく。

オダギリジョーの描き方は一見そんなに癖のあるものではなく、むしろ曲者だらけの職業訓練校にあってはずいぶんましな人物に見える。一方、蒼井優は常に感情的で突飛な、関わるとやっかいそうな雰囲気をよく出している(松居大悟監督『アズミ・ハルコは行方不明』でも然りだが、蒼井優はサイコな恋愛体質を演じさせると比類ないものがある)。だが、本作を観つづけるにつれ、蒼井優を暗に振り回して乱心させているのはオダギリジョーの当たり障りのなさであることが炙り出されてくる。このへんの、言わず語らずして空気感で感じさせる作劇は、山下監督の真骨頂というべきところだろう。

『オーバー・フェンス』はけっこう物語が書き込まれたものなので、えてしてこういう群像劇は個々のキャラクターが段取り芝居になりがちだが、山下監督は大枠の物語はあまりかきまわさず、さまざまな逸話ごとに出張ってくる人物について、そこで都度都度なにがしかのリアルさ、生々しさを湧出させるよう導いている。ここでいうリアルさ、生々しさとは決して現実をコピーするということではなくて、あくまで映画内での存在感や臨場感の謂いであって、山下監督はやってきた企画の物語がこみいっている場合、あるいは原作の物語を尊重しなくてはならないような場合は、無理をして構造は変えず、こうして人物=俳優ごとのエアポケットをそこかしこに穿ってみせる。

このようにいわば物語と合気道的につきあいながら料理する方向の典型が『マイ・バック・ページ』で、逆に物語が人物のけはいを尊重してほどよい単純さにおさまり、本来の山下調が存分に張り出していたのが『リンダ・リンダ・リンダ』『天然コケッコー』『もらとりあむタマ子』といった作品だったように思う(さしずめ山下調全開が『松ケ根乱射事件』か?!)。そういう意味では、『オーバー・フェンス』に次ぐ『ぼくのおじさん』は好対照を描いて、主人公の自称哲学者のおじさん(松田龍平)の設定自体がもう風通しよく山下ワールドを召喚するために書かれているような感じである。

全篇を通して語られるのは、このかなりぐうたらで偏屈な、しかしひたすらマイペースに自由に生きているおじさんが、珍しく恋心からやる気を起こしてハワイまで出かける珍道中記で、学校の作文コンクールの題材として彼を呆れながら観察しているクレバーな甥(大西利空)の視点でおじさんの行状が描かれる。そこで描かれるものといっても些細な日常のズッコケぶりばかりだが、おじさんがどんな人物なのかという横顔には一切ふれられないので、われわれはこの正体不明のキャラクターがいったい何をやらかすのか、興味津々で観つづけることになる。

このぬらーっと木偶人形のように佇立している松田龍平を観ながら、『家族ゲーム』の時の父君・松田優作をつい思い出した。今回のおじさんに勝るとも劣らぬ、特異な個性の家庭教師が中学生の男子を翻弄するという構図も似ているのだが、そういうことよりも何よりも、そのキャラクターの正体不明さと薄さ(すなわち物語の重圧を軽快に免れている)が、このたびのおじさんと同じ波長を感じさせるのだ。『家族ゲーム』の最後の晩餐シーンのカオスでぬーっと立ったノッポの松田優作が伊丹十三を頭突きでダウンさせる、あの生きながらにしてカートゥーンのような薄さ、表面性が、映画の自在さを担保しているのだ。松田龍平のおじさんも、何もせず何も背負わずただ立っているようでいて、そのことによって映画の自由な面白さを呼び寄せるのだ。

そんな次第で『ぼくのおじさん』は単純で素朴な絵本のような作品ながら、映画的な自由さ、豊かさに満ちた快作である。鳴りもの入りのオオゴトな企画で人物が遊ぶ余地が失われがちな邦画にあって、自ら春山ユキオの筆名で脚本化を図り、こうした自由さの空隙を死守した企画を実現した須藤泰司プロデューサーの功績も大きい。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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