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今から24年前、NHLのドラフトで、どうして日本人が初めて指名されたのか?

加藤じろうフリーランススポーツアナウンサー、ライター、放送作家
チェコ代表を率いて長野五輪や世界選手権で優勝したイバン・フリンカヘッドコーチ(写真:ロイター/アフロ)

大会8日目を迎えた夏の高校野球は、履正社高校 vs 横浜高校をはじめ、好カードが目白押しだったとあって、朝から甲子園は超満員。そんな光景を目にすると、「日本の夏の風物詩」だと、あらためて感じさせられます。

一方で、世界のアイスホッケーを見渡すと、(ウインタースポーツですけれど)「夏の風物詩」と呼ぶべき大会があります。

イバン・フリンカ メモリアルカップです。

▼チェコの名将の功績を称える国際大会

上に掲載した写真の男性に見覚えがある方は、いらっしゃいませんか?

チェコの男子代表チームのヘッドコーチ(HC)を務め、長野オリンピックや世界選手権で金メダルを獲得したイバン・フリンカ氏です。

現役時代のフリンカ氏は、チェコ(当時はチェコスロバキア)のトップリーグでFWとして活躍。ポイント王に輝くなどした実績を引っ提げ、晩年にはNHLのバンクーバー カナックスでもプレーをしました。

このような経験に加え、チェコ代表のキャプテンも担ったリーダーシップを買われ、引退後は指導者へ転身。1998年の長野オリンピックと翌年の世界選手権で、祖国を金メダルに導いたあと、NHLのピッツバーグ ペンギンズでもHCを歴任。

しかし、チェコへ戻ったあとの2004年夏、交通事故に遭い、54歳で亡くなられました。

選手、指導者を通じての功績を称えられ、祖国のチェコ アイスホッケー協会はもちろん、国際アイスホッケー連盟からも殿堂入りの栄誉を授かったフリンカ氏。しかし、フリンカ氏の功績への称賛は、それだけに限りません。毎年夏に行われているU18(18歳以下)の国際大会にも受け継がれ、「イバン・フリンカ メモリアルカップ」(以下フリンカ杯)と名付けられました。

26回目となった今年のフリンカ杯は、ホスト国のチェコとスロバキアに加え、ロシア、スウェーデン、フィンランド、スイス、そして北米からやってきたアメリカとカナダを加えた8ヶ国が、8日(現地時間)から熱戦を展開。

昨夜の決勝では、チェコが4-3のスコアでアメリカに勝利して、初めてのチャンピオンに輝きました。

▼大会の歴史は日本から

世界のアイスホッケーファンが注目する「夏の風物詩」は幕を下ろしましたが、歴史を紐解くと、名称こそ変わったものの、この大会は日本で始まったのです。

長野オリンピックを前に、日本アイスホッケー連盟が、男子のジュニア代表候補の強化に着手。「フェニックスカップ」と銘打ち、1991年夏に第1回大会を主催し、カナダ、アメリカ、ロシア(当時はソ連)のU18代表チームを招きました。対して迎え撃つ日本は、レベルの差を考慮してU20代表チームを結成し、真夏の横浜と札幌で試合を行いました。

翌年からは「パシフィックカップ」と名称を改め、東京や釧路などでも試合を組み、1995年まで(1994年を除く)開催。

残念ながら、その後は大会名も改まり、日本で行われることはありませんが、当時は真夏にアイスホッケーが見られるだけでなく、将来のスーパースターたちのプレーを目の当たりにできるとあって、熱心なファンが観戦に訪れ、日本アイスホッケー界の「夏の風物詩」となっていました。

▼観戦に訪れたのは熱心なファンだけではない

(前身のフェニックスカップも含め)パシフィックカップを観戦に訪れたのは、熱心なファンだけではありませんでした。

わざわざ海を越えて、真夏の日本まで足を運んでいたのが、NHLのスカウトたちです。

というのも、パシフィックカップに出場するため来日した顔ぶれには、のちにNHLを沸かせた面々が揃い、、、

日系カナダ人のFWでアナハイムのキャプテンも務めたポール・カリヤ

DFでは実に28年ぶりとなるMVPを受賞したクリス・プロンガー

小柄ながら攻撃の核となり新人賞に輝いたセルゲイ・サムソノフ

などをはじめ、各国のスター選手がズラリ!

それだけに、各チームのスカウトたちが、はるばる日本までやってきたのです。

このような状況の中で、スカウトの目に留まったのが、長野オリンピックなどの国際大会で、日本代表のDFとして活躍した三浦浩幸氏(元コクド)。

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高校3年生(17歳)の時、日本代表のメンバーに選ばれた190cmの長身DFが、スカウトの目に留まり、1992年にモントリオールカナディアンズが、11巡目(全体260番目)ながらドラフト指名。

残念ながら、NHLデビューを飾るまでには至らなかったものの、スカウトたちが集まる国際大会でプレーをしたことによって、「日本人がNHLのドラフトで初めて指名される!」というストーリーが、生まれたのです。

▼注目が集まるステージに立つことができるか?

「NHLのドラフトで、どうして日本人が初めて指名されたのか?」

この質問の答えをたどっていけば、「注目が集まるステージに立つこと」は、一つの明確な回答だと言えるでしょう。しかし、日本の男子代表を取り巻く環境は、年々厳しさを増しています。

極東枠予選の勝者に出場権が設けられていた2004年までは、毎年春に開催される「世界選手権」で、日本はトップ16チームが集うAプール(現トップディビジョン)に参戦していました。しかし、極東枠が廃止されて以降は苦戦を強いられるようになり、今季からディビジョン1グループB(上から三つ目のカテゴリー)へ陥落。

来月はじめには、ピョンチャンオリンピックの出場権を懸けた最終予選に挑みますが、チーム力と個人技に長けたラトビア、ドイツ、オーストリアとのリーグ戦で1位になるのが必須とあっては、ささやかな期待を託すのさえも酷な状況です・・・。

このような流れを食い止めるために、日本のアイスホッケーは、どのような方策をとるべきなのでしょうか?

かつてのように、積極的に海外のトップレベルのチームを招くべきなのか?

それとも、単身で海外に赴いて、厳しい競争に身を投じるべきなのか?

もしくは、次世代の強化に注力するのか?

はたまた、男子よりも国際競争力が高い女子のアイスホッケーに特化するのか?

いずれにしても、時間をかければかけるほど、厳しさは増していくのは間違いないだけに、日本のアイスホッケーの舵取り役を担う人たちの迅速な針路表明が、待ち望まれます。

フリーランススポーツアナウンサー、ライター、放送作家

アイスホッケーをメインに、野球、バスケットボールなど、国内外のスポーツ20競技以上の実況を、20年以上にわたって務めるフリーランスアナウンサー。なかでもアイスホッケーやパラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)では、公式大会のオフィシャルアナウンサーも担当。また、NHL全チームのホームゲームに足を運んで、取材をした経歴を誇る。ライターとしても、1998年から日本リーグ、アジアリーグの公式プログラムに寄稿するなど、アイスホッケーの魅力を伝え続ける。人呼んで、氷上の格闘技の「語りべ」 

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