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介護現場の“虐待”を許し続けていいのだろうか? 

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者: Vacacion

介護士、保育士、看護師……、ヒューマンサービスの現場が、疲弊している。

「高齢者は地方へ移住を!」「待機児童を減らそう!」「自宅看護の充実を!」などなど、一見“良さそうな”方針ばかり政府は打ち出しているが、“今”の現場の声をひとつひとつ丁寧に洗い出し、それらを改善することを最優先させるべきだ。

「介護報酬ができたときは、もうちょっといい金額が出ていたのに、徐々に下がってきていて、減る一方なのかなぁ~」

「介護職が虐待するっていうニュース……あってはならないことだし、絶対あっちゃいけないんだけど……分からなくない瞬間っていうのがある……かなぁって。誰にでも、実はそういう事件を起こしてしまう立場にあるんだなぁって……常に思う」

「介護を必要とされている方の年齢が変わってきている。年代が下がってくると、お金は出してる、だからこれくらいのサービスはしてもらって当たり前って感じがあって。ご家族からも、『どうしてできないの?』というような要望が強い感じはある」

これらは4月から介護報酬が2.27%引き下げられた際に、私が出演させていただいているテレビ番組で特集を組んだときに、現場から出てきたナマの声だ。

改め言うまでもないが、今回の引き下げは2006年(2.4%減)から2回目。前回の引き下げで労働力不足に拍車がかかったにもかかわらず、再び引き下げるという狂気の沙汰を政府は実行した。

介護施設の人権費率は約6割、訪問系介護は7割と大きいため、報酬引き下げはダイレクトに労働力不足に影響を及ぼす。政府は、介護労働者の賃金を月額1万2000円引き上げるとしているが、労働者にちゃんと支払われているかを確かめる手段もなければ、毎月の賃金が上がる代わりにボーナスや手当が減らされて実年収が下がる可能性は高い。

なのに、そんな“愚策”を現場の方たちは実に冷静に受け止めていた。

ホントは、

「もっと賃金上げてよ!」

「介護報酬が下げられると、しわ寄せが現場にくるんだからやめてよ!」

「虐待したくなる気持ちだって、少しだけ分かってよ!」

と、言いたかったのだと思う。ホントはその声なく声が、問題の根底にあるのに、それらは都合よく、そうホントに都合よく置き去りにされている。

そもそも介護サービスとは、「3大介助」といわれる「食事」「排泄」「入浴」だけを提供すればいいサービスである。

ところが、平成15年度(2003年度)介護報酬の見直しの際に、

「個々の利用者のニーズに対応した、満足度の高いサービスが提供されるよう、サービスの質の向上に重点を置く」とし、訪問介護を家事援助から生活援助と改め、自立支援や在宅生活支援の観点を重視し、認知症の症状を軽減するケアを、積極的に導入するようになった。

つまり、サービスを受ける人の「well-being(健康で幸福な状態)」という普遍的なニーズの充足にまでサービス領域は拡大し、介護を要する高齢者の人格や心理も理解する必要が出てきてしまったのだ。

これって……、めちゃくちゃ大変なこと。自分の親のケアでさえ苦労するというのに、どうしろというのだ。私自身、父に“変化”があってから、父親という、80年以上人生を歩んできた“人生の先輩”との向き合い方の難しさを痛感している。よほどの専門的な教育と経験なくして、生活を支援することなどできやしない。

介護や保育などのヒューマンサービスワーカーたちは、究極の感情労働者(emotional labor)だ。

かつて肉体労働者が、自分の手足を機械の一部として働いたように、感情労働者は自分の感情を自分から分離し、感情それ自体をサービスにする。そのためとんでもなくストレスがかかる。

気難しい上司が、全く面白くないジョークを言った場面を想像してほしい。大抵の場合、部下たちは、作り笑いをして面白がるフリをする。ところが上司は、微妙な顔。そこで部下たちは、「これでもか!」と必死で持ち上げ、転がし、「では、私も一句」と川柳を読み上げたりと、上司が心地良い気分になるように演技する。

この演技こそが感情労働である。感情労働者は、常にサービスを受ける人が心地良い時間を過ごせるよう、いかなる状況になっても、自分の感情をコントロールし、冷静に対処しなければならない。

また、同じ感情労働者でも、客室乗務員に代表されるサービス業者が、顧客との短期的で一時的な関係性で成立しているの対し、介護や保育などのケア現場の感情労働者は、顧客(=ケアを受ける人)と長期的・継続的な関係を持たなければならない。同時に、高齢者を持ち上げたり動かしたりと、肉体労働も伴う。

心も身体も酷使される状況下で感情をコントロールするには、特殊な訓練や専門的な知識の習得が必要不可欠。

だが、現状は個人のスキルに委ねられ、隠れた自発的な行為と見なされ、金銭などの経済的報酬も、他者からの尊敬や感謝などの心理的報酬もない。正当な評価が行われているとは言えない状況で、現場の人たちはとてつもなく高い要求を突きつけられているのである。

また、人間は、「そうすべきである」「そうしなければならない」という感情規制に基づいて社会生活を営んでいるわけだが、感情労働者たちのそれはヘビー級に強い。特に、日本人は、ニーズに「+α(プラスアルファ)」を加えた、極めて複雑な感情規制に拘束されがちである。

いわゆる「オ・モ・テ・ナ・シ」だ。

世間では、「介護職の離職=賃金の低さ」という公式で理解されているが、実際には燃え尽き、メンタルが低下した結果、離職している人たちの方が多い。燃え尽き症候群。「バーンアウト」だ。

バーンアウトは、「長時間にわたって人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇を示す症候群」で、介護職に携わる3割以上もの人が、この状態にあると言われている。

私が大学院生のときに、先輩の院生が行った調査で、「上司との関係性が感情の不協和解消 → いいサービスの提供 → 家族からの感謝」、というポジティブな循環がある職場で働く介護職の人たちの職務満足感は高く、自分の仕事に“誇り”を持っていることが確かめられていた。

だが今は、

「過酷な労働環境 → 上司・部下の関係悪化 → サービスの質の低下 → 家族からのクレーム」、という180度逆のネガティブな循環にある。

奇しくも、

「介護職が虐待するっていうニュース……あってはならないことだし、絶対あっちゃいけないんだけど……分からなくない瞬間っていうのがある」

とコメントした方がいたが、これがホンネ。

「燃え尽きますか? それとも虐待しますか?」――。そんな悪魔のささやきと必死で戦っているのだ。

高齢者を虐待したくて、介護職に就く人はいない。もちろん中には、人を人と思わない不届きモノもいるかもしれない。でも、件の介護士さんが打ち明けた通り、「誰にでも、実はそういう事件を起こしてしまう立場にある」ほど、みんな疲弊しきっているのである。

つまり……、もし、質の高いサービスを望むなら、もっともっと介護保険料を国民が負担すべき。それができないのであれば、サービスの質を下げるしかない。

食事、排泄、入浴のニーズに対応するためだけのサービスと割り切り、現状の劣悪な環境を変える。当然、残業はゼロ。1人でも離職者を減らし、1人でも多くの人たちが介護士さんを目指し、1人でも多くの高齢者がケアを受けられ、1人でも多くの家族が自分の仕事と両立できるようにした方がいい。

介護現場は、頑張りすぎた。頑張らないことから、議論し直す。崩壊するよりその方がまし。

だって、このまま質を求め続ければ、介護業界は破綻する。

これ以上の介護現場の方たちへの甘えは、暴力と同じ。崩壊も、虐待も、破綻もイヤ。このままじゃ誰1人、幸せになんかなりやしない。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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