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“死”へのカウントダウンが始まった親が、子に伝えたかった「生きる」意味

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者: Vive la Palestina

子どものときは親が必死にいろいろと教えても、それが“親の教え”であることが分からない。ところが、オトナになり、親と向き合うと見えてくるものがある。

病い、老い。そして、人が人である限り避けて通れない“死”。その死へのカウントダウンが始まったとき、親は子に全力で“大切なこと”を教えてようとしてくれるのかもしれない。

「めちゃくちゃ元気だった父が、ちょっと具合が悪いと病院に行ったら、すい臓癌が見つかって。既に十二指腸と肝臓に転移。余命3カ月と言われたのが昨年の暮れです。結局、頑張って7カ月もちました。でも、この7カ月間で、私は父にいろいろなことを教えてもらった。親っていうのは最後の最後まで、ホント死ぬまで、子どもに大切なことを教えてくれるんですね」

こう語り出したのはフリーランスで働く、40代の女性である。

「よく最後は、気力だとか、気持ちだとかいうでしょ? そのためには目標が必要だって。でも、そのどれもが、私が思っていたようなカタチではなかった。そのなんていうか、モチベーションの正体っていうのかな。それを父が教えてくれたように思っています」

やる気、目標、モチベーション…。生きていくうえでも、働いていくうえでも、上司にとって、組織にとっても常に課題となる心の動き。彼女が見た「モチベーションの正体」とは何だったのか?

「本当に突然の出来事で。でも、あっという間に体力面もメンタル面も変わり果ててしまいました。最初に入院したときなんて、わずか1週間足らずで小さくなっちゃって。

コミュニケーションを取るにも、“パパ”って耳の近くで声をかけてからじゃないとダメ。最初の頃は病気のこと以上に、急速に老いていく父を受け止めるのがしんどかった」

「あるとき、父の背中を拭いてあげようとパジャマをめくったら、驚くほど小さくなっていて。ビックリして涙が出ちゃった。癌が進行していたからか、入院して1週間足らずで急激に体重が減っちゃったんです。でもその背中見てたら、“生きるのは大変なんだぞ。頑張れ!”って言われているような気がしてね。そう、頑張って生きろって。

父のことがあってから、やたらと街で出会う高齢者の方に目が向くようになったんですが、みんな杖ついたり、止まり止まりしながらも、必死で歩いてるでしょ? みんな必死で生きてる。生きてるってホントはものすごく大変なことなんだなって思うようになりました」

「父に大きな変化が起きたのは、2回目の入院です。体内に留置していたステント(癌が大きくなり塞いだ胆管を広げるために入れるステンレスの管)が落下し、危篤状態になってしまったんです。

父は、11月に癌が見つかった後、年末には退院。年明けからは、外来で抗癌剤治療を受けていました。抗癌剤が効いて少し腫瘍が小さくなった。その結果ステントが落下。そのときに胃の動脈を傷つけ、大量出血した。

命は取り留めたものの、3リットル以上の輸血をしたので、激しい貧血で1週間以上意識がもうろうとする状態が続きました。メンタルも体力も著しく低下し、トイレに立つことさえできなくなった」

「ベッドの上の父は、電池の切れたガイコツロボットのようでした。涙が出ました。医師がベッドの横で父の病状を説明してくれたんですが、“あとは本人のやる気”にかけるしかない、と。

すると、もうろうとしていると思っていた父が、“やる気はあります!”ってベッドの中から言ったんです。思わず医師も私も笑っちゃった。だって瀕死の状態で、話しかけてもボーッとしていた父が、そのときだけは、“やる気はあります!”って。この状態でそんなこと言えるんなら、大丈夫だ!って。笑えるでしょ?」

「父はその後、劇的な回復を見せ、2週間で退院となった。家に戻ってからも、ルーティンになっていた起床後のステップアップ(音楽CDに合わせながらやる運動)はわずかな3分しかできなくとも努力していたし、私への朝7時メール(5年前に心臓のバイパス手術をしたときからの決めごとです)、それと母とのお散歩。これだけはちゃんとやっていました。フーフーいいながら、調子いいときは1万歩近く歩いたりして。父が癌であることを忘れてしまうほどでした」

「ただその一方で、メンタルの落ち込みは激しく、なかなか改善しませんでした。ポジティブな感情で溢れていた父が別人になってしまったんです」

そこで彼女は、昔の写真を引っ張り出して。父に話をしてもらうトレーニングを繰り返しやったそうだ。

「ところがやっとメンタルが戻ったところで、再び入院。ひと月前に戻ってしまいました。なので、今度は“同窓会へ出席するぞ!”とか、“温泉に行くぞ!”とか、“ゴルフに行くぞ!”とか、いろいろと目標を掲げる作戦に出ました。

ところが、目標を一緒に決めてもダメ。行ける自信がない、できる自信がない、挙げ句の果てにドタキャンするはで、散々でした。ところが、これまた不思議なことに、“一日6000歩歩く”という目標だけは機能したんです。

朝メールに加えて夜メールを私に送るのを日課にさせていたんですけど、『今日は4000歩。ちょっと足りないなぁ』とか『今日は6000歩。そこそこ頑張りました!』とか書いてくる。痩せてしまって足は私より細くなってるのに、ええ? っていうくらい頑張ってました」

「実は、年末にオジさん(父の弟)が亡くなりまして。お別れに行けなかったので、父は新盆に行きたいって言ってたんです。父は九州出身で、兄妹はみな故郷にいます。なので6月下旬に一泊九州旅行を計画しました。

でも、“絶対に行きたい”とか、“なんとかして兄妹に会いたい!”とか言わない。希望を不安が上回っているようだった。なのでドタキャンできないように、毎日のようにおじちゃんたちに「待ってるよ」とか「楽しみにしてるよ」とか電話してもらって(笑)。

なんとか無事、行けたんです。そのときの父はたくさん笑っていて。たくさんおしゃべりもしていて。パパ、良かったね! よく頑張った!って感じでした」

ところが、帰って3日後くらいから急速に弱っていき、朝メールは『おはよー。今朝は眠くて目が覚めない。今朝もステップアップできなかった』、『眠くて眠くて眠り病みたい。なんかおかしいね』って内容ばかりで、家の中を歩くにも、ヨボヨボするようになった。

「でも、医師に『家で足踏みするだけでも違うから、歩けなくならないようにしなきゃ』って励まされて、『じゃ、頑張りますかっ』って。次の日から3往復階段を昇り降りしてましたよ(苦笑)。ヨボヨボで、後ろから何かあったら受け止めるようにしなきゃ恐いくらいでしたけど、ふーふーいいながら、必死でやっていました」

「その姿を見ていて、やる気とかモチベーションって、実は私たちが思っているようなものじゃないのかもしれない、って。人の内部に潜むマグマみたいなものなのかなぁ、って。マグマだから、外からは決して見えない。マグマは、そうそう簡単に壊れるものでも、なくなるものでもない。モチベーションマグマには、“自立”というエネルギーが含まれていて、うまくいえないんですけど、モチベーションって、自分だけの、自分だけに向けられた価値観のように感じたんです」

「父はリタイヤしてからは、ゴルフが仕事みたいでした(笑)。心臓のバイパス手術をしたときなんて、『ゴルフができないんなら死んだ方がマシだと思った』なんて言ってましたから。癌が見つかるまでは一日2万歩のトレーニング、腹筋背筋50回、打ちっ放し通いが日課で。癌になっても、メンバーの年会費を払って更新してました。

父が実際にどう考えていたのかは分かりません。でも、わずか3分のステップアップも、たった3往復の階段昇降も、ヨボヨボしながらでも努力できたのは、その先に光が見えていたんじゃないか、と。御飯を食べるとか、寝るとか、それと同じくらい、父が欲し、価値を見いだしていること。ちょっとやそっとじゃ壊れることのない、深い欲望みたいなもののように感じたんです」

「父は私が忙しい~! と悲鳴を上げると、『忙しいなんてうれしいことじゃないか!』って必ず励ましてくれた。……なので、『仕事頑張れ! 満足いくキャリアを築け!』って。そのためにどうすればいいのかってことを、自分が必死で歩く姿で教えてくれたと信じています。父が現役時代、どんなマグマで仕事と向き合っていたかを教えてくれればよかったんでしょうけど。それでもやっぱりあんな厳しい状況で、最後までトレーニングをしようとした父は、ナニかを伝えたかったとしか思えないんですよね」

さわやかに彼女はこう話した。癌が見つかったときには、「ステージ4b」という厳しい状況でありながら、癌の痛みが出る前に旅立った父親に安堵するように。

「眠くて眠くて仕方がなかったから。やっと思う存分眠れるようになって、幸せそうな顔してました。会えなくなるのは寂しいけど、良かったと思っています。うん。これが最高の最後だった。良かったんです」

こう笑顔で、自分を納得させるように、何度も繰り返したのである。

「生きるのは大変なんだぞ。頑張れ!」――。

「仕事頑張れ! 満足いくキャリアを築け!」――。

どちらも彼女が、癌と戦う父親を見て、勝手に、そう実に勝手に解釈した。

しんどい状況でも父親のように、踏ん張るために、“マグマ”の存在の大切さを父親は教えてくれたと、彼女は受け止めていた。

どんなたわいもない一言も、何気ない仕草も、子どもにとっては大きな意味と価値を持つことがある。

昨日までの戯言が、人生の言葉となる。それは、母と父の存在の大きさに気付く瞬間であるとともに、オトナになった瞬間だ。

心理学で用いるワーク・モチベーションは、「内的および外的要因から起動・継続する仕事や職務に対する精神的活力で、強さと持続性の2つの次元を持つ」と説明される。まさしくマグマのごとく内部に潜んでいる。

その目に見えないモノが明確になったとき、初めて、人は何をするか?(=Drive)を考え、選択し、具体的な行動(=Behavior)が取れる。

こんな理論をつらつら並べると、“マグマ”を生成する要素があたかも難しいもののように思われるかもしれない。

でも、彼女のお父さんがそうだったように、実際には極めてシンプル。

ゴルフが好き!ゴルフをしたい!ーー。きれいな欲求とでもいうのだろうか。愚直なまでにゴルフが好きだった。他人にはわかりえない価値があった。

そのために、基礎体力が必要なのでトレーニングをしよう(=Drive)。2万歩歩いて、腹筋背筋50回、打ちっ放し通い(=Behavior)をルーティンにしよう。

癌に侵されてからは、Driveを考える体力も気力も失せた。だが、医師の「家で足踏みするだけでもいい」という励ましは、“Behavior”のヒントになった。自分が自分でいるために、必死で必死で、階段を上ったのだ。

私たちも、もっともっとシンプルに、他者のまなざしに頼らず、他者から笑われてしまうようなことであれ、なんであれ、自己の内面的世界を頼りにすればいい。ミドルになった今だからこそ、もっともっとシンプルな羅針盤に従えばいい。

社会的地位とか、他者からの評価とか、他人との競争とか一切関係ない、自らの価値。そこまで自己を切り離して、きれいな欲求を持つ覚悟ができているだろうか。 

「生きるのは大変なんだぞ。でもね、オマエが思っているよりもっとシンプルに、やりたいようにやれば、大変なことも乗り越えるぞ!」

厳しくて、温かい。厳しくて、自由。そんな人生のメッセージを、お父様は伝えたかったのだと思う。

最後に……。

“あの日”の父の夕方のメールには、『ママの監督のもとちゃんと運動した。御飯も全部食べた! 大丈夫だよ』って書いてありました。私はソレを見て、安心しました。数日前から家の中を歩くのもしんどそうで、必死でご飯を食べているような気がしていたので、少しホッとしました。

ところが、夜母から電話があり、父が倒れたと。お風呂に入っていつも通り髪の毛を整え、顔にクリームを塗り、ベッドに行ったと思ったら、ドスンと音がしたので慌てて見に行ったら、父が床に倒れていた、と。すぐに救急車を呼んで病院に向かってもらい、私は車を飛ばし、病院に駆けつけましたが、もう目を開けてくれませんでした。

今もこの原稿を書く横で、父が気持ち良さそうに寝ています。声をかければ、「おう」と起きてきそうな顔で、今にもいびきをかきそうな顔で、です。あと数時間で、この顔を見ることも、触れることもできなくなります。

“40代後半のフリーランスの女性”が、この私的な出来事を、今回はここで書かせていただきました。 人生で大切なことを、ここには書ききれないことをたくさん最後に教えてくれた父に感謝しつつ……。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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