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森岡良介に捧ぐ……「オール10番」に込められたヤクルトナインの思い

菊田康彦フリーランスライター

それは初めて見る光景だった……少なくとも東京ヤクルトスワローズにおいては。

9月28日、ヤクルトにとって今シーズン、本拠地・神宮球場で行う最後のゲーム。試合前の練習に向かう選手の背中には、どれも同じ数字が並んでいた。

2年連続のトリプルスリー達成をほぼ確実にしている山田哲人も、選手会長の川端慎吾も、この日の先発マウンドに上がる石川雅規も、そろって背中には「10」の数字。それは今シーズン限りでの引退を表明し、この日が最後の出場になる森岡良介(32歳)の背番号であった。

試合終了後、森岡はスタンドのファンに挨拶
試合終了後、森岡はスタンドのファンに挨拶

言い出したのは森岡より4歳下の上田剛史だったという。川端が証言する。

「最初、ツヨシ(上田)が白のTシャツを買ってきて、それにマジックペンで『10』って書いて『練習で着ましょうよ』って言ってたんですけど、それはたぶん無理だろうって……(笑)。それで球団に相談したら『緑の(TOKYO燕パワーユニホーム)だったらいいよ』って言ってもらえたので、今日の練習が始まるまでに用意してもらったんです。ただ、数が足りなかったみたいで、他の色だったり、背番号の入ってないユニフォームには『10』って貼ってもらったりしたんですけど」

大半はグリーンだが、中にはネイビー、ホワイトのユニフォームを着ている選手もいる。色は不ぞろいながら、試合前の練習が行われた室内練習場と屋外のコブシ球場は、背番号10で溢れかえった。

「野球の技術もそうですけど、チームの雰囲気を大事にするというか、盛り上げてね。スタメンで出なくても、ベンチでいつも声を張り上げている。そんな印象がありますね」

練習前、森岡についてそう話した真中満監督は、代打での起用を明言していた。午後6時にプレーボールがかかり、出番が巡ってきたのは6回裏。先頭の九番・石川に代わり代打・森岡が告げられると、スタンドはこの日一番の大歓声に包まれた。

「最後は(ヒットを)打ちたいんで、初球からいきたいと思います」

試合前にそう“公約”していたとおり、森岡は横浜DeNAベイスターズの3番手マイク・ザガースキーが投じた初球を打ちにいったものの、結果はセカンドゴロ。現役最終打席を安打で飾ることはできなかった。

それでも川端が「引退は寂しいですけど、いい形で送り出したいですね」と話していたように、スワローズは序盤から劣勢に立たされながらも、粘り強い試合運びで逆転勝利。試合後は、背番号と同じ10回の胴上げで森岡を送り出した。

この日、5試合ぶりに先発マスクをかぶり、打っては4回に同点のソロ本塁打を放った中村悠平は、打席ではいつもの登場曲を封印した。

「ファームの頃からすごくお世話になった方ですし、今日は登場曲に森岡さんが過去に使ってた曲を使わせてもらいました。僕にできることはそれぐらいですけどね。ああいう(全員で10番のユニフォームを着用)のを見ると森岡さんの人柄がわかりますし、ファンの方の声援もすごかったですよね」

通算成績はプロ14年間で出場557試合、290安打、7本塁打、97打点、打率.241。決して「一流」と呼べる数字ではない。だが──。

「試合に出られない時にどうやってチームに貢献するかっていうところで、森岡さんはベンチでも先頭に立って一番声を出している。そういう姿勢はチームにすごくいい影響を与えると思うし、見習わないといけないと思ってます。そう思ってるのは僕だけじゃないですよ」

「オール10番」の言い出しっぺである上田はそう話す。野球というチームスポーツにあって、間違いなくその数字以上に価値のある選手だった。14年間、本当にお疲れ様でした。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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