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いよいよ第2シーズン 大河ファンタジー『精霊の守り人』の脚本家は名作『てるてる家族』も書いていた!

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
メイキング・オブ・大河ファンタジー 精霊の守り人II 悲しき破壊神 洋泉社

'''脚本家のお仕事 大森寿美男(『精霊の守り人』『てるてる家族』など)に聞いた、NO 朝ドラ,NO LIFE

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2016年、早朝、ミュージカル仕立ての朝ドラ『てるてる家族』(03年)が再放送された。使用楽曲の版権の問題でソフト化してない作品だけに、本放送を見ていた人は改めて、見ていなかった人は新鮮な衝撃を受けながらこの凝った作品を楽しんだ。音楽をうまくつかった朝ドラというと『あまちゃん』(13年)が思い浮かぶが、その10年も前に『てるてる家族』のような挑戦が行なわれていたとは。脚本を書いた人は、1月21日からシーズン2がはじまる、大河ファンタジー『精霊の守り人』シリーズを手がけている大森寿美男。『精霊の守り人』は数々の文学賞を受賞している作家・上橋菜穂子の代表作を原作にしたもので、新たなドラマの可能性を切り開く作品だ。チャレンジングな作品に携わり続ける大森さんに、主に『てるてる家族』と『精霊の守り人』の脚本執筆について話を聞いてみた。

『精霊の守り人』の新しさ

ーまず、『精霊の守り人』の脚本はいつぐらいから書き始めていつぐらいに書き終えたのですか?

大森「けっこうかかりましたね……いつだろう、2014年の秋くらいから書き始めて、2015年中に書き終わるつもりでいたんですが、結局今年(取材は2016年の暮れに行った)の春ぐらいまでかかっちゃいましたね」

ー書くうえで何を一番大切にしましたか?

大森「それはやっぱり、全体の準備ですね。『精霊の守り人』は架空の国の物語で、それも人間界と精霊の世界というふたつの世界で成り立っています。これだけ大仕掛けの話なってくると、映像化にあたって、どこまでセッティングできるか、その制限によって脚本も変わります」

ー大作の印象があり、自由になんでもできるのかと勝手に思っていました(笑)。

大森「発想だけだったら自由ですが、制約が見えてくるまでが大変なんですよね。こういうセットは作れる、こういうセットは作れない、というような。やっぱり使えるスタジオも限りがありますからね(笑)」

ードラマの脚本を書くということはただ話をつくるだけではなく、制作事情に合わせることも込みなんですよね。

大森「時代も場所も何もかも架空ですから、自然以外は全部作り込まないといけません。装置や小道具をNHKのストックにあるものから使ったりもできないから、一から全部美術さんが作らなくてはいけないんですよね。だから、原作に書かれた場所をなんでも入れるわけにはいかなくて、どこを残すか、そこから考えないといけないんです」

ー大森さんは『テンペスト』とか大仕掛けなファンタジーを過去に経験されているので慣れているのでは。

大森「『テンペスト』はわりと普通の時代劇的な感じでした。それに首里城という沖縄の観光地になっている場所があって、その外観が全部使えたことが良かったです。もしあれを一から建てないといけないとなったら……まあ、建てるの無理でしょうから、CGで処理しなきゃいけないということになったら大変だったでしょう」

ーでは、他に大仕掛けだった過去の作品は何になりますか。

大森「やっぱり大河と朝ドラでしょうね」

ー朝ドラ『てるてる家族』は毎日歌って踊るお話でしたし、かなり大変だったと思います。そのご苦労等もうかがえたらと思いますが、まずは『精霊〜』の話をうかがいます。16年に放送されたシーズン1は、それこそ空想世界をあれだけ日本のテレビでやれるってすごいと楽しめたんですね。仕掛けももちろんですけれど、しっかりした原作をきちんと咀嚼されて脚本化されていました。

大森「仕掛けももちろん大きいですが、やっぱり人物のリアリティで、どこまで物語の世界をドラマとして見せられるかが勝負でした。できたものを見て、バルサを演じた綾瀬はるかさんのアクションを含めた演技の力が大きいと思いました。書いているときも、綾瀬さんならやってくれるというその一点に賭けました。バルサをいかにかっこよく魅力的に見せるか、それにはアクションに目をつぶっては作れない話で、本人がちゃんと動いて、強い短槍使いを演じてくれないと成立しない。その点ではもう、期待におおいに応えてくださって。見応えのあるものにしてくれたと思っています」

ーシーズン2はどんなふうになるんですか?

大森「シーズン2は、いよいよバルサとチャグムの本格的な旅が始まります。僕はシーズン1を序章と思って書いていて、そこで出会ったふたりが離ればなれになって、それぞれに人生を背負って旅を続けます。チャグムは成長して皇太子となって、バルサの影響で意思をしっかり自分で持ち、これから過酷な障害に立ち向かっていきます。バルサはバルサで今度は少女を守りながら、チャグムと出会った以後の自分を深く見つめてゆきます。そうやって別々に過ごしたふたりが再び出会うまでの話がシーズン2です」

ースケールがいっそう大きくなりそうですね。

大森「シーズン2、3と登場人物も国もどんどん増えていき、世界が広がっていきますが、宗教の問題や差別の問題、政治的な国家間の争いなど、いろんなことが寓話的に語られていく物語になりますので、より共感してもらいやすいストーリーになっていくと思います」

ー我々が生きている今とも重なるところがあると。

大森「物語に描かれる目に見えないものに対する畏怖をもちながらそれと共存する世界とは、現実世界で人間が生きる上でどうしても生まれてくる障害みたいなものと重なると思って書いています。なかなか一言では言えない大事なものがいっぱい詰まっている話で、それをわかりやすく見てもらうにはどうしたらいいかと考えたとき、あまり理詰めで描くのではなく、当たり前の世界の感触が伝わるものにしようと思いました」

ー状況を説明台詞で済ませてしまう脚本ほど残念なものはないですから。

大森「僕もいつも、どこまで説明すべきなのか、考えますよ」

ーそれをどう説明するかが作家さんの才能と思いますが、大森さんはいつもどうしているんですか。

大森「まずは要素を全部書くんですよ。その後、プロデューサーなりディレクターなりと話し合って取捨選択していきます。説明を省くにしても、はじめからないのと、あった上で削るのとでは、プロデューサーや演出家の了解の仕方も違うと思っていて。もちろん、ここは説明しないでやったほうがきっとシーンとして力強くなると思ったら、はじめから書きませんけど。とはいえ、まったくわからなくてもいい、わかる人にだけわかればいい、という考え方ではやっぱりドラマは作れないので、人の意見も大いに頼りにします。最低限のことはちゃんとわからせないといけないという使命感みたいなものは、常に脚本家としてあります」

ーテレビはやっぱりわかりやすさも大事ですよね。

大森「ただ、見る人を信用しないで、ただ単に説明を要求されるとそれには抵抗したくなっちゃいますけどね(笑)」

ー『精霊の守り人』の場合、“見えない世界のこと”が書かれた作品ですから、“見えないけれど感じる”というところも大切にすべきですね。

大森「そこは映像的な演出にかかってくるので、最初に、美術スタッフさんや演出家やプロデューサーと統一したイメージを持つ必要があるんですね」

ーじゃあけっこう打ち合わせを綿密にやるんですか?

大森「イメージハンティングとかシナリオハンティングみたいなことを、演出家やプロデューサー、美術スタッフたちとやって、イメージを共有していきました。例えば、カンバル王国というバルサの生まれた国の参考に、ネパールへ行きました。ヨゴ国の参考には熊野の森をみんなで散策して、“神が宿るような森”のイメージを共有しています」

ー『精霊の守り人シリーズ』はNHKとしても新しいチャレンジのドラマという印象がありますが、朝ドラ、大河、土曜ドラマとNHKのいろんなタイプのドラマをやられている大森さんから見て、どこが違いますか。

大森「朝ドラや大河や土曜ドラマには、一応、“こういう感じのもの”という先行モデルがありますが、『精霊の守り人』はそれがまったくない未知の世界ですよね。ひとつ、“海外の人にも見てもらえるような、日本の壮大なものを作りたい”という前提があって、だから22話という長さなんですよ。海外の市場では10話ぐらいだと短くてビジネスの対象になりにくいそうです。最低でも20本以上ないとダメらしいんですよ」

ー確かに20話以上の連ドラって、日本だと大河と朝ドラくらいしかないですね。

大森「ないですよね。昔は2クール(ワンクールが三ヶ月、10、11話くらい)も当たり前にありましたけど」

ー海外の方の視線を意識してドラマを描いていますか。

大森「いつも国内のドラマを作るときも、どの国の人が見ても伝わる普遍的な人間ドラマをつくりたいと思っていますけれど、今回は逆に日本の文化的なニオイも出していこうとしていますね。精神的な部分でですが」

ー原作との違いはありますか。

大森「ドラマとしては長い22話と言っても、原作が10巻もありますから、原作通りにやったら22話じゃ全然足りない。逆に言うと、今回はどこを絞って描くかみたいな。絞ったものをどうやってドラマとしての独自の世界にしていくかという作業でした。大河ドラマや朝ドラは原作がありましたが、ドラマの話数が長いので膨らます作業が必要になるんです。今回はそれとはまた違う難しさやおもしろさはあります。さっきお話した、バルサの話とチャグムの話は、原作だと別の巻に描かれているもので、それをドラマでは同時進行させて描いているんです。物語の進行も原作の順番通りに出すとは限ってないんです」

てるてる家族はなぜミュージカルになったのか

ー『てるてる家族』も原作ものですが、ミュージカル仕立てはドラマならではですよね。

大森「なかにし礼さんの原作は上下巻で小説としては長いですが、朝ドラにしたら3~5週間もあれば全部終わってしまうような分量でした。それをどうやって25週の長い話にしていくか、みたいな発想だったので、原作にあまり囚われずに書けました」

ーどうしてもシアトリカルなところに目が行ってしまうのですけど、それ以外の親子関係とか、女の子が夢を持って生きていくみたいなところとかもきちんと描かれていました。感情的な面とシアトリカルな面が見事に合致していたという面でもすばらしいドラマだったと思います。でもやっぱりまず、なぜあんなに凝ったミュージカル仕立てに挑んだのか? ということが気になります。

大森「『精霊の守り人』と同じく、朝ドラをやるときには、プロデューサーとかディレクターと最初に何日間も取材をしながら作戦会議をするんですよね。そのときに演出家の高橋陽一郎さんという人が、戦後の昭和をやるのに、まあ、原作が作詞家のなかにし礼さんだし、というのもあったのかもしれないですけど、「当時の流行歌を鼻歌で歌っているうちにそれに伴奏がついて本格的に歌っちゃう、みたいなことをやったらどうか」みたいなことを言って、それで「おもしろい」と。だから最初は鼻歌のつもりだったんですよ。鼻歌で当時の流行歌を入れていこう、みたいな。それがそうなると演出家もどんどん乗ってきちゃって、振り付けの謝珠栄さんを呼んできて、気付いたらなんか本格的なミュージカルシーンになっちゃっている、ということなんですよね(笑)。最初、僕は本当に、「てるてる坊主をぶら下げながら照子が歌い出したら伴奏がついて、次いで仕事しながら春男が同じ歌を口ずさんでいて上司に怒られて、と鼻歌がつながって」みたいな物語として必然性のある(笑)イメージで書いたのが、「急に立ち上がって踊り出しちゃって」みたいな、物語を中断するような歌謡ショー風になっていった(笑)。だから最初は「踊り出す」とか書いてないですよ」

ー曲は毎回大森さんが選んでいたんですか?

大森「そうですね。あとは「これを歌わせたい」ということで演出家がリクエストすることもありましたけど。あの曲を選ぶのがすごく楽しかったんですよね(笑)」

ーどうやって選ばれたんですか?

大森「当時の流行歌をとにかく集めて、書いているときはそれらを流しっぱなしにして、それで、この曲を歌わせたいなと思ったら、その曲を歌う必然性のあるストーリー展開を考えました。そういう意味では歌が発想の助けにもなったんです」

ー逆に歌からドラマが生まれてくるみたいな。

大森「そう。どんな曲を使って、どんなエピソードを作るか、みたいな。あとは資料で、どんな曲が音楽的に流行っていたかも調べて、「ああ、マンボが流行ってたんだ」というとマンボを踊らせたり。そういうところから物語を発想できたのですごい助けになったんですけど……ただ、ミュージカルってやっぱり手間暇かかるんですよ。ただでさえ朝ドラって撮影スケジュール的に過酷なので。レコーディングまでしなきゃいけないし、振り付けも憶えてもらわなくちゃいけないしっていうことで、何週か、10 週ぐらいで「もうしばらくミュージカルシーンはやめてくれ」っていうドクターストップみたいなものがかかったことはありましたけどね。だからある時期からミュージカルシーンは出せなくなったんですよ。その代わり、「マンボが流行ってる」ということで、それでマンボを流して、じゃあマンボに対してドラマとして踊ったりというのを取り入れたりして、音楽的な要素はなくさないように努力はしてきたんですね(笑)。「歌って踊って、みたいなシーンはしばらくやめてくれ」みたいな、やっぱりそういう声が出てくるのは仕方がないと思ってましたから。「もう間に合わない」と(笑)。で、しばらく止めて、「そろそろまたやっていいよ」と復活して(笑)」

ー最終的にはすごくグランドフィナーレみたいな感じで終わられましたもんね。

大森「最終週に向けてまた派手に演出していきたいな、というのもあったから。それに向けて力を蓄えて、みたいなところもありました」

ーあの曲は、DVDにはできないけど、放送はできるということなんですか?

大森「そういうこと考えなかったですね」

ーあれ、惜しいですよね。

大森「ほんとにね。そうとわかってたらもうちょっと選曲に気ぃ使ったんですけどね(笑)」

ーといって、全部使っていい曲を選べました? そんな、150回も(笑)。

大森「(笑)。いや、最初からそういう条件ならね、その中で作るのは全然やぶさかではなかったんですが。まったくそういうことに気ぃ使わずに好きな曲をリクエストしてたので。DVDが出ないというのはちょっと悲しかったですね」

ー二次三次利用とかを考えずにやりたいことをやるのも大事だと思います。最初から、あの曲はソフト化できないからいって、かけたい曲を変えるのも残念なので。

大森「洋楽はやっぱり難しいですよね」

ーそれで似たようなオリジナル曲になってる作品がありますよね。

大森「そうですよね(笑)」

ー今回、再放送でたくさんの人が見ることはできてよかったですね。

大森「変に伝説にというか、幻のみたいになっていましたからね」

ーずっと幻のままのほうがよかったですか?

大森「いやいや(笑)。見てもらえる機会はいくらでもあったほうがいいですよ」

ー『あまちゃん』でちょっとミュージカル仕立てというか、音楽劇仕立ての朝ドラということでみんなが目新しいと思ったわけですが、実はもっと前にもすごい音楽ドラマをやっていたことがたくさんの人に知られたことがよかったと思います。

大森「そうですよね。だから僕、「あまちゃん」が受けたときに「あれ? なんで『てるてる』は社会現象にならなかったんだろう」とちょっと思いました(笑)」

ーやはりそう思いましたか(笑)。

大森「『あまちゃん』が受けるんだったらもうちょっと受けてもよかったんじゃないの? というヒガミ根性はあったりもしますね。逆に『あまちゃん』のあとだったから再放送は受け入れられやすかったのかと、恩恵を受けてたのかもしれないし。わかんないですけどね。でも、どのタイミングで見てもらってもきっと楽しいものになっていると思ってたので。DVDでもいいから見てもらいたかったんですけど、それも叶わないんで。だから本当に再放送がうれしかったですし、自分も10年ぶりに見たら、思ってた以上におもしろかったんで(笑)。作ってるときは本当に不安との戦いだったから、見るにしてもドキドキしながら見てたんで。本当は、何作ってるかわかんないような状態だったわけですよ(笑)」

ー音楽のせいですか? それとも朝ドラという存在が。

大森「まあ、そう……『これでいいのか。こんなことやっていいのか』という思いもありつつ。『受け入れられるのか』っていう不安もありつつでやっていたので。もちろん見て、できあがったものはすごく愛着があったし、『いいものができたな』と思ってたんですけど、どこかで冷静には判断できてなかった気もして。今回の再放送は、本当に何を作ったか、何を書いたかも忘れてたので。いち視聴者として本当に続きが楽しみになっちゃうぐらいのはまりかたを自分でしてしまって(笑)。『ああ、おもしろいものを作ったんだな』ってなんか他人事みたいに思っちゃいましたね、改めて。また出演者がね、今見るとすごく豪華に見えるし、華があって。そういう意味でも今見ると惹かれますよね。みんな立派に今は成長してという嬉しい感慨も僕らにはありますが」

ー昨年、『トットてれび』というミュージカル仕立てになったドラマもあって、再放送と相乗効果になったような(笑)。NHKとして『てるてる家族』の体験があるから、安心してやれるんだなという気にもなりました。

大森「『てるてる』の二番煎じとは言われない自信もあってやってるんだと(笑)。なかったことにされてるのか(笑)」

ーいやいや(笑)。

大森「だから、本当にうれしかったです、今回の再放送は。見ておもしろいと言ってもらえるのもすごくうれしくて。こんなにその喜びを強く実感する作品もないですよ」

ー歌でいうと、上原多香子さんが劇中でいしだあゆみさんのヒットナンバーを歌いますが、そこにいしだあゆみさんが出てきて、人生の奥深さのある歌と、未だない歌という差を描いたエピソードが本当に面白くて。あれは大森さんのアイデアですか?

大森「ああいうところは、今回再放送見て思いましたけど、リアルタイムで見るよりも、今ちょっと間を開けて見るとちゃんとそういう“ドラマとしてやりたかった意図”みたいなものが伝わりやすいな、というね。実際その時期でやると、すごく作為的に見えちゃうじゃないですか。いしだあゆみさんに出てもらって、本人に出てもらって歌わせてっていう。話題作り的に見られると思って作ってはいないですけれど、どこかでやっぱり、『じゃあ、出てもらうならどうやってやろうか』『どうやってやるのがインパクトあるか』みたいなことも考えながらつくっている部分もあると思うので。どこかで邪念があるというか。その中でちゃんと物語として成立するように、と書いてるんですけども。だから時間をおいて見ると邪念が全部払われて、純粋にドラマとしておもしろい構造になってるな、と思えたので。あれはさすがだなと思いましたね。自分がじゃなくて、いしだあゆみさんが(笑)。いしだあゆみさんも、さすがにそういうことを理解されて、物語として自分がどうやるべきかというのを理解されてやっているなという。そういうことがね、本当に作っているときって、自分でわかっているつもりでもわかってないんですよね」

ーやっぱり本人にあの曲を歌わせたかったんですか?

大森「やっぱり、遊び心みたいなものもどこかであるわけですよ。『せっかく出てもらうんだから歌わせたいよな」という。物語として必然っていうよりは、「あゆみさんが出てくださるんであれば、せっかくだからちょっと聞きたいな」っていうね。その作為を消化したつもりでも、当時は生々しく自分に感じてしまって』

ーもちろん、なかにし礼さんの原作で、ご家族であるいしだあゆみさんの物語であるわけですが、いしださんが登場したことで、SF的というかパラレルワールドになっている感じがして面白かったです。

大森「完全にパラレルワールドですね、あのドラマは」

ーそういう仕掛けだけでなく、ちゃんと家族の物語が描かれていたのが、作家の力だなと思います。

大森「ある意味理想郷じゃないですけど、どこかで理想を書いてたような気がするんですよね。あのね、コミュニティとして近所とか家族とかが、みんなで助け合ってっていうかね、“触れ合って生きている”みたいなことのユートピアじゃないと思ってるんですよ。あの時代で、やっぱり「個」を描きたかったんですね。個の、夢を見ることの孤独みたいなことも根底にあって、これからますます個の時代になっていくという、その過程の高度成長期の話で。その個はどうやって周りの人とつながって、「こういう世界で夢を追いかけられたらいいよね」という理想をどこかで僕は追ってたような気がするんですよ。だから、あの四姉妹にしてもみんな孤立した姉妹だと思ってるんですね。あの家族も、みんなそれぞれの目的を持った個性が寄り集まってて、互いに個を尊重しながらどこかで一緒に生きている、という家族を描いていたような。それが自分のなんとなく思い描いている家族の理想だった気がするんですね。体験じゃなくて」

ードラマから13年が経っているんですけども、大森さんの中で家族の理想像というのは変わられましたか?

大森「いや、変わらないですね。なかなかこんなふうにね、家族は仲良く……仲良くというか寄り添って生きられないとは思うんですよ。もうちょっと複雑にね、いろんな感情がわき出ると思うんです。「普遍的にこういう風に、人と人がつながっていられたらいいよね」ということの、ある意味今の自分の理想を、昭和30年代40年代という、ある意味、日本の青春期みたいなね、そういうものに重ねて書いていたような気がしますね」

ーそう思うと、そこが日本にとって一番いい時代なのかなという気がしてきます。

大森「書き終わった後で、誰かに、たぶん四姉妹の長女を演じた紺野まひるさんに言われたと思うんですけど、『四姉妹って一回もケンカのシーンがなかったよね』 って。それ、言われるまで僕は気付かなくて。『あ、そうだな』と。普通、四姉妹が集まっててケンカしないなんてあり得ないんだけど、どこかで無意識にそういうドロドロした感情を避けてたような気がしましたね」

ーどうしても、いまのドラマはそういうドロドロをちょっと入れようとしてしまいますけど。

大森「やっぱり実際の姉妹間にはそういうものもいっぱいあったような感じはするんですけどね(笑)。意識的にそういうのを排してたんじゃないかなと思いましたね。いい時代だったからというのではなくて」

ーそれは「朝ドラだからドロドロはやめよう」ということですか?

大森「別に朝ドラだから、という理由ではないですね。僕が男だから、姉妹のそういうところは見たくない、リアルに描けないというのはあったかもしれないけど(笑)」

ーその一方で夫婦間には浮気のエピソードがあって、でもあんまりイヤな感じがせずおもしろく見られたのが興味深かったです。

大森「あれは原作にある要素だったんで、それは避けて通れないなと。それをある意味『てるてる』ワールド的な、要するに、それまで作ってきた世界の中でどうやって見せるか、ということは気を使いました」

ー原作だから入れなくてはいけなかったと。

大森「原作というか、まあ史実ですよね。『そういうことがあったんだろうな』という。そういう要素も消化していかないといけないと思ってたんで」

ーさすがですね(笑)。

大森「いやいや。できあがってる世界もあったんでね。そういう浮気の話をやるタイミングが来たときに。いきなり浮気の話をドロドロっとして入れたらね、せっかく今まで作ってきた世界が壊れてしまうだろう、という。演出家も出演者も、そのころにはもう、どういう世界でこのドラマは成立しているか、というのが十分わかっていたので、ああいう描き方ができたんだと思います」

ー朝ドラだからできること、できないこと、という制約はあるんですか?

大森「『てるてる家族』に関しては、もちろん制約はあって、それを考慮しながら作ってたんですけど、よくやったなあって、いまは本当にそう思います。僕は、実を言えば、過去、朝ドラをまともに見たことがなかったので、いわゆる“朝ドラのフォーマット”みたいなのを知らなかったわけですよ。なので、“本ヒロインが最初の2ヶ月近く出ない”みたいなことを、よくプロデューサーはあのとき決断したなと思うんですね。僕は別にそんなことは当たり前だと思ってやってたので。この話をやるにあたって、僕は、時代の変遷みたいなものを描きたいと思っていたんです。特に昭和30年代前半をしっかり描いて、そこからどう変わっていったみたいなことを。ただ、モデルがいるから、紅白に出る時期とかオリンピックに出る時期外せない。そうなると必然的に子ども時代の話が主になってしまったんです。別に、あえて、主人公の子役時代を長く描きたいということを最初に志として打ち出したわけでもなく。その時代を描くのには必然的に子役時代が長くなってしまった、というだけなんです。そういうことを、朝ドラという世界を熟知しているNHKの人たちがよく許してくれたな、というのはありますね。許したというより、プロデューサーはよくそういうもので決断したな、と思います」

ー10年ぐらい前の朝ドラは、ちょうどチャレンジの時期だったというようなこともどこかで聞いたことがあって。

大森「あ、ほんとですか」

ーだからその挑戦が実ってきた時期に『あまちゃん』が満を持して出たということなのかなと。朝ドラには厳しいルールがあるに違いないって勝手な想像してしまうのですが(笑)、あまり厳しいなという感じではなかった。

大森「なかったですね。ただおもしろいルールは感じたかな……なんかこう、最初に打ち合わせをしてて、『じゃあヒロインの恋人はどういう人にしようか』『幼なじみからどういう人にしようか』『じゃあ、それに対抗するライバルはどういう人にしようか』みたいな流れがあって、『もうそれは出すって決まってるんですか?』って聞いたら、『朝ドラはこういうの出すって決まってるんだよ』って演出家の人が(笑)」

ーああ、そういうのはあるんですね(笑)。

大森「それはびっくりしましたね」

ーヒロインと、恋人と(笑)。

大森「『対抗馬を誰にしようか』みたいな(笑)」

ー必ず出てくるんですね(笑)。それを押さえておけばあとは大丈夫なんですか?

大森「あとは後半で、“ヒロインが三つ指ついて『長い間お世話になりました』って言うシーン”を必ず入れる」

ーそうなんですか(笑)。家族から旅立っていくという。

大森「嫁ぎのシーンは必須だって言われて。『てるてる家族』には四姉妹いたんで長女にそれを託したんですけど(笑)」

ー嫁ぎのシーンは必須なんですね(笑)。おもしろいですね(笑)。

大森「「幼なじみからの恋人」と「フラれるライバル」と「長い間お世話になりました」っていう、この3つは必ず入れると朝ドラになる」

ー幼なじみの恋人じゃないといけないんですか?(笑)

大森「なぜでしょうねえ?(笑)」

ーそこは決まってるんだなあ(笑)。

大森「まあ、最近はそんなになかったりするでしょうけどね。その当時は。いや、“その演出家は”ということかもしれないですけど」

ー「女の子の生き方みたいなものを当然描かなければいけない」というのが朝ドラなんですか? 

大森「そうなんでしょうね。『女の一代記』というのが普通に考えれば朝ドラのあれなんで。だから今回も『本当は照子さん(浅野ゆう子が演じた)の話をやるべきじゃないか?』という話が出たんですよ。ヒロインは照子さんに絞って、彼女の少女期からはじめて、成長してオリンピック選手と有名な歌手を育てていく話が普通の発想で、当時の上層部からもそういう意見は出たらしいんですけどね。でも、それだと僕が一番描きたい戦後の昭和の元気な時代がメインにならず、大正時代からの話になってしまう。それはちょっと描きたいことと違うな、というのがあって、家族全員が主人公の話にしたいなと。あえてヒロインを選ぶなら、小説ではあんまり目立たない、何かをやったという偉業が描かれてない、下の姉妹二人のうちの誰かにしたいな、というのが最初の発想でした」

ーオリンピックと紅白は当時の日本人にとっては最高のステイタスなんでしょうか。

大森「そうですね」

ー日本人にとってのアイデンティティである「オリンピック選手と紅白歌合戦の歌手」そのふたつを子供に果たさせたのってすごいことですね。

大森「それが戦後の復興みたいなものと重なっているのでしょうね。当然、紅白は戦前にはないですからね」

ーそれこそ歌手のかたは「紅白に出て親を喜ばせられた」みたいなことを必ず言う。目標ができたから、国民みんながんばれてよかったですね(笑)。

大森「ほんとですよね」

ーいま、そういうものがあるでしょうか。

大森「ないんじゃないですかね。そんな、希望に向かっていくような実感がまったくないでしょうね」

ー『てるてる家族』で大森さんが昭和初期の戦後の復興期以降、高度成長期以降を描いていたから、松尾スズキさんが主演した岡本太郎のドラマ『土曜ドラマ「TAROの塔」』(11年)に書かれたのですか。

大森「あれはまた全然別の発想ですね。あれは『岡本太郎生誕100年に向けて、岡本太郎のドラマを』という話でしたし、あの人を時代の象徴なんて発想では描けないですね」

ーーなんか昭和に強いんだな、という感じが勝手に(笑)。

大森「いやいや(笑)」

ーすごく調べられたんでしょうね。

大森「うーん、でも……どっかに昭和って染みついているでしょう? 僕らって」

ー昭和生まれですもんね。大森さんは40年代生まれで。

大森「そうですそうです。だから、自分の知らない、前の30年代とかの昭和の文化みたいなものに対する憧れみたいなものは普通に持ってましたよね。映画にしてもスポーツにしても、長嶋茂雄に代表されるような、夢みたいな憧れみたいなものは、普通に僕らの世代にはあるんじゃないですかね。調べるのも楽しいし、想像するのも楽しいし。そうすると、つい良いことばっかりに、映画『ALWAYS三丁目の夕日』(05年)じゃないけども、良いことばっかりあったような錯覚してしまうけども、そんな中でも苦しいことも、当然資料を見てれば出てくるし。貧富の差の拡大や、それこそ『こんなことは二度と繰り返しちゃいけない』みたいなことや、公害の問題など、そういう影の歴史でもあったんですよね」

ー光化学スモッグとか、水俣の問題などもありました。

大森「そうそう。今では考えられないような人災もいっぱいありましたよね」

ーそういうディープなことは書いちゃダメなんでしょうね。

大森「でも、まあ、書き方ですよね(笑)。あんまり正面からそういう問題を取り上げると、なんか余計なお世話みたいな(笑)。でも、そういうにおいも出したいなというのもあったので。やっぱり、豊かで夢に向かっていくだけじゃなく、そういうものを和人(錦戸亮)の人生などに重ねながらにおいを出していければな、というのもありましたね」

ー社会問題まんまを出すのではなく、ちゃんとわかった上でくるみながら描いていくというところにきっと朝ドラを書く醍醐味があるのかなと。

大森「そうですね。とっても脳天気なドラマに思われましたけども。当時から(笑)。でも、ちゃんとそういう時代のリアリティみたいなものは出そうと努力はしてたんですよね」

朝ドラってなんだ?

ー例えば、戦争についてもっとちゃんと書いてという意見と、具体的に書いたら見たくないという意見など様々なようですが。

大森「最近は、戦中戦後の話が多いのかな」

ー朝ドラ、最近はご覧になっているんですか?

大森「脚本を書いてからは見るようになりました。悪くはないんですけどね、描く題材としては。ただ、続くとね。『また闇市のシーンが続くのか』という意見も出てしまう。そういう意味では、企画の立て方からつくり方から、前後の作品を見ながらつくったほうがいいのかもしれないですね」

ーお書きになったときは、あんまり見ることのなかった朝ドラをちょっと研究はされたんですか?

大森「研究はしないですね。まあ、全話を通して見たというのはなかなかなかったですけど、まったく見たことがなかったわけではなかったので」

ー印象に残っている朝ドラってありますか?

大森「やっぱり僕らの世代だと『おしん』とかになっちゃうんじゃないですか?(笑)」

ー『おしん』のどこが優れていたと思いますか?

大森「それも断片的にしか見てなかったんですよ。たぶん、夏休みに見ていた記憶です。ふだんは学校に行くから見られなかったですよ」

ー意外と、子どもは見てなくて、主婦が見てるだけなのかもしれないですね(笑)。

大森「そうですね。今は7時代にBSでやるから見られるかもしれない」

ー確かに私も夏休みには見ていた気がします。

大森「“子どもが見るものではない”という認識がありましたよね」

ー主婦のためのものなんですよねたぶん。「主婦が対象ですよ」みたいなことは言われるんですか。

大森「まあ……言わずもがな、みたいなところがあったんじゃないですか?(笑)」

ー大森さんは主婦を対象にして書かれていた、という感じでよろしかったでしょうか?(笑)

大森「まあ、“誰が見てもおもしろいもの”というふうに思いますけどね。いつもね。」

ーそれが結果的によかったりしますよね。誰かにおもねらないほうが、というか。

大森「そうですね、おもねる……まあ、難しいですよね。だってわかんないですもん、どういうものを求めてるのかって。主婦だっていろんな主婦がいますからね」

ー昼ドラのヒットは、“ドロドロが好きな主婦”に絞ったわけですよね。

大森「そういうふうですよね」

ーテレビドラマをつくるのは本当にいつも大変だな、と思って見ています。

大森「わかんないのに、わかるようなふりをしてつくらないといけない、みたいなところがありますよね。誰に見せるかというところに関して」

ー一応企画書に「何歳」とか「F3」とか、そういう一定の層を目指す、とか書いてあります。

大森「僕らは『誰に見せようと思って作ったドラマなんだ』ということをよく言われるんですけども」

ーでも大森さんとしては「誰もが見て楽しい」というところに行きたいということですよね。

大森「ですよね。『これをおもしろいと思う人はどの世代にもいるはずだ』と思って作りますけどね」

ーそうですよね。例えば絵本でも、「子ども向け」と言ってもずっと大人も読んで長く残る本とかありますもんね。

大森「僕らも山田太一さんとか倉本聰さんのドラマにはまったのって小学生や中学生のときですから。山田太一さんのドラマがおじさんのものってわけでもないし、朝ドラがおばさんのものってわけでもないですよ。だから、『いいものはどの世代にも刺さるはずだ』と思ってつくっています」

ー確かに、子どものころにおじいちゃんが見ていた大人のドラマを見て、具体的には何もわかってないんだけど、「なんかこの鶴田浩二って人すごい」みたいな感じで見てましたね。

大森「逆に、いまはそういう“大人の世界”という感覚でドラマを誰も見てないのかなという気はしますけどね」

ー作家さんが命を削って書いていたものだったから、未知の“大人の世界”にも心惹かれた。最近は、作家の作品というよりは、ターゲットを決めた商品的な感じでつくっている印象です。

大森'「それはあるでしょうね。一人の作家に委ねるということもないと思うし。これからますますチームワークの世界になると思うんですよね。映像技術もこれだけ発達してきて、ただ誰が撮ってもいいというわけにはいかなくなってくるだろうし、ただ映像センスだけを見せるのにも限界があると思うので。やはりチームで、美術スタッフも含め、いいチームでいい志を持ったときにいいものができあがっていく時代になっていくんじゃないかなという。ある意味では誰の手柄かわからないもの。まあ、そこの中で、いろんな分野で才能が生まれてくればいいと思うんですけど」

ー外国のドラマなんかはそれで成功しています。

大森「そう、そういうことじゃないですか。出演者も含めて“いまはこういう世界をつくっていく”という、チームで意思を固められたところがいいものをつくっていけるような気がしますけどね」

ー私も、作品の取材をするときに、いろんなスタッフの方の取材をやってきたんですけど、やっぱり最近特に打ち出し方として、「チーム的に取材をして」「あの人もこの人も取材をして」ということが増えてきているような気がしていて。で、お話するときも「あの人がこういうことをしてくれた。この人がこういう仕事をして」ということを必ずみんながしゃべるようになってきているので。意識がそういうところに向いているのかな、という印象はありますね。

大森「と、思いますね。脚本家も『おもしろいホンがあれば誰が撮ってもおもしろくなる』と言い切れないんじゃないですかね、もう。『あまちゃん』にしたって、やっぱり宮藤さんの才能というのはもちろん前提にあるけども、演出家なり撮影スタッフなりが力や個性を発揮してああいうひとつの世界観ができあがっていくという。それをまとめるプロデューサーのセンスと眼力もなくてはいけないし。だから、願わくばそういうチームが集まったときに、企画を通すために、持ってきた原作を前にして『これをみんなでどうしようか』という話よりも、原作もない時点で、まだ何もないところから『じゃあ次にこういうドラマを作ったらどうだろうか』という発想で作っていけたらいいな、というのが理想ですけど。“ゼロから人が集まって何かを生んでいく”というのが、もっとできればいいなと思ってるんです、みんな。以前、『悪夢ちゃん』(12年)というドラマをやったんですけど、ああいうのもゼロからプロデューサーと集まって、どういうものを作ろうかという発想から、本当に雑談みたいなところからドラマの世界を話し合って、作家の恩田陸さんを巻き込んだりして、ひとつの企画書を一緒に作っていくみたいな感覚でできたので、ああいうつくり方がこれからの理想かなと僕は思います」

ー『精霊の守人』も、原作ものではありますけど、チームで作ったいいドラマっていうことになりますかね。

大森「まあ、オリジナルじゃなくてもね。原作があっても、ひとつの志の中で結束できればおもしろいと思うので。今は、原作ものの『半沢直樹』(13年)にしても全然予兆がなく、突然変異のように生まれてきたドラマじゃないですか。流れの中で生まれてきたものじゃないですよね。医療ものとか事件ものというのは普通にありますけど、他はホームドラマにしても恋愛ものにしても、いまは流れもなにもないですからね。突然どんなおもしろいものが、変わったものが生まれてくるのかというのは予測がつかない」

ー確かに『逃げ恥』(逃げるは恥だが役に立つ/16年)が大ヒットしましたね。医療ものでも刑事ものでもなかったのに。

大森「あれだってどういう流れの中で生まれてきたのかまったく読めないというか。まあ、たまたまおもしろい原作と出会って『これやろう』と思ったのかもしれないですけど、それでもドラマのあり方としては、原作の再現よりも一歩踏み込んだ、新しいものを作るきっかけになれば、それでいいと思いますね」

ーじゃあ、まだドラマも悲観したものでもなくて。まあ、総合視聴率とかも出てきて、録画で見られていておもしろい作品ということも可視化されてきたので、新しい流れではありますね。

大森「そうですね。やっぱり視聴率だけの物差しだと、みんなこれからも予測で縛られていくと思うんですよね。発想がね」

ー2017年は、ドラマがちょっと変わっていったらおもしろいと思うんですけども。朝ドラも変わっていくんでしょうか?

大森「どうなんですかね?(笑) 変わっていくんじゃないですかね、わからないですけどね」

ー変わるまでもないのかな、延々あれをやり続けるというか(笑)。

大森「逆にね、今は受けちゃっているじゃないですか、朝ドラって。だから、それで変に保守的になってほしくないなと。この路線を守りに入ってしまうとすぐに飽きられてしまうだろうから。チャレンジするなら今がチャンスだと、思いますけど、俺が言うのは余計なお世話ですよね。俺が言うことじゃないし考えることでもないですけど(笑)」

ーいえいえ(笑)。朝ドラってなんだと思いますか?

大森「朝ドラって、やっぱりあんな放送形態はそうそうないですから、枠だけ考えれば無限の可能性があると思う。“朝ドラらしさ”みたいなものを考えなければいろんなことができると思うんですけどね。毎日見る人の日常に入っていける、というのはなかなかないことです。朝ドラを作ってみて、一番良かったのは、半年間ぐらい毎日自分の作ったものが目に触れることでした。書くときも、ずっとひとつの作品のことだけを考えて1年ぐらいを過ごします。それって、ひとつのある場所で、ある期間生きた、体験したことのように思うんですよね」

ーそうですね、見てるほうも体験になります。

大森「そう。見るほうも、見続けたことによって『朝ドラの主題歌を聞くとその時代に戻っちゃう』みたいなことってあるじゃないですか。そういう視聴者への時間の入り方っていう、すごくまれな枠だと思うので。いろんなドラマがあっていいと思うんですけどね。その枠というか長さを利用したいろいろなドラマが生まれるといいと思います。まあ、すぐには変わらないでしょうけどね」

ーいま、これだけ注目されちゃうと逆にやれないのかもしれない。

大森「『女の一代記』にこだわらなくてもいいと思うんですけどね。『男の一代記』をやったっていい。ということで『マッサン』が生まれたのでしょうけれど」

ーあれも実験だったってことですね。「久々に男の人にしてみよう」という。

大森「主人公をひとりにすることもないですしね。群像……まあ、誰を主人公にしても群像的には描かざるを得ないのかもしれないでしょうけど、“ヒロインをひとり立てて”というような描き方にこだわるような必要はないだろうしね。本来なら」

ー大河ドラマは「男の一代記」なんですか?

大森「まあ、そういうところもあるのかもしれないですよね。一代記っていうか……どっちかっていったら“男の群像”。まあ、女性の大河も今は普通に主流になってきてますけどね」

ーどっちが難しかったですか? 朝ドラと大河ドラマ。

大森「どっちでしょうねえ……いや、両方難しいですけど。でも、大河は朝ドラをやった後だったので、長さ的な点では覚悟は決まってましたよね、やる前にね。『いろんな大変なことが待ってる』という覚悟はできましたけども(笑)。朝ドラは本当にどんなに大変かがわからなかったので。でも、それぞれに大変さはあると思うし、まったく違うものだと思いますけども。両方ともやっぱり、“長いものをやる”というのはドラマをつくるひとつの醍醐味だと思いますね。映画じゃ絶対できないことですから。これだけの長い間、同じ人間を描いたりすることは」

ーさっきのオリンピックと紅白じゃないですけど、朝ドラも大河もどっちもやられた大森さんはすごいですね。

大森「さらにファンタジー大河もやって(笑)」

ー大森さんすごいですよ。

大森「いやいや、演出とか、当り前ですが裏方にはそんな人いっぱいいるんですよ。いまは脚本家にも『朝ドラやったら次は大河も』っていうのがありますよ」

ーそういうレールが敷かれて。宮藤官九郎さんがいよいよ大河をやられますし、その前に中園ミホさんも。大石静さんもどちらもやっていらっしゃる。

大森「昔で言えばジェームス三木さんとか、いっぱいいます」

ー登竜門なんでしょうか。

大森「僕は30代でしたから。本来ならね、『いよいよ朝ドラか』とか『いよいよ大河か』という感覚でやるようなものかもしれないですけど、なんか本当に登竜門的な、試練のように思ってやったというところはありますね」

ー朝ドラと大河ドラマ、2本やられたことがいま、血肉になっていますか。

大森「なってますよね。相当やっぱり、自分の限界まで行かないとできないようなところがあるので。自分の底が見えるというか。それでやっぱりもっとがんばりたいという意欲も湧くし。すごくありがたかったなと思いますね。30代で2作やらせていただいたのは」

ー限界まで行ったことを2回もやってしまわれてアスリートのようですね。

大森「いやいやいや、そんなことはないですけど、力がなかっただけで(笑)。やっぱりチームじゃないですけど、そのチームでつくらないといけないなと。ひとりの力じゃドラマってつくれないということが実感としてありますよね」

ー『精霊の守人』も限界まで行きましたか。

大森「またこれは……ええ、予算とかスケジュールとか、違う意味で(笑)」

ーじゃあ、次に大森さんの限界まで行くのは、何をしたら限界まで行くのか(笑)。

大森「いやいや、常に限界まで出そうと思ってやってますけどね、単発でもね。常に全力ではやっているんですけど、やるほど理想も高くなって、実力だけでは追いつかないというところがあります。大河とか朝ドラとか、そういうときはやっぱり周りにいるスタッフから刺激を受けて。あとは出演者とかのエネルギーを利用してというかな。自分の世界に持ち込んで、というのがありますから。そういう作り方ができるのが楽しいですよね。できあがったものに刺激を受けて、さらにまた世界を広げていくみたいな。そういうことができるのが一番の醍醐味じゃないですかね」

ー大森さんの今後のご予定は。

大森「今のところはまだグレーですけれど、なんとか映画をつくりたいなと思っています」

ーやはりオリジナルをやりたい?

大森「いや、映画はオリジナルにこだわってはいないんですけど、テレビドラマはやっぱりオリジナルみたいなところで発想していくほうがいいなと思ってますけどね。そういう機会があればいいですね」

profile

Sumio Omori

1967年神奈川県生まれ。10代から演劇活動をはじめ、渡辺えり子(現・えり)率いる劇団300に俳優として参加するなどしながら、映像の脚本家としては、97年にV シネでデビュー。映画、テレビドラマの脚本を多数手がける。00年、向田邦子賞受賞、2003年朝ドラ『てるてる家族』、07年大河ドラマ『風林火山』を書いた。映画監督としても『風が強く吹いている』『アゲイン28年目の甲子園』がある。そのほか、主な脚本作品にドラマ『TARO の塔』『テンペスト』『鼠、江戸を疾る』『55歳からのハローワーク』『悪夢ちゃん』『64』、映画『星になった少年』『寝ずの番』『次郎長三国志』『悼む人』など。『精霊の守り人』シリーズは、シーズン2が1月21日から、シーズン3は11月から放送される。

精霊の守り人シーズン2 悲しき破壊神

1月21日(土)から NHK総合 毎週土曜 よる9時〜

原作 上橋菜穂子

脚本 大森寿美男

演出 片岡敬司

出演 綾瀬はるか ほか

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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