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どうして赤字国債発行法案が毎年、政争の具になるのか、大平正芳首相の苦衷を思い起こせ

木村正人在英国際ジャーナリスト

国民1人当たりの借金771万円

日本の国債や借入金など「国の借金」が9月末時点で983兆2950億円になった。6月末からだけでも6兆6647億円も増えた。国民1人当たりの借金は771万円。財政は赤字でも経常収支が黒字だから何とか政府の資金繰りはついているものの、財源となる赤字国債発行法案をめぐり与野党の攻防が続き、政治の混乱に拍車をかけている。

衆院と参院で与党が過半数を維持していた時代、それが良かったか、悪かったのかは疑問が残るが、赤字国債発行法案は次から次へと国会で成立した。その結果、国の借金は山のように積み上がってしまった。衆院と参院で与野党の勢力が逆転する「ねじれ国会」のご時世、毎年、特例法の赤字国債発行法案が政争の具となり、成立しなければ予算が執行できなくなることから、「赤字国債発行法案を政局にするな」という意見が聞かれる。

これは果たして「正論」か。借金漬けになった人が、首が回らなくなってさらに借金を膨らますことに対して野党がストップをかけようとするのを「最後の警告」ととらえるか、それとも政局絡みの「嫌がらせ」ととらえるのか、の違いがあるにせよ、赤字国債発行法案を成立させる代わりに、民主・自民・公明の3党で、国債発行による借金を除いた歳入と借金返済のための元利払いを除いた歳出の収支である基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を目指すルールを作るきっかけにすべきではないかと筆者は考える。

施行65年余を経て、戦争放棄を定めた9条以外にも日本国憲法のいろいろなアラが目立ち始めた。震災など非常事態への備え、財政規律と財政健全化の規定、ねじれ国会の解消法を欠いている上、予算についてもうまく執行できない恐れが膨らみ、国全体が大きく揺らいでいる。

急場をしのぎたい野田首相

日本国憲法は予算について衆院の優越を定めているものの、赤字国債発行法案など予算関連法案に衆院の優越規定は適用されない。こんなことだから国会がねじれたときに予算が執行できなくなるのだと言わんばかりに、野田佳彦首相は毎年度の予算案と赤字国債発行法案を一体で処理するルールづくりを野党に提案している。

日本経済新聞(電子版)によると、野田首相は9日、都内の会合で「毎年、赤字国債を政争の具にする悪弊を断ち切りたい」と強調したそうだ。

財務省の入れ知恵だろうか。それとも、とにかく急場をしのぎたい野田首相の浅知恵か。

財政民主主義を定めた日本国憲法第7章「財政」と建設国債を発行する根拠となる財政法、一年ごとに国会審議が必要な赤字国債発行法案のいきさつを振り返ると、日本はますます危険な領域に入ったことを痛感する。

野田首相のやろうとしていることは、目先の破たんを回避するためとはいえ、財政破たんを防ぐ最後のブレーキを外すのに等しい本末転倒の行為に見えて仕方がない。

現行憲法下、予算は法律ではない

「予算と法律との関係―日本国憲法の予算理論」(夜久仁・国会図書館専門調査員)に興味深い考察が記されている。明治憲法では「予算」は法律とは別形式のものとされ、日本国憲法にもこの考えが踏襲されているというのだ。

ドイツの鉄血宰相と呼ばれたビスマルクの軍制改革費がたびたび、上院と下院の意見が一致しない議会の反対にあって立ち往生した事例を見た明治の元勲たちは弱肉強食の帝国主義時代を生き抜くため、明治憲法制定の際、予算に対する議会の影響力を弱めた。日本では伝統的に予算は行政府がつくるもので、議会の権限は制限されていたのだ。

これが無制限な戦費拡大を招いた要因でもあるため、日本国憲法は行政府による予算統制を弱め、議会の権限を強化する財政民主主義を明記した。その一方で、予算提出権は内閣にあり、予算議決に関して衆院の優越が認められるなど、議会の権限は緩められている。

財政法4条は日本国憲法を受けて、国の歳出は租税などでまかなう非募債主義を原則とする一方で、公共事業費などに限って建設国債の発行を認め、議会の統制下に置いたのである。

しかし、建設国債だけでは次第に日本の経済成長を維持できなくなってきた。

赤字国債発行が常態化した大平蔵相時代

筆者が産経新聞政治部時代、大平正芳首相首席秘書官だった森田一元運輸相によくお話をおうかがいしたが、その森田氏が2010年に日本記者クラブで、大平首相時代の赤字国債の発行と一般消費税について語っている。

昭和50年、オイルショックの後遺症で日本経済は物価が上昇、景気も悪くなるスタグフレーションに陥った。蔵相だった大平氏は税収減を補うために赤字国債を発行した。赤字国債の発行には一般法の財政法とは異なって、一年限りの特例法が必要だ。公共インフラを整備する建設国債は次代につながるが、赤字国債は使い切りのため、より厳しい議会の統制がかけられていた。

赤字国債発行法案は特例法で

翌年以降も赤字国債の発行が予想されたため、大蔵省の事務方から「財政法の特例法の一般法で」との声が出たが、大平氏は「毎年毎年苦労することによって少しでも赤字国債を減らそうと思いを致さなきゃあいかん」と特例法のままで行くことにした。

赤字国債の発行を「万死に値する」と悔いた大平氏は「一生かかってこの償いをする。財政再建をやる。自分はどうなってもいいのだ」と、首相になった後、一般消費税を提唱し、総選挙で敗れた。

大平内閣で蔵相を務めた竹下登氏は10年かけて、消費税を実現させた。

最後のタガを外す前にやることがある

消費税を1%上げれば税収が2・5兆円増えるといわれるが、消費税の増税だけでは日本の財政は再建できないのはもはや明らかだ。基礎的財政収支を黒字化させて財政がこれ以上、悪化するのを防ぎ、超金融緩和策によるインフレと通貨切り下げで何十年かけて山のように積み上がった国と地方の借金をコントロール可能なレベルまで徐々に減らしていくしか日本の破滅を防ぐ道はない。

赤字国債の発行に対する議会の統制を弱めるよりも、基礎的財政収支の黒字化に向けた方策を野党と固めることこそ必要なのではないのだろうか。

最後のタガを外す前に、野田首相に少しは大平氏の覚悟に思いを致してほしい。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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