ジャーナリズムは機能不全に陥った 小児性愛者スキャンダルのもみ消し疑惑と大誤報で英BBC放送も大揺れ
大物保守党政治家を人違い
筆者のブログ「木村正人のロンドンでつぶやいたろう」でもお伝えした、マーガレット・サッチャー英首相時代の大物保守党政治家が英・北ウェールズの養護施設で少なくとも少年2人を性的に虐待していたとの疑惑報道をめぐり、英国放送協会(BBC)が9日夜、全面的に謝罪した。10日夜には、ジョージ・エントウィスルBBC会長が引責辞任する事態に発展した。
大物保守党政治家を告発した被害男性が「人違い」をしていたことを認めたためだ。BBCは大物保守党政治家を特定するのを避けたものの、ソーシャルメディア、Twitterなどで実名を公開されたマックアルパン元上院議員の弁護士はBBCの深夜報道番組「ニューズナイト」や民放ITVの「ディス・モーニング」、そしてTwitterをも相手取り名誉棄損で訴える方向で検討している。
この大誤報問題には前段がある。
疑惑追及番組見送りクリスマス追悼番組放映
昨年10月、84歳で死去したジミー・サヴィル氏が生前、少年少女に性的虐待を加えていた疑惑をつかんだ「ニューズナイト」の取材班が同年12月に放映を予定していたが、直前にボツになり、その代わりにBBCはサヴィル氏の功績をたたえるクリスマス追悼特別番組を放送した。
「ニューズナイト」の取材協力者が民放ITVにネタを持ち込み、ITVは今年10月3日に疑惑を放送した。「ニューズナイト」のピーター・リッポン編集長はブログで「編集上の理由(証拠不十分)」から放送を見送ったと弁解したが、これに激怒した現場の記者たちが同月22日、BBCの調査報道番組パノラマで、リッポン編集長とのやり取りを暴露し、エントウィスル会長の責任を追及する挙に出た。
リッポン編集長は警察が高齢を理由にサヴィル氏の立件を見送っていることから「われわれの情報源は被害を訴えた女性たちだけじゃないか」として、取材中止を命じていた。
「ニューズナイト」の取材班はしかし、少女更生施設に入所していた女性4人とサヴィル氏の番組に出演した男性、パラリンピック発祥の地、ストークマンデビル病院で脊髄損傷の治療を受けていた少女からサヴィル氏の性的虐待について証言を得ていた。
「ニューズナイト」の取材班の1人は「このストーリーはいずれにせよ表に出る。その時、BBCは事実を隠ぺいしたと糾弾される」とリッポン編集長に電子メールを送っており、別の記者は「警察で裏付けが取れたとき、このネタは間違いないと確信した。編集長は行け行けだったが、突然、態度を豹変させた」とリッポン編集長が上層部から圧力を受けた可能性を示唆した。
昨年12月初め、テレビ部門を担当するBBCビジョンのトップだったエントウィスル氏が報道局長から「ニューズナイトの調査がこのまま続けば、サヴィル氏を追悼するクリスマス番組に影響が出る」と伝えられていたことも暴露された。
ニューヨーク・タイムズ紙にも余波
影響はBBC前会長だったマーク・トンプソン氏が今月12日から最高経営責任者(CEO)に就任する米紙ニューヨーク・タイムズにまで飛び火している。トンプソン氏がサヴィル氏の児童性的虐待疑惑を知りながら、クリスマス追悼特別番組を放映していたなら、当然、報道機関のトップとしてはふさわしくない人物ということになる。
大誤報はこんな状況下、飛び出した。
英国では1970~1980年代に北ウェールズにある約40の養護施設で大規模な児童性的虐待が行われていたことが発覚し、特別調査委員会が1997~2000年に1200万ポンド(約15億5000万円)の費用をかけて実態を調査した。
主に養護施設の幹部や職員が少年少女を性的に虐待していたことが明るみに出て、140件について被害者に精神的慰謝料が支払われた。ある養護施設の子供たちは近くの農場で強制労働させられ、夜はテレビとおやつのごほうびの見返りに性的虐待を強いられていたのだ。
外部の慰問者からも子供たちは虐待を受けていたとの証言があったが、裏が取れないまま特別調査委員会の調査は終了した。
サヴィル・スキャンダルを受けて、被害男性の1人が「マックアルパン元上院議員から性的虐待を受けた」と述べ、他の入所者もこれを裏付ける証言をしたため、「ニューズナイト」は、サッチャー首相時代に保守党の会計を務めたマックアルパン元上院議員を「大物保守党政治家」という匿名で児童性的虐待を報じたのだった。
大誤報の背景
実名報道が原則の英国で匿名報道というのは奇異な感じがしたが、「ニューズナイト」の取材班はマックアルパン元上院議員に直当たりもせず、被害男性に写真を見せて本人確認をするという取材のイロハも怠っていた。
他の民放政治記者はマックアルパン元上院議員に直当たりしたところ、「ニューズナイトが報道したら法的措置を取る」と疑惑を全面否定していたことからも、BBCの手抜きぶりが浮き彫りになっている。
BBCの匿名報道にかかわらず、マックアルパン元上院議員の名前はTwitterでアッという間に広がった。英国で児童性的虐待の烙印を押されるのは、社会的な死刑宣告に等しい。
9日付の英紙ガーディアンが、被害男性が「人違い」をしていた可能性が強く、マックアルパン元上院議員は報道被害者だと報じた。マックアルパン元上院議員も怒りの抗議声明を出した。被害男性はBBCに人違いだったと認めた。
メディアの劣化
英メディアによると、北ウェールズ地方の養護施設の子供たちが強制労働させられていた農場がマックアルパン元上院議員の親類によって運営されていたことや、性的に倒錯していた恐れがある他の保守党政治家(故人)が問題の養護施設に出入りしていたことから、被害男性が間違って記憶していた可能性があるという。
インターネットの普及で、テレビの調査報道は外部に委託することが多くなり、一人一人の記者もブログやTwitterへの対応で格段に忙しくなった。
インターネットに押される新聞社でも私立探偵を使って携帯電話の留守番電話を盗聴するという安直な取材方法が横行したため、人脈をコツコツと築き上げて証拠や証言を集める新聞記者の取材力も大きく低下した。
筆者が大阪で事件記者をしていた20年余前、先輩記者から「焦らなくていい。1年に1回で良いから各社が1面トップで追いかけるような記事を書け」と励まされた。そんな時代は遠い昔になってしまったのだろうか。
「ニューズナイト」の司会者は番組の最後に「おそらく…、月曜日にまたお会いできるでしょう」と意味深長に語った。エントウィスル氏の引責辞任に加えて、「ニューズナイト」が中止されれば、英大衆日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの廃刊に続く異常事態となる。
(おわり)