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堕ちたブレードランナー(続報)

木村正人在英国際ジャーナリスト

昨日のエントリーは情報不足で申し訳ありませんでした。今日は英メディアもかなり突っ込んで報道していますので、続報をお届けします。

両足義足で2012年のロンドン五輪に出場し、世界の注目を集めた南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(26)に何が起きたのか。バレンタインデーの14日未明、南アの首都プレトリアの自宅でガールフレンドを銃で撃って死なせたピストリウス選手は15日午前9時(日本時間同日午後4時)、治安裁判所に出廷した。今後、保釈を申請する方針だ。

警察は発砲の直前、ピストリウス選手の自宅から言い争う声が聞こえたのを近所の住民が聞いていたことから、同選手を意図的殺人容疑で逮捕した。同選手は「ガールフレンドを屋内強盗と間違って撃ってしまった」と説明している。ピストリウス選手を知る関係者は「同選手は暴力とは無縁だった」と擁護している。

昨年夏のロンドン五輪男子陸上400メートルで健常者と同じスタートラインに両足義足のランナーとして初めて立ったピストリウス選手は南アフリカだけでなく、世界中のヒーロとなった。パラリンピックの金メダル表彰台から裁判所の被告席に転落したピストリウス選手は15日朝、スーツ姿で頭からすっぽりフードをかぶり警察署を出発した。カメラを避けるためジャケットやノートで窓をふさいだ。

プレトリアの自宅でピストリウス選手から2011年8月にインタビューした記者は英紙デーリー・メールに「クリケットや野球のバットのほか、ベッドの横の机の上に短銃が、窓の下に不吉な予感をさせる機関銃が置いてあった」と書いている。ピストリウス選手は自衛のためガードマンを雇っていたが、それでも心配だったという。警備員が裏切って屋内強盗を手引きすることもあるからだ。昨年11月には洗濯機を回す音を屋内強盗と勘違するほど神経質になっているとピストリウス選手はソーシャルメディアのTwitterで打ち明けている。

犯罪多発国の南アの中でもプレトリアの治安状況は特に悪い。

ガールフレンドのモデルのリーバ・スティンカンプさん(30)は事件の数時間前、Twitterで「14日は愛の1日にすべきよ」とフォロワーにつぶやいていた。スティンカンプさんが「バレンタインデー・サプライズ」のためピストリウス選手を驚かそうと14日午前3~4時(日本時間同日午前10~11時)ごろ同選手の自宅に忍び込んだところ、同選手が屋内強盗と勘違いして撃ってしまったというのが地元メディアの見立てだ。

南ア・ケープタウン出身のスティンカンプさんがピストリウス選手と交際を始めたのは3カ月前。ビーナスのような美貌と天使のような優しさを持っているスティンカンプさんと、両足義足という障害を乗り越えてロンドン五輪出場を果たしたピストリウス選手は「パーフェクト・カップル」そのものだった。

スティンカンプさんは今月初めに起きた17歳の女性に対する集団レイプ事件について「女性への暴力は許せない」と批判していた。

陸上関係者や知人はピストリウス選手を擁護し、原因はプレトリアの治安の悪さにあると指摘する。しかし、同選手の女性関係は若い頃から複雑にもつれていたと英紙デーリー・メールは伝えている。英紙ガーディアンによると、ピストリウス選手は2009年に19歳の女性から暴力行為で訴えられ、一晩、警察に拘置されたことがある。しかし、証拠不十分で不起訴になった。

世界で最もセクシーな女性100人に選ばれたスティンカンプさんは頭や胸、腕に口径9ミリの銃弾を4発撃ち込まれていた。

2人の仲は良かった。ピストリウス選手が言うように誤って射殺してしまったのか。南アでは2004年にラグビー選手が彼女を強盗と間違って射殺する事件が起きているが、警察は今回、このような見方を否定している。

ピストリウス選手は射撃場で300メートルの距離から50発撃って96%命中したことを示すスコアカードの写真をネット上にアップしたことがある。眠れない夜、同選手は射撃場に出かけていた。また、自分のガールフレンドと寝た男性を「両足をへし折ってやる」と脅したこともあった。

完璧な人間に見えたブレードランナーにも影の部分があったのだろうか。

真相は警察の捜査や裁判をまたなければわからないが、確かなことは、ピストリウス選手は精神的に破壊され、愛する人、名声、アスリートとしてのキャリア、スポーツメーカーとの巨額契約を一瞬にして失ったことだ。事件の背景に同選手の銃への異常な執着を指摘する声もあるが、栄光と喪失の、この落差は想像を絶している。

ピストリウス選手の広報担当者は「警察の捜査に協力しているが、事実関係がはっきりするまでコメントは差し控える」と話している。スポーツ用品大手のナイキは、ピストリウス選手が登場する「私は弾丸だ」という広告をネット上から削除した。

ギリシャ神話のイカロスは父が発明した人工の翼を肩にロウで貼り付けて飛んだが、父の忠告を忘れて太陽に近づきすぎ、ロウが溶けて翼が取れ、海に堕ちて溺れ死んだ。

ブレードランナーのブレードも栄光に近づきすぎ、はがれ落ちたのだろうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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