Yahoo!ニュース

欧米メディアが伝えないイタリア総選挙と「道化師」グリッロ氏の素顔

木村正人在英国際ジャーナリスト

イタリア政界だけでなく、ユーロ、世界経済を揺るがしかねないコメディアン出身、ベッペ・グリッロ氏。64歳。日本にもお笑い出身の議員はたくさんいるが、新党「五つ星運動」率いるグリッロ氏とはどんな人物なのか。欧州で信頼の厚いマリオ・モンティ伊首相や従来の職業政治家より、どうしてイタリア国民はグリッロ氏を支持するのか。日本におけるイタリア語学の大家、坂本鉄男・元ナポリ東洋大学教授(83)=ローマ在住=に国際電話でインタビューした。

英誌エコノミスト最新号の表紙に登場したグリッロ氏(左)とベルルスコーニ氏
英誌エコノミスト最新号の表紙に登場したグリッロ氏(左)とベルルスコーニ氏

――グリッロ氏とはどんな人ですか。日本にもタレント議員はたくさんいました。西川きよし、横山ノック、青島幸男、東国原英夫、橋下徹。グリッロ氏はどのタイプに近いのでしょうか

「日本のお笑い芸人出身の政治家とは全然、違うんです。彼はジェノバの下町生まれです。ジェノバというのは左翼が非常に強い地域なんです。サンレモの歌謡フェスティバルなんかに芸人として出ましたが、1990年代から20年近く、環境問題や政治問題を取り上げる、日本で言えば政治漫談をしてきました。環境や公害を扱う漫談家。日本でお笑い芸人が当選するのとかなり違います。イタリア中を回って政治家の腐敗をついて、要するに庶民が不満に思っていることを徹底的に取り上げて今日に至るわけです。昨年の地方選ではパルマ市長ら地方自治体の首長4人を当選させました。4人は全員30歳代。グリッロ氏は、これまで幅を効かせていたイタリアの政治とはまったく違うものを作り上げています。特に若い人の共感を集めました。これまで投票に行かず棄権していた人たちの票を多く集めたんです。『彼の政党の人は素人』とみんな批判していますが、素人でも、これまでの政治に不満を持つ、きちんとした職業についた若い人たちです。五つ星運動は下院で(単独政党としては)純粋な意味での第一党です。ベルサーニ氏の中道左派連合は、下院議長のポストを五つ星運動に渡そうとしているそうです。その候補は25歳、アメリカの大学とイタリアの大学を卒業している女性です。今のところ下馬評に上がっているだけですが、25歳の女性が下院議長になったら、イタリア政界史上、最年少の下院議長になります。これまでは31歳の下院議長が最年少でした。グリッロ氏の支持者はTwitterやブログなどインターネットを使う若者たちです。今日、グリッロ氏は『自分たちに政府を任せてみろ』『自分たちは左派とも右派とも一緒に政府は作らない』と表明しました。左派のベルサーニ氏はグリッロ氏を懐柔しようとしていますが、ちょっとできないでしょうね」

――五つ星運動が掲げる政策とはどんなものでしょうか

「一番大きなのは議会制度の改革です。国会議員は2期10年を超えてはできない、国会議員の歳費を一般労働者の平均年収まで下げる、刑が確定した人間は国会議員に出馬できない、という現在、国民が国会議員に対して持っている不満をグリッロ氏は全部ぶつけているわけです。政治改革がマニフェストです。伊トリノと仏リヨンを結ぶ高速鉄道のトンネル工事に反対するなど地方、地方の不満もかなり政策に入れています。イタリア中を非常にきめ細かくみています。市民一人ひとりがもっとゴミを処理する義務をもたせるとか、水問題など、国民の不満を一番吸い上げた政策を掲げているといえます」

――グリッロ氏はなぜ、こんなに支持されるのでしょうか。1990年代、タンジェントポリと呼ばれる大疑獄の後、「フォルツァ(がんばれ)・イタリア」と唱えて大勝利をおさめたベルルスコーニ氏と同じなのでしょうか

「ベルルスコーニ氏の登場とある程度同じなんでしょうね。それまでイタリアのキリスト教民主党と社会党が慣れ合って、ずっと政治を独占して来ました。タンジェントポリで亀裂が入ったところに、ベルルスコーニ氏が割りこんで来ました。ある程度似ていますが、ベルルスコーニ氏よりもグリッロ氏は地道な政治活動をしてきましたね」

――なぜ、欧州の信頼が厚いテクノクラート(実務官僚)のモンティ氏は国民の支持を失ったのでしょうか

「イタリア人はみな議員に対する不満を持っています。議員定数を削減する、欧州の中で一番高いイタリアの議員歳費を削減する、モンティ氏はこういう政策も掲げていました。イタリアは議員や公務員の汚職が激しい国です。国際NGO、トランスペアレンシー・インターナショナルが昨年発表した腐敗度認識指数でイタリアは世界72位、ガーナやマケドニアより汚職や腐敗が進んでいました。脱税もものすごい。モンティ氏はイタリアの危機を救うため財政問題を掲げました。彼は汚職、脱税の追放を掲げましたが、最初からもっと積極的にそれに取り組めば良かったのです。しかし、公共支出の削減の中でも教育予算の削減、あるいは医療費の大削減、それと増税、モンティ氏は一番手っ取り早いところからやったから国民の支持を得られませんでした。しかし、モンティ氏というのはイタリアの中でも欧州で一番信用されている政治家です。モンティ氏の進めてきた政策は正しいんですが、イタリア国民に非常に犠牲を強いています。しかも、政治、議会の改革など国民が一番関心を持っているところには手を着けて来ませんでした。そこがモンティ氏の人気が出なかった一番大きな理由です」

――英誌エコノミストのビル・エモット前編集長は、伊メディアを独占して政治権力を握るベルルスコーニ氏を「バッド・イタリア」、改革を進めるモンティ氏を「グッド・イタリア」に色分けしました。今回の選挙は「グッド・イタリア」の敗北を意味しますか。グリッロ氏は「グッド・イタリア」なのでしょうか

「今回の総選挙はモンティ氏、グッド・イタリアの敗北とまでは行きませんが、人気を集めませんでした。グリッロ氏はグッド・イタリア、バッド・イタリアとはまったく別なものですね。グリッロ氏はまだ政治をしたことがありません。本当の意味でグッド・イタリアになるのか、バッド・イタリアに色分けされるのか、未知数です。イタリア国民から見ればグッド・イタリアに近いでしょう。ただ、近いけれど、国際的観点から見ると、欧州全体の政策に合ったモンティ氏の政策とはまったく違うから、どうなるか分からないところがあります」

――なぜ上院ではベルルスコーニ氏の右派が善戦したのでしょうか

「ベルルスコーニ氏は上院のみならず下院でも善戦しています。ベルサーニ氏の左派と右派の票差はごくわずかでした(下院の得票率は中道右派連合29・18%、中道左派連合29・54%。上院は中道右派連合30・71%、中道左派連合31・63%)。にもかかわらず、ベルサーニ氏が下院で過半数議席を獲得できたのは、2005年末に、ベルルスコーニ氏など右派が行った選挙制度改革のおかげなんです。これで下院では最高得票を獲得した政党連合に340議席の過半数を多数党プレミアムとして与えることになりました。それまでのイタリアの少数政党乱立、短命内閣を防ぐための方策でもあったし、ベルルスコーニ氏の右派がこれから政権を取るための方策として作ったものです。そのおかげでベルサーニ氏は下院で過半数を制したわけです。得をしたのはベルサーニ氏の方で、そこを日本の新聞はまったく分かっていませんね。得票数に応じて議席を割り当てていたら、議席がバラバラになって議会が混乱を起こしていたかもしれません。ベルルスコーニ氏は民間の全国チャンネルを全部持っています。それを総選挙でフルに利用しました。モンティ氏の政策の中で国民が一番頭に来ていたのが住宅税です。ベルルスコーニ氏は首相時代に昔からあった住宅税を廃止しました。1軒当たり700~800ユーロあったものをベルルスコーニ氏はなくしました。住宅税がなくなって地方財政は非常に苦しくなりました。モンティ氏はそれを復活し、しかもかつてあった住宅税より重いものにしました。それが家計の負担になっているのを見たベルルスコーニ氏は『自分たちが勝てば、昨年あなたたちが払った住宅税を銀行口座に払い戻してあげますよ』と言いました。彼がそれを公約にして、短絡的な、ポピュリズムそのものの政策を打ち出したのです。そして左派が勝つと怖いですよと言いふらした。左派でも右派でも構わないような無関心層が『この前もベルルスコーニ氏が住宅税を廃止して非常に助かった』と、ベルルスコーニ氏の中道右派連合に投票したのでしょうね」

――イタリア共産党出身のナポリターノ大統領って、どんな人でしょうか。日本では「共産党出身の政治家が大統領」という印象が強いようですが

「まず言えるのは日本共産党とイタリア共産党の相違です。日本人は共産党と言えば、日本共産党、旧ソ連共産党、中国共産党をイメージしますが、イタリアの共産党は、エンリコ・ベルリングエルという書記長(1977~84年)が社会民主主義路線を打ち出しました。共産主義ではありません。日本共産党とか中国共産党とは考え方がまったく違ったのです。ナポリターノ大統領は非常に清廉潔白な人です。ドイツが一番、イタリア総選挙の結果を心配していました。つい先日、ベルリンを訪問した際、ナポリターノ大統領は『イタリアの政治は別段、混乱しておりません。現在の首相はモンティです。欧州全体の方針に従っていくためにイタリア人は今、犠牲を払いつつあります』と言いました。ドイツ社会民主党(SPD)の首相候補シュタインブリュック氏が『ベルルスコーニ氏とグリッロ氏は2人の道化師だ』と言ったことに怒ってナポリターノ大統領は面会を拒否しました。グリッロ氏は『ナポリターノ大統領は私の大統領だ』と言い、大統領の言葉を高く評価しました。ナポリターノ大統領はイタリアの国父のようなイメージがする人です」

―― 再選挙になるのでしょうか

「ベルルスコーニ氏はベルサーニ氏に対して『自分たちは扉を開いても良い』と言っていますが、中道左派連合のベルサーニ氏は『少数与党でも組閣をする』と言っています。総選挙のやり直しになればグリッロ氏の五つ星運動がもっと大きな政党になるという恐れが左にも右にもあります。大統領は総選挙のやり直しか、テクノクラート内閣をもう一度つくるか、どの勢力にも属さない政治家を選ぶかしなければなりません。皆に信頼され、経済に詳しいアマート元首相の名前も下馬評に出ています。3月15日に予定される議会を招集して、上下両院議長を選出した後に、誰に組閣を命ずるかが決まります。まだまだイタリアの政治は流動的です」

――五つ星運動出身の市長はなかなか評判が良いようですが

「五つ星運動の出身者は政治的に潔白なんです。イタリア政治というのは、しがらみと利権に結び付けられています。五つ星運動の出身者というのはそういうものがなく、下積みの人たちですから、かえって仕事を実直にやっているのでしょう。彼らは全員若く、腐敗政治に不満を持っています。案外、実務的な才能は持っているかもしれない。五つ星運動で政治的な発言をしてきた人たちだから、それぞれの専門的な知識が皆無であるとはいえません。下院議長の候補に挙げられている25歳の女性を見ていると、これはまったく未知数ですね。イタリア政界の土手っ腹に大きな風穴を開けたという意味では、これまであまりに汚職がはびこり、腐敗していたイタリアに少し浄化をもたらしたということは言えますね」

インタビュー後記:

デモクラシーとユーロのどちらを選びますか、と質問されたら、僕はデモクラシーと答えるだろう。イタリア政治の腐敗と単一通貨ユーロの桎梏に異を唱えて国民の支持を受けることが、どうして「道化師」という蔑みに値するのか。2009年秋の始まり以来、ユーロ危機にお付き合いしている僕には分からない。ドイツの政治家にとって、ユーロよりイタリアの民主主義を再生させようとするグリッロ氏は邪魔者でしかないのだろう。これがユーロという「欠陥通貨」がもたらす現実である。平和と統合の象徴だったユーロは逆に欧州の不協和音を奏でている。ユーロ圏でイタリアが持つ重みはギリシャの比ではなく、総選挙のやり直しは世界経済をも揺るがしかねない危うさをはらんでいる。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事