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辞職表明の橋下市長に逆転劇はあるか 従軍慰安婦のワナ 

木村正人在英国際ジャーナリスト

ロンドンから見ていると日本ではびっくりするようなニュースが連日起きる。籾井勝人NHK会長の従軍慰安婦発言には驚かされたが、今度は日本維新の会共同代表を務める橋下徹大阪市長が市長を辞職、出直し選挙に出馬するという。

日本維新の会の共同代表、大阪維新の会の代表を退く考えをほのめかし、「出直し選挙で負ければ政界を去る」そうだ。弁が巧みな橋下市長のことだから、2月3日の記者会見を聞かないと確定的なことは言えないが、大阪市民があきれたことだけは確かだろう。

橋下市長も従軍慰安婦発言で大きくつまずいた1人だが、籾井会長の発言を「籾井さんが言っている事はまさに正論」「僕が言い続けてきたことと全く一緒です」と全面的に擁護した。

時事通信の1月の世論調査で「次の首相にふさわしい人」は安倍晋三首相が21.1%でトップ。(2)小泉進次郎内閣府政務官10.4%(3)自民党の石破茂幹事長7.1%(4)橋下市長4.2%。橋下人気は一時に比べると落ちたとはいえ、依然として一定の高さを保っている。

先の衆院選で選挙協力までした公明党が他の野党とともに反対に回り、持論の「大阪都構想」が行き詰まった。膠着状態を打開するため出直し選挙を決意したというのが橋下市長の説明だ。

筆者は生まれも育ちも大阪市西成区。たまに帰国して里帰りすると街の暗さに驚かされる。パチンコ店も閉店、目立つのは高齢者のケアセンターと葬儀屋の看板だけ。公共事業のため日雇い労働者が全国から集まってくるあいりん地区も火が消えたようだった。

筆者も、若くて行動力のある橋下市長に「大阪再生」を期待した1人だ。国政進出を決定し、自民党・民主党・みんなの党の国会議員7人が合流、太陽の党と合流して2012年末の総選挙で54議席を獲得、第3党に躍進したまでは良かった。

しかし、13年5月の従軍慰安婦発言でつまずいた。

「あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、(略)どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる」「沖縄の海兵隊・普天間に行ったとき、司令官に『もっと風俗業を活用してほしい』と言った」

こうした発言をめぐる一連の騒動で、橋下市長の主な政治信条は「大阪都構想」より「従軍慰安婦問題」とみなされるようになってしまった。そうした不信感が大阪市議会にはある。昨年9月の堺市長選では無所属現職の市長が大阪維新の会公認候補を破った。

日本維新の会の中野正志参院国会対策筆頭副委員長は、籾井発言に絡み、「今だって韓国の女性5万人が性産業で働いていると(韓国政府が)はっきり言っている。中国では100ドル、200ドルで『お持ち帰りどうぞ』と言われる。なぜ日本が戦前のことをいつまでも(言われるのか)」と述べたそうだ。

韓国や中国への蔑視がありありとうかがえる。

日本維新の会は、慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」をめぐって河野氏、河野談話の見直しに否定的な朝日新聞社社長の国会への証人喚問を求める署名活動を始める方針を決めている。

海外からは、日本維新の会の主要政策は従軍慰安婦問題とみえる。こんな調子では民主党、結いの党との合流は永遠に不可能だろう。

尖閣国有化構想をぶち上げて中国に「攻勢」の口実を与えた石原慎太郎東京都知事(日本維新の会共同代表)の国政への転身、後継の猪瀬直樹都知事の5千万円受領と引責辞職、そして橋下市長の辞職・出直し選挙表明。

橋下市長の場合、公明党への揺さぶり、市長選になっても有力な対抗馬が見当たらないという読みが働いているのかもしれない。2月9日には東京都知事選が投開票されるが、それに続いて出直し大阪市長選とは。

選挙で負ければ大阪都構想、教育改革を途中で投げ出すつもりなのか。それでは大阪府も大阪市も橋下市長に振り回されただけになる。あまりに有権者を愚弄していないか、無責任過ぎないか。しかし、その橋下市長に力を与えてきたのは有権者なのだ。

昨年11月の産経新聞社とFNNの合同世論調査では、河野談話について過半数の55.0%が「見直すべきだ」と回答。「思わない」が27.5%だった。橋下・籾井発言、日本維新の会の署名活動はこうした世論を背景にしている。

もう「失言だ」とか「橋下市長が特別だから」という弁解は通じない。従軍慰安婦をめぐる橋下・籾井発言や日本維新の会の主張が多数派なのだ。しかし、その一方で、従軍慰安婦発言でつまずいた橋下市長が袋小路に入り込み、最終的に窮地に陥ってしまったのも、また政治の現実である。

筆者が生まれた西成区は日雇い労働者、暴力団、在日、同和問題、非行、暴動、暴力と下町の人情が渾然一体となったような街だった。今でも誇りに思うことがある。小学校、中学校を通じて、子供たちの間に差別意識がまったくなかったことである。

薄っぺらに潰したかばんの中にはヌンチャク、タバコ、化粧品に避妊具。万引き、恐喝、シンナー。本当に手に負えないやんちゃぞろいだったが、差別はなかった。卒業式で本名を名乗った在日の不良少年の勇気に拍手が起きたほどだ。

筆者は最初、出自を含め橋下市長がそんな大阪を代表していると思っていた。しかし、石原慎太郎氏の太陽の党と合流してからは、東京や石原ブランドへの「へつらい」しか感じられなくなってしまった。

その大阪で在日のみなさんに対する「ヘイトスピーチ」が起きるとは情けなくてしょうがない。橋下・籾井発言とも底流でつながっているように感じるのは筆者だけか。政治的な主張に民族、国家への侮蔑、嫌悪が込められると、「極右」に分類される。このまま民意が「右」から「極右」に流されるのか、それとも中道に揺り戻すのか。

もともと「右」の筆者は日本の世論が自由主義を重んじる健全な中道右派に戻ることを願ってやまない。国粋主義、民族主義、差別主義が強まると国家が危殆に瀕する。日本は間違いなく、重大な岐路に立たされている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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