Yahoo!ニュース

ノーベル平和賞はパキスタンのマララさんとインドの人権活動家に

木村正人在英国際ジャーナリスト

ノーベル賞の予想は本当に難しい。受賞に相応しい候補者は山のようにいるし、選考過程は50年間、秘密の厚いベールに覆われているからだ。筆者の直前予想記事も思いっ切り間違ってしまった。ごめんなさい。

奇跡の回復を遂げ、英バーミンガムの学校に通うマララさん(マララプレス事務所提供)
奇跡の回復を遂げ、英バーミンガムの学校に通うマララさん(マララプレス事務所提供)

ノルウェーのノーベル賞委員会は10日、2014年のノーベル平和賞を、イスラム過激派の脅しにもひるまず、女の子にも平等に教育を受ける権利をと訴えているパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)とインドの人権活動家カイラシュ・サティアルティ氏(60)に授与すると発表した。

マララさんは平和賞史上、最年少の受賞。昨年から最有力候補の1人に挙げられていたが、ノルウェー公共放送局NRKは発表直前まで、若さが受賞のネックになっているという予想記事を掲載していた。

インドのサティアルティ氏は完全なダークホースだった。2人への同時授賞発表でノーベル賞委員会は、カシミール地方の帰属をめぐり激しく対立するパキスタンとインドの関係改善を呼びかけた格好だ。

ノーベル賞委員会はヤーグラン委員長が就任してから、オバマ米大統領(2009年)、中国の人権活動家、劉暁波氏(翌10年)、欧州連合(EU、12年)と世界的に目を引く選考が増え、オバマ大統領やEUへの平和賞授賞には「本当に必要なの」と首を傾げる向きも多かった。

しかし、マララさんへの授賞は劉暁波氏への授賞と同様、非常に意義深いものだ。今回の選考は、国際社会が子供の教育環境を改善していくことを通じて貧困問題に取り組んでいく意思を明確に示しているからだ。マララさんとサティアルティ氏への同時授賞を心から歓迎したい。

ヤーグラン委員長は授賞理由について次のように語っている。

「子供たちには学校で学ぶ権利が与えられている。経済的に搾取される対象であってはならない。ノーベル賞委員会は子供や若者に対する抑圧をはね返し、子供が教育を受ける権利のために闘っている2人に平和賞を贈る」

「ノーベル賞委員会は1人のヒンズー教徒と1人のイスラム教徒、1人のインド人と1人のパキスタン人が、子供たちが教育を受ける権利を擁護し、過激主義に反対していくという1つの共通した運動に加わっていることを重く見た」

「貧しい国々の人口の6割は25歳未満。現在、労働搾取されている子供たちは世界中で1億6800万人。2000年より7800万人減った」とヤーグラン委員長は言う。

今年は過去最多となる278の個人と団体が候補となり、通常5~6回開かれる選考の会合は7回にも及び、最後までなかなか意見の一致をみなかった。しかし、最後はマララさんの勇気がノーベル賞委員会の5人の委員を動かしたようだ。

1冊の本、1本のペンが世界を変える

今年4月、ナイジェリアで300人近い女子生徒がイスラム過激派「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」に拉致された。マララさんはナイジェリアを訪れ、同国のジョナサン大統領に「あらゆる手を尽くして女子生徒を取り戻して」と訴えた。しかし、その多くはまだ解放されていない。

「みんなで本とペンを手に取りましょう。本とペンは私たちの最も強力な武器です。1人の子供と1人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えることができるのです」

“Let’s us pick up our books and our pens. They are our most powerful weapons. One child, one teacher, one book and one pen can change the world”

マララさんは昨年7月、16歳の誕生日に国連に招かれ、教育の力を訴えた。聴衆は400人だったが、マララさんは数百万人の子供たちを思い浮かべていた。

何者も恐れない凛とした訴えにスタンディングオベーションが鳴り止まなかった。「教育が一番大切です。すべての子供に教育を受ける権利があります。教育はすべてを変えることができるのです」

マララさんは国連で演説する際、イスラム圏初の女性首相で2007年12月、パキスタンの首都近郊ラワルピンディで自爆テロにより暗殺されたベナジル・ブット氏の遺品である白いショールを身につけていた。

12年10月、パキスタン北部スワット・バリーでイスラム原理主義勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」の若者に銃撃されたマララさんは英バーミンガムのクィーン・エリザベス病院に入院していたとき、ブット元首相の遺族からショールをプレゼントされた。

マララさんがショールに顔を埋めると、ブット元首相が愛用していた香水の匂いがした。ショールにはブット元首相の長い黒髪が1本残されていた。

タリバンとの戦い

女の子にも教育を受ける権利があると訴えたことでタリバンに命を狙われたマララさんがブット元首相のショールを身につけた理由はおそらく2つある。ブット元首相のように死を恐れない覚悟と、英国で学問を身につけて祖国パキスタンに戻り政治家になるという決意だ。

マララさんは昨年、英BBC放送のドキュメンタリー番組「パノラマ 学校に通ったという理由で撃たれたマララ」で、「私の目標は平和賞をとることではありません。世界中の子供たちが学校に行けるようにすることです」と語っていた。

マララさんの口を封じようと、TTP主要組織のスポークスマンは「いつでもまた狙う」と改めて殺人予告を行った。「マララは西洋の価値観に侵されている」「西洋のイスラム批判に利用されている」という非難がパキンスタン国内にもある。

欧米諸国の軍隊が14年末までにアフガニスタンから撤退し、タリバンとの対話を始めることについて、マララさんは「戦闘では平和は達成できません。対話には賛成です」と語る一方で、「私たちがテロと戦う方法は次の世代を教育することです」と宣言。

「マララは西洋の代弁者」という批判に対し、マララさんは「私はパシュトゥン人です。パシュトゥンの文化を大切にしています」と反論している。

最後の授業

09年1月、生まれ故郷のスワット・バリーがタリバンに支配されたとき、マララさんは11歳。BBCの求めに応じ年長の女子生徒が、タリバンが支配する学校で何が起きたのかウルドゥー語でブログに書くことになっていたが、女子生徒の両親が反対した。

学校を運営していた父親がマララさんに仮名でブログを書くことを勧めた。初回のエントリーはこうつづられていた。

1月3日土曜日

「昨日、軍のヘリコプターとタリバンの恐ろしい夢を見た。スワットで戦闘が始まってから、そんな夢を見るようになった。お母さんが私に朝食を作ってくれた。私は登校した。タリバンが女の子全員に登校を禁ずるおふれを出したので、学校に行くのが怖かった。

27人クラスなのに登校してきたのはわずか11人だった。私の友達3人は家族とともに他の地方に避難してしまった。

学校から家に帰る途中、ある男が『お前を殺してやる』と言っているのが聞こえた。私は足を速めた。しばらくして男が後をつけてきていないか振り返った。私は胸をなでおろした。男は携帯電話に向かって話していた。誰かを脅しているのに違いなかった」

タリバン支配下で女の子は学校に行けなくなったが、その後、パキスタン軍がスワット・バリーを奪還した。マララさんはその後、実名を公表してパキスタンのTVに出演、堂々と女の子が学校で学ぶ権利を訴えるようになったため、タリバンから死刑宣告を受けた。

しかし、マララさんは「タリバンが私のような子供を狙うわけがない」と、タリバンを批判していた父親のことばかりを心配していた。実際に父親の友人がタリバンに銃撃されていた。

非情の銃弾

12年10月9日、マララさんら女子生徒を乗せたバスの前に2人乗りのバイクが割り込んだ。男2人はバスに乗り込み、「マララ・ユスフザイはいるか」と叫んだ。1人は以前、取材と言ってマララさんに会いに来た男だった。

周囲の何人かがマララさんの方を見た。男たちは容赦なくマララさんに銃弾を撃ちこんだ。近くにいた同級生2人も巻き添えで負傷した。

クィーン・エリザベス病院に飛行機で輸送されたマララさんは頭蓋骨の半分が取り外され、顔の半分がひしゃげていた。神経も切断され、片方の聴力を失っていたが、マララさんは取り乱さず、自分より父親の命を心配した。

医師には「父は金持ちではないので、医療費を支払うことはできないと思うの」と訴えた。

この病院ではアフガンで被弾した兵士を治療しており、24時間体制の看護でマララさんは奇跡の回復を遂げた。ほとんど元通りに笑えるようになった。

しかし、祖国パキスタンではマララさんたちの人気者だった通学バスの運転手が逮捕され、今も自宅軟禁が続いているが、肝心の犯人は逮捕されないままだ。タリバンの取り調べを行わないパキスタン当局は事情聴取のためと言ってマララさんに帰国を求めている。

パキスタンの現実

小学校に行っていない子供たちは世界で5700万人。このうち3200万人が女の子だ。パキスタンは憲法ですべての子供たちに教育を受ける権利を認めているのに、510万人が小学校に行っていない。文盲の大人は5000万人に近く、3分の2が女性だ。マララさんの母親もその1人だ。

パキスタンではマララさんの銃撃事件の後も学校に通う女の子を狙ったテロ事件が続発。アフガンとの国境に近いクエッタでは、女子生徒40人を乗せた通学バスが自爆テロで爆破され、うち14人が死亡。負傷者が搬送された病院では看護婦数人が銃撃された。

犠牲者はマララさん1人ではないのだ。

マララさんは事件後、タリバンの1人から手紙を受け取った。「タリバンがマララさんを狙ったのは教育キャンペーンが理由ではなく、イスラムのシステムを構築しようとしているタリバンの努力をマララさんがぶち壊しにしようとしているからだ」と書かれていた。

マララさんは「イスラムは女の子にも男の子にも学校に行くべきだと教えています。イスラム教の聖典コーランは私たちに勤勉であるよう説いています。イスラムは平和を求めているのです」と訴える。

銃撃の恐怖がよみがえらないと言えばウソになる。しかし、マララさんはアッラーに生かされた命を教育の普及に捧げようとしている。

一方、サティアルティ氏はインドの独立運動指導者ガンジーの伝統を受け継ぎ、子供の搾取に反対する抗議活動やデモを平和的に行ってきた。「地球規模の教育の危機を終わらせなければならない。10 億近くの人々が教育を1度も受けたことがなく、4 人に1人の女性が今も基本的な読み書きができない。しかし、それは私たちの手で変えることができるのだ」と訴えている。

参考資料

「I am Malala」Malala Yousafzai with Christina Lamb(Weidenfeld & Nicolson)

英BBC放送パノラマ「Malala Shot for going to school」

英日曜紙サンデー・タイムズ「Malala'salvaged' by British doctor」Christina Lambなど多数

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事