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産経新聞とマララさん 平和賞と憲法9条があぶりだした精神の視野狭窄

木村正人在英国際ジャーナリスト

精神の退行現象

ノーベル賞の発表も13日の経済学賞を残すだけとなった。

ノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授の国籍が米国なのか日本なのか。日本国憲法9条にノーベル平和賞が与えられるのかどうか――。

日本国内ではそんな話で盛り上がったようだが、「失われた20年」がもたらした精神の視野狭窄を浮き彫りにしているように筆者には思えてならない。ひと言で言えば、自意識過剰。

中国にアジア・ナンバーワンの座を奪われ、韓国にも激しく追撃され、一部の日本人は優越感と劣等感に支配されている。感情や願望が優先し、論理的かつ冷静に物事を考えられなくなっている。

日本の退行現象を改めて思い知らされたのが、パキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)への平和賞授賞だった。10日午後、マララさんが英バーミンガムの図書館で声明を読み上げるというので、筆者もロンドンから列車で約2時間かけて取材に駆けつけた。

「平和賞を受賞する1人はパキスタンから、1人はインドから。1人はヒンズー教を信じ、1人はイスラム教を深く信仰しています。(略)私たちはお互いに人間として思慮し、尊敬し合うべきです。私たちはみんなの権利のために、女性の権利のために、子供の権利のために、人間1人ひとりの権利のために闘わなければなりません」

マララさんは共同受賞者であるインドの人権活動家カイラシュ・サティアルティ氏(60)と電話で話したという。

「私たちはインドとパキスタンの間に強い絆が築かれることを求めています。両国が互いに戦闘するよりも平和の対話を持つことを私は望んでいます。私たち2人は両国の政治指導者を平和賞の授賞式に招待します」

マララさんの快活な笑顔は素晴らしかった。温かい家族の和が感じられた。イスラム過激派タリバンの非道な銃弾を受け、死線をさまよったマララさんが守り続ける「言論の自由」。

マララさん(右から2人目)と家族(筆者撮影)
マララさん(右から2人目)と家族(筆者撮影)

平和賞受賞決定という機会を利用して、カシミールの帰属をめぐって激しく対立する母国パキスタンとインドの和解を求めたマララさんの崇高さ、高邁な精神に身震いした。

9条に平和賞をという空騒ぎ

それにしても「日本国憲法9条にノーベル平和賞を」という空騒ぎは何だったんだ。ノルウェーの国際平和研究所(オスロ、PRIO)のハープウィケン所長が受賞予想の第1位に「9条を保持してきた日本国民」を挙げたのがきっかけだが、PRIOの予想はほとんど当たらないことで有名だ。

いったい日本と日本国民が何をしたというのだ。9条は軍事超大国・米国との日米安保条約とセットになっている。米国の強力な核の傘に守られ、米軍の後方支援に勤しんできた日本だけを取り立てて、平和賞を授与する意味がどこにあるのか、教えてほしい。

尖閣をめぐって緊張が高まる日中関係を改善させるためなら、日本と中国に共同授賞する必要があるが、2010年平和賞受賞者の劉暁波氏も釈放しない中国の何に対して、誰に対して平和賞を贈るというのか。バカも休み休み言ってほしい。平和は双方の努力なくして成り立たない。

最初からあり得ない話を日本国内の憲法改正論争に絡めて取り上げるメディアもどうかしている。東日本大震災のあった2011年にも、福島第1原子力発電所の事故後も残って作業を続けた約50人「フクシマ50」に平和賞が授与されると言い出す人がいて往生させられたが、原発事故を起こした国への授賞は考えられない。

日本は自分のことしか見えなくなってしまっている。世界から昔ほど注目されなくなっているのに、いつまでも注目されていると信じていたい自意識過剰シンドローム。この精神的な視野の狭さはどこから来るのだろう。

天地ほど違う「言論の自由」

精神科医なだいなださんによると、人間はもともと視野が狭いそうだ。それが大人になるにつれ、いろいろ学んで視野を次第に広げていく。しかし最近、日本では視野の狭くなった人が増えたように思えてならないのは気のせいか。

マララさんは声明の中で「言論の自由」について次のように語っている。

「世界には教育を受けていない子供たちが5700万人もいます。私は他の誰かを待っていることはできませんでした。私には2つの選択肢しか残されていませんでした。自分の意見を言わず、殺されるのを待つか。それとも自分の意見を述べてから殺されるか。私は2番目の道を選びました」

マララさんは命懸けで守りぬいた「言論の自由」を使って、子供たちに平等に教育を受けさせることで貧困問題を解決したいという普遍的な理念とパキスタンとインドの友好を訴えた。マララさんはまだあどけなさが残る17歳である。

平和賞授賞を知らされたとき、化学の授業で電気分解を学んでいた。教師からニュースを知らされたあとも物理学や英語の授業を受け、学校が終了してから図書館にやってきた。声明は英語、ウルドゥー語、パシュトー語の3カ国語で読み上げた。

一方、前ソウル支局長の在宅起訴という代償を払ってまで貫いた「言論の自由」で産経新聞は何を達成しようとしているのだろう。韓国政府は「外交とは関係ない」と説明するものの、産経新聞と朴槿恵大統領がこのまま非妥協的なチキンゲームを続ければ、日韓関係に響かないわけがない。

同じ「言論の自由」という言葉であっても、その質や意味するところは天と地ほどの開きがある。マララさんの「言論の自由」はすべての子供たちに教育をという理想を建設しようとしている。産経新聞の「言論の自由」は自己の正当性を主張するために使われている。記事の根拠となったウワサ話は後にウソだったことがわかっている。

「歴史戦争」というワケのわからない産経新聞と朴大統領の不毛な争いに巻き込まれることを涼とする人は日韓両国にどれだけいるのだろう。

「日本固有」の論理

科学が常に進歩するように人間の精神や知性、社会は進化し続けると筆者は最近まで信じて疑わなかった。

しかし、日本は退化している。精神の退行現象が明らかになってきている。人間には先天的なものと、後天的なものがある。どちらを大切にするかで社会のありようは随分変わってくる。

血のつながりを重んじるのか、それとも社会との契約を尊重するのか。国籍の血統主義への異常なまでのこだわり。政治の世襲にみる血縁、地縁など縁故が優先されるムラ社会の論理。

永田町は、ドイツでいうゲゼルシャフト(打算的な契約関係を特色とする社会)からゲマインシャフト(血縁、地縁などで結ばれた社会)に逆行している。

「日本固有の領土」「日本固有の文化と伝統」を守ろうという声が日本国内では次第に勢いを増してきている。言い換えると相手が折れない限り、交渉の余地はないということだ。

日本と韓国の政治家やメディアからは相手を非難する言葉が洪水のように聞こえてきても、こじれにこじれてしまった日韓関係を改善させようという意思はまったく感じられない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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