日本は「フットボール・フォー・ピース(平和のためのサッカー)」を発信しよう
米国と英国で突出した心ない書き込み
前回のエントリーで、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)の決勝で米国に2―5で敗れた「なでしこジャパン」に対し、「パールハーバー(真珠湾)」や「ヒロシマ」「ナガサキ」と結びつける心ないツィートがあふれたことを紹介した。
グーグルトレンドを使って、米国でこの1週間、「パールハーバー」(青色)、「ヒロシマ」(赤色)、「ナガサキ」(黄色)がつぶやかれたか調べてみた。決勝前後に3つの言葉がインターネット上で氾濫したことが手に取るように分かる。
他の国ではどうだったか調べてみたが、米国と同じような傾向を示したのは準決勝でイングランドが日本に1-2で敗れた英国だけだ。
英国では「ヒロシマ」が断トツで多く、次いで「ナガサキ」。「パールハーバー」はそれほど多くなかった。サッカーの母国・英国では差別撤廃に取り組んでいるものの、ナショナリズムが高揚するW杯や五輪では対戦国の国民感情を逆なでするような書き込みが依然として目立つ。
奇跡のサッカー休戦
昨年は第一次大戦の開戦からちょうど100周年に当たる節目の年だった。1914年のクリスマスに起きた「奇跡のサッカー休戦」についてご存知の方も多いだろう。
その年、英軍のアルフレッド・デューガン・チャター少尉(故人)は凍りつく西部戦線の塹壕からクリスマスの12月25日、母親に宛てて手紙を書いた。
「朝10時ごろ、塹壕からのぞいていると、ドイツ兵が1人両手を振っているではありませんか。彼らはライフルを持っていません。2分もすると英軍とドイツ軍の間の最前線は、手を握り合ったり、互いにクリスマスを祝ったりする両軍の兵士や将校で埋まりました」
クリスマス休戦では、上司の命令に背き、無人の中間地帯でサッカーの親善試合が行われた。英大手スーパー、セインズベリーは昨年、クリスマス休戦サッカーをもとにクリスマス広告を制作して話題を呼んだ。
スポーツは強烈な国民感情を呼び覚ます。1969年、W杯予選で対戦したエルサルバドルとホンジュラスが国民感情のもつれから国交を断絶し、実際に戦闘に突入したこともある。(サッカー戦争)
戦火のサラエボで誕生したブバマラ
旧ユーゴスラビア諸国の1つ、ボスニア・ヘルツェゴビナ。旧ユーゴ崩壊の過程で、ボスニアは92~95年、イスラム教徒、セルビア正教徒のセルビア人、カトリック教徒のクロアチア人が血で血を洗う内戦を繰り広げ、死者20万人、難民・避難民250万人以上を出した。
ボスニアの首都サラエボはセルビア人勢力に包囲され、200万発の迫撃弾が撃ち込まれた。内戦の最中、サラエボの体育館で「ブバマラ(テントウ虫の意味)」と呼ばれる少年サッカークラブが誕生した。
六角形と五角形を組み合わせたサッカーボールのデザインはテントウ虫の背中に似ている。それが「ブバマラ」というクラブ名の由来だ。ボスニア代表の長身ゴールゲッター、エディン・ジェコもブバマラで練習したサッカー少年の1人だった。
旧ユーゴ代表の快速ウィング、プレドラッグ・パシッチ氏がブバマラの創設者だ。セルビア人のパシッチ氏は内戦が勃発時、イスラム教徒の妻と結婚していたが、関係は破綻した。パシッチ氏は2人の娘とともに地下室生活に入った。
絶望的な状況の中で子供たちに希望を与えたかった。「夢中になってサッカーボールを追いかければ、子供たちは笑顔を取り戻せる。サッカーが民族や宗教の壁を取り除いてくれる」。バラバラに引き裂かれたボスニアのためにできることは何かと自問したとき、サッカーしか思い浮かばなかった。
パシッチ氏は現役時代、強豪クラブのFKサラエボに所属していた。あまり知られていないが、旧ユーゴ国際戦犯法廷で民族大量虐殺などの罪に問われているセルビア人勢力の政治指導者ラドバン・カラジッチ被告はFKサラエボで心理コーチを担当していた。
「彼の専門はスポーツ心理学で、常々、勝利の心理学を私たちに説いていた。イレブンに1つのチームになって戦えと指導していた。政治の世界に足を踏み入れてから、カラジッチはセルビア人とセルビア正教のことしか語らなくなってしまった。セルビア人がイスラム教徒とクロアチア人を殺戮するなんて、想像もできなかった」
プロパガンダに悪用されたサッカー
サッカーは各民族の政治指導者によるプロパガンダの手段として悪用された。タダで入場券がばらまかれ、サッカー場で他の民族への憎悪をかき立てるアジ演説が行われた。「われわれが民族の権利を守ってやる」。フーリガンは暴徒化し、民兵組織に早変わりして殺戮に火をつけた。内戦でサッカー場はおびただしい遺体を埋葬する墓場に変わった。
1995年の停戦後、ボスニア・サッカー連盟は長らく民族ごとに3つに分裂していたが、元日本代表監督イビチャ・オシム氏が正常化委員長に就任し、W杯初出場を成し遂げた。「この幸せがいつ壊れるかと考えると怖くなる」と、サッカーを通じて祖国の和解に取り組むオシム氏は語る。
強烈な感情を覚醒させるサッカーは対立のシンボルにも、困難な和解の原動力にもなる。なでしこジャパンも、サムライブルーもサッカーを通じて和解と平和のメッセージを送り続けてほしい。
(おわり)