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ますます不思議になってくる英国「子育て」奮闘記

木村正人在英国際ジャーナリスト
英サリー州の牧場で。3人の子供たちに見えるものは三者三様(浅見さん提供)

5年前、起業を思い立った夫とともに英国に移り住んだ浅見実花(あさみ・みか)さんは双子の母であり、大手広告代理店に勤める「キャリアウーマン」でした。しかし、日本でのキャリアを捨て、英国で次男を出産、子供3人の母として、文化や習慣がまったく異なる不思議の国・英国で子育てを体験します。同じ島国なのに、どうして英国と日本はこうも違うのか。双子を日本で出産した経験のある実花さんは「不思議の国」に迷い込んだアリスのような気持ちになります。不思議を解き明かそうとすればするほど、次から次へと不思議が増えてきます。英国での不思議をまとめた子育て奮闘記『子どもはイギリスで育てたい!7つの理由』(祥伝社)についてお伺いしました。

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――東京では共働きで、1歳の双子は週5日、保育所に通っていたそうですね。渡英されてから次男を出産されました。不安はありませんでしたか

「いろいろ不安がありました。まず1つは、慣れない環境での出産です。これは、現地で出産経験のある日本人のお母さんや看護師さんにお話を伺えたことで、何とかなりそうだと思えるようになりました。それから、妊娠中に大学院のコースを修了させるというプレッシャーもありました。結果的には、出産前後で休学し、産後に次年度の学生に交じって卒業しました。」

――ジョージ王子とシャーロット王女を出産したキャサリン妃の退院があまりに早いので大丈夫かと日本で大きな話題になりました。実花さんもすぐに退院されましたか

「はい。私はちょっと問題があって2泊しましたが、だいたいの人が1泊で、自宅安静が基本です。入院中も、日本のように、スタッフによるきめ細かな気遣いや、美味しい病食には出会えませんでした。ただ、産婦や赤ちゃんに何か問題が起きたときには、選択肢が示され、『あなたはどうしたい?』と個人の意志をはっきり聞かれることがあり、印象に残っています。英国には、妊婦や母親自身の意志をできる限り尊重することが、医療現場で重視されてきた歴史があります」

――英国の「妊娠の手引き」には「親は子を本能的に愛せるわけではない」と書かれているそうですね。これはどういうことでしょう。子供殺しの犯人の多くが親だとも言われています

「親は我が子を本能的に愛せるわけではない――私自身、この記述を読んでハッとしました。親は、産まれた瞬間から我が子を愛して当然なのだと、どこか思い込んでいた気がして。それに、天下の保健省がこのような文章を公式手引きに載せるのですから驚きでした。実際、思い描いていたような親になることができずに苦しむ親も少なくないと紹介されています」

「ある英国のTV番組が印象に残っています。動物の産まれる瞬間を取材したドキュメンタリーで、ある農場でこんな光景がありました。妊娠した雌牛は、自分がまもなく赤ちゃんを産むのだと分かっていません。そのためにお産が一向に進まないのです。さらに、お母さん牛はやっとのことで産まれた赤ちゃんを絶えず押しのけます」

「それを見て、農場のマネージャーがこう言ったのです。『みんなそれぞれ違っているんだよ。すぐに母親になれる準備ができている牛もいれば、とんでもなく時間がかかる牛もいるんだ』。たかが動物の話かもしれませんが、親になるということについて考えさせられます」

テムズ川沿いをスクーターで駆け回る子供たち(浅見さん提供)
テムズ川沿いをスクーターで駆け回る子供たち(浅見さん提供)

――日本では妻はこうあるべきだ、母はこうあるべきだという固定観念に縛られ、雁字搦めになる女性が少なくないように思います。「子どもはイギリスで育てたい!7つの理由」の1つに「お母さんらしく、妻らしく、なくていい」を挙げられていますが

「ここではやや厳しいお答えになってしまうかもしれませんが、日本で母親を務め上げるには独特の苦労がいるように感じます。お母さんらしく、妻らしくあることが、社会で共有された暗黙の期待として今なおあるからです。周囲に敏感な女性であれば、固定観念により縛られやすくなるかもしれません」

「みんなが一様に目指すべき姿という鎧を外し、それぞれの女性が、自身や家庭のニーズに合わせて自然に立ち回ることを許容する社会の土壌があると、女性もずいぶんラクになるのではないでしょうか。男性についても、あるべき姿をめぐって、同じことが言えるかもしれません。著書では、育児に限らず、社会の多様性についても紹介しています」

「私がイギリスらしいと思うのは、母親も『人間らしく』いればいい、ということです。そう言われると、なんだ、当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、妻らしく、母らしくなくていい、というのは、思いのほか気楽です」

「パリ出身の女性たちと話すと、パリでは『女らしく』というプレッシャーが強いそうです。違いが興味深いですね。ただ、イギリスの、母親だって人間なんだから〜、という観点には、ちょっとした救いがあるように思い、私は何だかホッとしてしまう。みんなが全方位で完璧になど、なれないのです」

――英国では母親が公衆の目を気にせず、授乳している姿を良く見かけます。地下鉄やバスでもベビーカーを利用する人が多いですね

「そうですね、日本とは違う面があります。私も気になって仕方なく、自分なりにいろいろ調べながら文章にすることになりました。なぜ、外出先でも堂々と授乳できるのか。なぜ、公共交通機関でもベビーカーが広く利用されているのか。子連れに限った話ではありません。車椅子や、折りたたみ式自転車の人も、公共交通機関を利用します」

「違法なことをしていなければ、誰もが肩身の狭い思いをしなくてよいのでしょう。著書では、育児だけでなく、多様な社会、ダイバーシティについて言葉に表わすという挑戦をしました。読んでくれた方が多様性についても考えられる本になったらといいなと思います」

――ロンドンで3歳未満の子供を週5日フルタイムで保育所に預けると毎月800~1300ポンド(13万9千~22万5千円)かかるそうですね。日本と比べて高いように感じられますが、それでも子供を預けて職場復帰する母親が英国で多い理由は何でしょう

「本でも書かせて頂きましたが、まず、長い目で見たときの経済合理性があると思います。たとえ短期的に家計は赤字となっても、いつか子供は手がかからなくなるので、女性が出産や育児を機に職を失わずに働き続ければ、長期的には稼ぎもプラスに転じます」

「加えて、人によってさまざまな動機があり得ます。さきほどの『人間らしく』にも関わってきますが、母親であっても、社会とつながりを持ったり、仕事への情熱を持ったりしてよいのです。大事なことは、復職するかどうかはその人と家族の決断であり、他人がとやかく言うことではないということです。あなたにとって正しい選択かどうか――これは英国の『育児の手引き』にも書かれています」

――英国で暮らしていると「いい加減」だとうんざりさせられることもありますが、すべてがきっちりしているより「良い加減」な社会の方が、融通が利いて暮らしやすいことに気付かされます。出産と子育てを英国で経験されて、日本へのヒントは見つかりましたか

「まさにそうだと思います。著書では、子育てだけでなく、教育についても後半で扱っています。教育現場でも、いい加減でトホホな場面はあるのですが、ちょっと立ち止まって、本当に大事なことは何だろうと考えてみると、なんだ、本質的な部分は外していないじゃないか、と気づかされることがあります」

「それ以外の部分は『いい加減』かもしれませんが。『良い加減』というのは、本質的なところはきちんと力を入れ、そうでないところは抜く、ということでしょうか。そこには柔軟性があります。すべてが詳細に決められたことを粛々とこなすより、自分の頭で考え、自ら行動する」

「そのことが英国の教育という文脈にも沢山転がっていると感じました。子育てや教育に限らず、あらゆることにおいて本質的なことだと思いますし、今の時代の要請でもあると思います。もちろん自戒も含めてですが、私たちはもっと自分の頭で考えることを、楽しんでよいのではないでしょうか。仕事でも、家庭でも。育児でも、教育でも。それがどんなに些細なことであったとしても」

――お仕事はもう始めておられますか。出産後、いつごろから仕事を再開されましたか

「大学院に通っていましたので、産後8カ月でコースに復帰しました」

――21世紀の男性に一番求められるのは家事・育児のスキルだと言われます。お互いにキャリアを持つカップルが増え、家事・育児も分担しなければ、家庭崩壊の危機に見舞われかねません。英国の夫や父親の役割についてはどう思われますか

「英国の小学校の送迎風景を眺めていると、朝はお父さんの姿もかなり見られます。始業時刻は9時頃が一般的ですが、お父さんたちはそこから出勤するわけです。子供が幼いうちは在宅勤務を取り入れるお父さんもいますし、主夫も普通にいます。いろいろなお父さん、お母さんがいていいのです」

「それから、家事・育児の分担も重要ですが、夫婦そろってガンガン働く家庭では分担にも限界があるので、家庭外へのアウトソースも、選択肢の1つとして真剣に検討されてよいのではないでしょうか。夫婦が熱心に働く英国の中流家庭では、家の掃除といえばほぼ外注です」

「日本の有職女性の睡眠時間が世界でも最低レベルであるというのは有名な話ですが、フルに仕事をしながら家事・育児までこなせるのは、睡眠時間を削って調整しているからです。しかし、どう逆立ちしても1日は24時間で、私たちはうち数時間、睡眠を必要としています。ここでも、『妻らしく』『母親らしく』からマインドセットを切り替えていく必要があるのかもしれませんね」

(おわり)

浅見実花(あさみ・みか)群馬県生まれ。大学卒業後、大手広告代理店のマーケティング部門に勤務。退職後、2010年に、イギリスで起業する夫とともに移民として家族4人で英国へ移住する。渡英後、次男を出産するとともに、マーケティング修士号を取得。現在、ロンドン郊外に暮らし、日英両国でマーケティング・リサーチに従事している。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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