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小池都知事は日本のパンクハーストになれるか 女性の政治参加は、闘争か協調のどちらが正解

木村正人在英国際ジャーナリスト
小池百合子都知事 2017年最初の定例会見(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

新党で安倍首相に真っ向勝負か

安倍晋三首相が東京都の小池百合子知事と10日、首相官邸で会談します。昨年7月の都知事選で圧勝した小池知事は都議会自民党と対立、今年6月の都議選に自身の政治塾から候補を擁立する準備を進めています。小池知事誕生後、停滞した2020年東京五輪・パラリンピック準備に加え、焦点となる都議選への対応をめぐり意見が交わされます。

小池知事の政治手法は、和を以て貴しとなす日本的な協調路線と正反対の、ケンカ殺法つまりは闘争路線です。国政で1強を謳歌する安倍首相にも真っ向勝負を挑むつもりでしょうか。興味津々です。都議会のドンである自民党都連幹事長、内田茂都議の影響力を排除しないと小池カラーを出すのは難しいでしょう。

都議選で自民党都連と小池新党が激突すると保守分裂選挙になります。野党勢力に付け入る隙を与えるのか、それとも蓮舫党首誕生後も支持率が伸び悩む野党・民進党を尻目に保守対決でさらに保守層への支持を拡大する結果となるのでしょうか。

闘う女性政治家

築地市場の豊洲移転問題、東京五輪の競技会場見直しで小池知事が今後、混乱を収めていけるのか、待機児童、介護対策をどこまで拡充できるのかはまったく未知数です。ただ間違いなく言えることは小池知事にとっても安倍首相にとっても都議選が非常に大きな山場になるということです。

小池知事は05年の郵政解散で時の小泉純一郎首相から造反組の東京10区に落下傘候補として擁立され「刺客選挙」としてメディアに大きく取り上げられました。小池氏自身も当選し、刺客候補は大きな戦果をあげました。今回の都議選で小池知事が同じ戦法を取ろうとしているのは明らかです。

小池知事のケンカ殺法を見ていると、20世紀初頭、英国の女性参政権運動をリードした女性闘士エメリン・パンクハースト(1858~1928年)を思い浮かべてしまいます。

パンクハーストに率いられ、女性参政権を求めた労働者階級の女性たちを生々しく描いた英国映画『未来を花束にして』が1月27日、首都圏の映画館で公開されるので、ご覧になると勉強になると思います。

サフラジェッツって何?

舞台は1912年のロンドン。劣悪な労働環境の洗濯工場で働く主人公の女性モードは同じ職場の夫サニーと幼い息子の3人で暮らしています。当時、パンクハースト率いる「女性社会政治連合(WSPU)」は投石や破壊など過激な運動を展開していました。「サフラジェッツ」と呼ばれる女性参政権運動の活動家はテロリスト扱いされます。

監視対象となった女性活動家の写真(ナショナル・ポートレート・ギャラリー提供)
監視対象となった女性活動家の写真(ナショナル・ポートレート・ギャラリー提供)

運動に参加する前の主人公モードは、日本映画『あゝ野麦峠』(1979年公開)のみね(大竹しのぶ)とよく似ています。

映画は女性には大きく分けて2つの生き方があることを教えてくれます。男が支配する封建社会で従順に生きるか(安倍首相の秘蔵っ子、稲田朋美防衛相タイプ)、それとも女性の権利を求めて徹底的に戦う(非妥協的に既得権政治に挑む小池知事タイプ)か。

パンクハーストは男社会に協力して改革を進めようとしても結局は騙されて利用されるだけだと主張します。最初は大人しかったモードはパンクハーストの演説を聞いて女性の権利に目覚めます。

法律を変えないと何も変わらない

しかし労働者階級の女性は抗議活動に参加しただけで逮捕され、全裸の身体検査を強いられます。夫からは放り出され、息子と面会することも許されませんでした。当時の英国では、経済力のない女性には男性と同じ法的な権利が認められていなかったのです。

法律を変えないと女性の権利は認められない。男も女も尊重される社会は実現されない。そのためには女性が政治に参加することが必要だというのが女性参政権の原点です。

19世紀末まで英国では、女性は夫の所有物に過ぎませんでした。女性は上位階級の「既婚女性」と下位階級の「売春婦」、そして「余分の」と呼ばれる女性たちに区別されていました。そんな封建社会の中で女性参政権運動は生まれてきます。

バッキンガム宮殿前で逮捕されるパンクハースト(同)
バッキンガム宮殿前で逮捕されるパンクハースト(同)

マンチェスターの中産家庭に生まれたパンクハーストは女性参政権運動を支持する弁護士と結婚。1894年に地方選挙で既婚女性の参政権を認めさせるのに成功し、WSPUを設立します。しかし英国の男社会は冷淡でパンクハースト率いる女性参政権運動は過激化していきます。

凄まじかった闘争

1908年、WSPUメンバーが下院に突入、パンクハーストを含め24人が逮捕されます。09年以降は政府機関の建物や高級店への投石を開始。12年、公立美術館での絵画切り裂き、教会への爆弾投げ入れ、放火、郵便ポストへの薬品注入など一気にエスカレートします。

投獄されると釈放を勝ち取るためハンガーストライキ闘争に入る女性の鼻や口にはチューブが差し込まれ、強制的に食物が注入されました。

1913年、競馬の「ダービー」で国王ジョージ5世の所有する馬の鞍をつかもうとした女性運動家が死亡するという事件が起きます。第一次大戦が勃発する14年夏までに投獄された女性参政権運動家の数は実に1千人以上を数えました。

しかし第一次大戦で大きな転機を迎えます。WSPUは「男は闘いなさい、そして女は闘いなさい」のスローガンを掲げ、戦時労働への貢献を約束します。18年には一定の女性に選挙権が、28年に男女平等の普通選挙権が与えられます。

市川房枝さんもパンクハースト人形を持っていた

市川房枝記念会の久保公子(くぼ・きみこ)女性と政治センター事務局長によると、日本の女性運動を主導した市川房枝さん(1893~1981年)は寝室にパンクハースト人形を飾っていました。

パンクハースト人形(公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター所蔵)
パンクハースト人形(公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター所蔵)

市川さんはパンクハーストのように過激な闘争路線はとらず、穏健なミリセント・フォーセット夫人(1847~1929年)の女性参政権協会全国連盟(NUWSS)の路線(サフラジスツ)を目指します。

英国では富裕層、中産階級の夫の理解を得た女性参政権運動は穏健となり、労働者階級の女性が中心となったサフラジェッツは先鋭化する傾向が強かったのです。

日本で女性参政権が認められたのは戦後ですから、戦前に爆弾闘争も辞さないパンクハーストのような闘争路線をとるのは賢明でなかったのでしょう。

下院の女性議員の割合159位の日本

女性と政治センター事務局がまとめた世界女性国会議員比率ランキングで日本は下院(衆議院)193カ国中159位(女性議員の割合は9.3%)、上院(参議院)77カ国中41位(20.7%)。英国は下院48位(29.6%)、上院28位(25.5%)です。

女性地方議員の割合は12.1%です。女性参政権が認められてから70年余が経ってもこの程度しか女性の政治参加は進んでいません。英国の下院女性・機会均等特別委員会は2020年までに女性議員の数が劇的に増えなければ30年までに政党は少なくとも45%の選挙区に女性候補を立てるよう法律で義務付けるべきだと提言しています。

出所:厚労省データより筆者作成
出所:厚労省データより筆者作成

日本でも専業主婦世帯が減り、共働き世帯が増えていますが、まだ専業主婦世帯が700万世帯近くもあります。女性が男性と同じような仕事に就くことができ、同じ賃金をもらえるようになったら、国民1人当たりの国内総生産(GDP)が増え、日本社会も日本経済も息を吹き返します。

これからの世代は子育て、介護と大変です。男も女も同じ待遇で働ける社会を築いていくには、女性目線で女性の生き方、働き方をサポートする法律を作ることが不可欠です。そのためには女性議員を増やさなければなりません。権利とは男性政治家や霞が関の役人から与えられるものではなく、女性の手で勝ち取るものです。

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」

これは女性解放運動指導者、平塚らいてう(1886~1971年)の言葉です。女性がさんさんと輝く太陽になるためには政治意識に目覚め、国権の最高機関である国会で戦うことが必要だと思います。

(おわり)

『英国における女性参政権運動の高揚について』(本間ひろみ)

『WSPU(女性社会政治連合)と英国の婦人参政権運動』(富田裕子)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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