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選手だって「加害者」になりたくないはずだ。

谷口輝世子スポーツライター
ファウルボールを捕球しようとするファン(写真:ロイター/アフロ)

メジャーリーグは9日(日本時間10日)、観客が安全に観戦できるよう防球ネット拡張のガイドラインを示し、全球団に推奨した。

メジャーリーグの球場はこれまでバックネットのみの設置が一般的。しかし、ファウルボールや折れたバットがスタンドに飛び込み、観戦中のファンに当たって大けがをする事故が発生していた。ガイドラインでは両ベンチ端までネットを拡げるよう勧めている。

FOXスポーツが今年6月に報道したところによると、メジャーリーグ選手会では2007年と2012年の労使交渉で、オーナー側に防球ネットを拡張するように求めていた。しかし、オーナー側はこの要求を拒否していた。MLB players: Broken-bat injury could have been prevented

選手だって「加害者」にはなりたくないのだ。スタンドに飛び込んだボールやバットが観客に当たることは「事故」である。それでも、自分の放った打球やバットが大けがの原因になったら、心穏やかでいられるはずはない。

2002年、プロアイスホッケーリーグのNHLではシュートしたパックが観客席にいた13歳の少女の頭部に当たり、2日後に死亡するという事故があった。

シュートしたのは、ノルウェー出身でコロンバスブルージャケッツでプレーしていたエスペン・クヌッセン選手だ。

シュートした瞬間には何が起こったか選手も周囲も分からなかった。いつものシュートと同じだった。パックが当たった少女は当初、意識もはっきりしていて、病院へいって縫合手術を受けるだけとされていたので、その時点では誰も、少女とともに観戦した家族もそれほど深刻には受け止めていなかった。

ところが容態が急変して少女は亡くなってしまった。

死亡の知らせを受けたクヌッセンはロッカールームの端で泣き続けたという。チームメートが「事故であって、君のせいではない」といって慰めたが、クヌッセンは、もはや以前と同じようにプレーできなくなってしまった。

事故の直前にはオールスター戦に選出された選手だったが、事故の後は大不振に陥り、2005年にNHLからは引退した。たとえ自分の放ったシュートでなくても、パックが観客席のほうへ飛んでいくのを見るだけで、自分が放ったシュートが少女に当たったあの日の、あのプレーを思い出し、胸がしめつけられたという。

何度も遺族に連絡を取ろうかと思い悩んだが、遺族の感情を逆なでするのではないかと踏み切れなかった。引退後はノルウェーに帰国していた。参考記事コロンバスディスパッチ2010年3月21日

事故からおよそ9年が経過した2010年暮れにクヌッセンはようやく遺族に会った。亡くなった少女の家族も、クヌッセンも9年間、悲しみを背負って生きてきた。

面会は地元の新聞社がセッティングしたもので、その時の様子を報道している。A day for easing old hurts

その記事によると、少女の母親はクヌッセンに「あれは事故でした。どうぞ自分を責めないでください。私はずっとこのことをあなたに言いたいと思っていたのです」と話しかけた。クヌッセンは「あなたたちに会えて有難く思っています」などと話したそうだ。

NHLは少女の死亡事故の直後に、全チームに対して防御ネット設置を義務付けた。

当時は防御ネットを取り付けたために試合が見えにくくなったという抗議も多かったという。今、事故から10年以上が経ち、防御ネットについての不満の声が取り上げられることもなくなった。

メジャーリーグのネット拡張に反対するファンはいる。ネットに視界を遮られたくない、ボールがスタンドに飛び込んでくる臨場感を味わいたい観客はいる。打球の行方に注意を払っていれば、事故は避けられるという考えも、間違いではないだろう。

しかし、ネットを拡張しても、各球場がファンの安全性と臨場感を両立できるように努力しつづける限り、時間の経過とともに観客もこれを受け入れ、新しい観戦スタイルを楽しむことができるようになるのではないか。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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