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イチロー選手があと23本。3000本安打達成、3000本安打クラブの概念はいつ生まれたのか。

谷口輝世子スポーツライター
(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

マーリンズのイチロー選手が13日のパドレス戦で3安打を放ち、ピート・ローズの持つ歴代最多4256安打まで日米通算であと1本に迫り、メジャー通算3000本安打まであと23本とした。

現時点でメジャー通算3000本安打を達成しているのは、29人。1位がピート・ローズの4256安打、29位がロベルト・クレメンテで3000本。クレメンテは1971年9月30日のメッツ戦で3000本安打を達成し、その年の12月に飛行機事故でなくなっている。

3000本安打を達成したシーズンで引退している選手もいるが、その一方で3000本安打に届かず2900本台で引退している選手もいる。

30位 ライス 2987 最終年1934

32位 クロフォード 2961 1917年

33位 ロビンソン 2943 1976年

34位 ボンズ  2935  2007年

35位 ベックレー 2934 1907年

36位 キーラー 2932 1910年

37位 ホーンスビー 2930 1937年

38位 シモンズ 2927 1944年

フランク・ロビソンの引退は1976年、バリー・ボンズの引退は2007年。しかし、他の6選手はいずれも1940年代以前にプレーした選手だ。1900年代前半にプレーした選手たちは自身の通算安打数を把握していなかった選手もいるようだし、この時代には「3000本安打達成」というコンセプトがなかったために、2900本台で現役を引退してしまったという選手もいるのかもしれない。

サム・ライスは1983年の「クーパーズタウン」という年間誌に「私が引退したときには3000本という数字は全く重要視されていなかった」と述べており、自身の通算安打数についてはっきり把握できていなかったことが見受けられる。

3000本にラインを引き、達成した選手と達成できなかった選手のプレーした時代を見ると、サム・ライスの言葉を裏付けているような気がする。

歴代最多安打の22位のビジオから30位のクレメンテまでの8選手は(何とか3000本の大台に乗せたとも言える)全て1970年以降に引退した選手たちだ。

22位ビジオ 3060 最終年07年

23位ヘンダーソン 3055 03年

24位カルー   3053 1985年

25位ブロック 3023 1979年

26位パルメイロ 3020 05年

27位ボッグス 3010 1999年

28位ケーライン 3008 1974年

29位クレメンテ 3000 1972年

通算3000本安打はメジャーリーグで長期間にわたり、多くの打席に立ち、打者として活躍できた証だ。だからこそ、通算3000本安打は野球殿堂入りへの確実な基準と言われている。

米国の野球殿堂入り選出は1936年から始まっている。当然のことながら、それ以前は殿堂入りがないことから、殿堂入りの基準としての3000本安打というコンセプトもなかったはずだ。

1940年代には第二次世界大戦に従軍していたため、打席数が少なくなってしまった選手もいるだろうし、野球のゲームの質、グラウンドの違い、天然芝、人工芝の流行なども関連しているのかもしれない。

1921年にはタイ・カッブが3000本安打達成。1925年にはエディー・コリンズ、トリス・スピーカーの2選手が3000本安打達成するも、30年代はゼロ、40年代はポール・ワーナーだけ、50年代はスタン・ミュージアルだけ。60年代はゼロ。

1970年にハンク・アーロンとウィリー・メイズの2選手が3000本に到達。72年にロベルト・クレメンテ、74年にアル・ケーライン、78年にピート・ローズ、79年にルー・ブロックとカール・ヤストレムスキー。7人が達成。

ちなみに1921年のタイ・カッブ以前の達成者は3人。

ブックス・グーグルで「3000本安打クラブ」を書籍・雑誌を検索したところ1973年にJetsという年間誌に「クレメンテは3000本安打クラブのウィリー・メイズから祝福された」という記述があり、この検索結果からはこの記述が最も古いもののようだった。

ただし、「3000本安打クラブ」という言葉がいつから使われるようになったのかは私にははっきり分からない。

もしかしたら、70年にメイズ、アーロンが3000本に到達し、クレメンテが3000本を達成した直後の1972年に事故で亡くなったことから、70年代以降に3000本という数字が史上最高打者たちを語るための基準としてクローズアップされたのかもしれない。

80年代の達成者はロド・カルーだけ。70年代に多数の3000本達成者が出たとはいえ、そうそう簡単に達成できる記録ではないからか。90年代は7人が達成、00年代は4人、2010年代は今のところはデリック・ジーターとアレックス・ロドリゲスの2人。

グーグルには「Nグラム・ビューワー」というシステムがある。これはグーグルがスキャンした数百万冊の書籍の中に登場する単語の出現頻度を年ごとにプロットするシステムだ。

これで3000 hits と入力した。

3000 hits

これによると、1937年に初めて3000hitsという単語が書籍で使われているようだ。

野球以外の書籍で3000hitsという単語も使われているので1937年の書籍に出てきた単語が野球に関するものだったかどうかは分からない。N・グラムビューワーではどの書籍で単語が出てきたかについても調べられるようになっているが、1944年発行のThey Played the Games という本で、「3000本近いヒットを打った」という表現が出てくる。前後の文章からウィリー・キーラーを指していると思われる。

メジャーリーグの歴史は100年以上前にさかのぼるが、記録の捉え方も時代によって変わるのだろう。

19世紀末から20世紀前半にプレーしたセピア色の中の好打者たちの中には、自分の通算成績や3000本安打クラブの存在を知っていたら、もう少し踏ん張ったのにと、天国から思っている人もいるかもしれない。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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