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イチロー、本拠地で3000本安打達成か。「ホームタウンの敵地」で記録を達成したケーライン氏に聞く

谷口輝世子スポーツライター
3000本安打達成者で殿堂入り選手のアル・ケーライン氏。(写真:ロイター/アフロ)

マーリンズのイチロー外野手が26日(日本時間27日)のフィリーズ戦の八回に左前打を放ち、通算3000本安打まであと3に迫った。

大記録まで残り4本で本拠地10連戦を迎えたイチロー。10連戦の5試合目だった26日はスタメンに起用されて1安打を記録したが、27日は出場機会がなかった。ホームの残り4連戦で達成できるかどうかはマッティングリー監督の起用に依るところが大きいだろう。

3000本安打達成を「ホームタウンの敵地」で達成した選手がいる。

1953年から74年までタイガースでプレーし、通算3007安打を記録した殿堂入り選手のアル・ケーライン氏だ。

今から42年前のこと。ケーライン氏は3000本安打達成に迫ったある日、タイガースのオーナーに質問をぶつけたそうだ。

「本拠地の試合まで達成を待ったほうが良いかと聞いたんだよ。ファンが喜んでくれ、お客さんもたくさん入ってくれるからね」。

タイガース一筋にプレーし、ミスター・タイガーと呼ばれているケーライン氏。球団の顔であることを自覚していて、デトロイトのファンの前で達成したほうが、興行的にも良いし、ファンとも喜びを分かち合えると考えた。本拠地でのシーズン最終6連戦で達成できればと思っていた。

「でも、オーナーは打てる試合で打てば良いという返事だったんだ」。

ケーライン氏が3000本安打を達成したのは1972年9月24日の敵地ボルチモアのオリオールズ戦。

「偶然にもボルチモアで達成できたのは私にとっては幸運だった。ボルチモアは私の生まれ育った故郷だからね。タイガースのファンの前ではなかったけど、私の父や母、多くの親戚、高校時代の友達、子どものときの野球仲間たちが来てくれたんだよ」。

ボルチモアで過ごしたケーライン氏は少年時代には貧しい暮らしをしていたそうだ。親戚のなかにはセミプロでプレーしていた人が何人かいたが、メジャーリーガーになったのはケーライン氏だけ。生まれ育った街で、両親や親戚、友人らが見守るなかヒットを打つことができたのは忘れられない特別な思い出になった。

ケーライン氏は3000本安打達成を生まれ故郷のボルチモアで達成できたことは幸運だったと振り返るが、3000本安打を打つことができる打者についてはこんなふうに捉えている。

「3000本のヒットを打つということは、幸運だったとか、ラッキーだったとか、そういうものが入り込む余地はあまりない。1、2年だけものすごくよいシーズンを送ったというだけでは達成できないことだから。長年にわたって健康で試合に出場し続けて、プレーし続けたいという気持ちをずっと持っていなければできないことだからね」。

ケーライン氏は3000本安打を達成したシーズンを最後に引退した。39歳だった。

「あのシーズンを最後に引退しなければいけないことは分かっていた。私はかなりいい選手だったのだけど、以前はできていたプレーが少しずつできなくなって能力が衰えつつあることを感じていたから。3000本を打って引退したいと思った」。

81歳のケーライン氏は球団のゼネラルマネジャー特別補佐として球場に出勤している。クラブハウスで若い選手に声をかけ、打撃練習を見守る。3000本安打を達成して現役引退したが、球界からはまだ引退はしていない。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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