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英国のクリスマス(5)「クリスマス・メッセージ」で国民に一体感

小林恭子ジャーナリスト
1957年、テレビで初のクリスマス演説を行うエリザベス女王(英王室のサイトより)

25日のクリスマス当日、エリザベス英女王が恒例の「クリスマス・メッセージ」を送る。1930年代から、英国の君主が英国内および英連邦に住む臣下に放送を通してメッセージを伝えるもので、正式には「クリスマス放送」。クリスマス教徒であるかないかにかかわらず、やはりこれがないと英国のクリスマスは締まらない。

今回は、クリスマス・メッセージの意味と、エリザベス女王のこれまでを振り返ってみる。

このメッセージがテレビで放映されるのは、25日の午後3時と決まっている(主力チャンネルで放送後、夕方に再放送。BBCの複数のチャンネルではほかの時間でも再放送)。

立憲君主制をとる英国では、女王は政務にはかかわらない。国会の会期開始を告げる女王のスピーチは、一応、「女王のスピーチ」ということになっているが、中身は官邸や政治家が決めている。

クリスマス・メッセージは、女王が自分でテーマを選び、自分の言葉で国民に直接語りかけることができる貴重な機会の1つだ。

メッセージそのものは10分ほどだが、その年に目立ったテーマに似つかわしい映像が流れる時間も合わせて、番組自体は15分になる。

25日の午後3時というと、クリスマス・ディナー(「ディナー」といっても、昼や午後の早い時間に食べることが多い)を家族や親戚らとたらふく食べて、一眠りをするか、腹ごなしに外に散歩に出かけ、帰ってくる頃。テレビの前に座って、女王のクリスマス・メッセージを視聴することになる。

メッセージの内容は、その年に話題になった、あるいは王室で発生した出来事についての、女王の感想や見解など。英国国教会の首長であることから、宗教についての言及や、イラクやアフガニスタンに派遣されている英兵へのねぎらいの言葉も発する。今年1年の国民の支持に感謝の意も表明される。女王は英国や英連邦に結束感を与える存在となる。

英王室によるクリスマス・メッセージを始めたのは、現女王の祖父に当たるジョージ5世だ(以下、情報元は英王室のウェブサイトより)。英国放送協会(BBC)の初代「ディレクター・ジェネラル」(企業で言うと社長役)リース卿が、当時、新たな技術の1つラジオを使って国民に語りかける機会を提案した。

当初、ジョージ5世はあまり乗り気ではなかったが、BBCのスタジオを訪問後、計画に乗ることになった。

最初の放送は1932年。王室がクリスマス休暇を過ごすノーフォーク州のサンドリガム邸に二部屋の放送専門施設を設置した。

「私の自宅から、そして私の心からあなたに向かって、話しています」-国王の最初のクリスマス放送のスピーチは、詩人キップリングが書いたものだった。

その息子ジョージ6世は、吃音のせいもあって、人前でのスピーチは苦手だったと言われている。この経緯は、映画「英国王のスピーチ」で詳しく描かれていた。

第2次世界大戦中のクリスマス・メッセージは、国民の心を一つにまとめ、大きな勇気を与えた。1939年、戦争が勃発して間もない頃、将来の不安に揺れる国民に、ジョージ5世は「新しい年がもうすぐやってきます。何があるかは分かりません。平和がやってくるなら、どれほど私たちはありがたく思うでしょう。もし苦闘が続くなら、これからもひるまずにいましょう」と語りかけた

エリザベス女王が初のクリスマス放送を行ったのは1952年。57年からは、テレビでの放送となった。この時の模様は、ユーチューブの英王室のチャンネルから視聴できる。

クリスマス放送は当初から生放送だったが、1960年からは、事前に収録し、英連邦の各国にテープを送る形となった。

英王室によると、今年のクリスマス放送は既に収録済みだ。内容は当日にならないと分からないが、今年は即位60周年(=「ダイヤモンド・ジュビリー」)だったので、記念イベントに参加した国民への感謝の声が入るのではないかと言われている。また、今年は3D放送用に収録した初めての年となった。

1年を振り返り、来年に心を向けるための一つの区切りとなるのが女王のクリスマス・メッセージだ。

―エリザベス女王の人生とは?

25歳で女王となったエリザベス女王。その人生を少し、振り返って見よう。

現在86歳の女王は、1926年4月、ヨーク公夫妻(国王ジョージ5世の次男となる父アルバートと母エリザベス)の長女として、ロンドン・メイフェアーで生まれた。

王位継承順位では第3位であった。父の兄にあたるエドワードが継承順位では第1位で、その後を継ぐのはエドワードの子供たちと考えられていたため、エリザベスが将来女王になるだろうと思う人はほとんどいなかった。

4歳になると、妹のマーガレットが誕生した。家族の絆は強く、エリザベスは幸福な少女時代を過ごしたといわれている。

1936年、ジョージ5世死去後、エドワードが国王エドワード8世として即位したが、その時代は1年も続かなかった。離婚経験がある米国人女性ウォリス・シンプソンと交際していたエドワードは、離婚女性と国王との結婚が許されないことを知って、王位を捨てる方を選択したからだ。

そこでエリザベスの父アルバートがジョージ6世として即位し、その統治は1952年まで続いた。

健康が悪化していた父の代わりに、夫のフィリップとともに外国を訪問中だったエリザベスは、同年2月6日、父が亡くなったことをケニアで知った。

女王として英国に急きょ帰国したエリザベスを、当時の首相ウィンストン・チャーチルが飛行場で出迎えた。25歳という若くかつ美しい女王の誕生に、国民中が湧いたという。

当時は、第2次大戦は終わっていたものの配給制度は続いており、多くの国民が耐乏生活を余儀なくされていた。若々しい女王の誕生は新たな時代の幕開けとして受け止められた。

翌年の戴冠式のテレビ放送は国内外の視聴者を魅了した。これを機にテレビ受像機の販売台数が一気に増加。マスメディア時代の初のアイドルが生まれていた。

―変わる英国とともに60年

エリザベス女王の統治の当初は、ちょうど大英帝国が解体しつつある頃であった。

インド、パキスタンの両国が独立したのは1940年代だったが、その後もかつての植民地国の独立が相次いだ。

元植民地国を中心とした各国は1931年に英連邦としてまとまり、現在までに54カ国が加盟。人口は約20億人で、これは世界の人口の約三分の1にあたる。女王は英連邦の元首である。また、英国教会の首長という役割も持つ。

ー「王冠をかけた恋」への反発

女王は、王室はいわば非上場の会社であり、女王という役割は自分の仕事だ、と考えているようだ。こうした義務感は、シンプソン夫人との結婚を選択して王位を捨てた伯父エドワード8世を反面教師にしていると言われてる。

まだ王女であった1947年、初めての外遊で訪れた南アフリカで演説を行ったエリザベスは、「全生涯を英連邦の為に捧げる決意である」と表明した。80代半ばの現在も、1年に400件を超える内外の公務をこなし、その義務を日々全うしている。

派手さを嫌う女王は「誠実だが、(やや)退屈」という印象を与えながらも高い人気を維持してきた。ところが、1990年代には、女王個人そして王室は国民やメディアの大きな批判の的になった。

長男のチャールズ皇太子がダイアナ・スペンサーと1981年に盛大な結婚式を挙げたが、その後、二人は不仲となった。夫婦が互いの不倫関係をメディアに「告白」するという、前代見聞の事態が発生した。王族のモラルが問題視され、ウィンザー城も火災に見舞われた。女王は1992年を「ひどい年」と演説で表現している。皇太子夫妻は1996年に離婚の結末を迎えた。

1997年、ダイアナ元妃がパリで交通事故で亡くなった。多くの国民がダイアナ妃を慕い、女王から何らかの追悼の言葉を欲していたが、事故死から数日間、女王一家はスコットランドにある避暑用住居バルモラル宮殿にこもり続けた。

「国民の気持ちが分かっていない」-そんな思いを国民が持ち、メディアも現実からかい離した王室を大きく批判した。

後、女王はロンドンに戻り、国民がダイアナ妃にささげた追悼のカードや山のような花を見て、その死が国民にもたらした悲しみと衝撃の深さを知った。

女王はテレビに出演し、ダイアナ妃の突然の死をいたむメッセージを送り、国民の怒りは氷解していった。(この経緯は、2006年公開の英映画「クイーン」でもよく分かる。)

エリザベス女王の側近らの話によれば、女王は恥ずかしがり屋で、人間よりも動物に話しかけるほうが楽と考えるタイプだという。女王の犬好きや競馬好きはよく知られている。派手なことを嫌い、「名声にも興味がない」(ウィリアム王子)という。

叔父のエドワードが王位を放棄したことへの衝撃と、「絶対に自分はそんなことをしない」という強い思いが、女王の日々の活動の糧になっていると、女王の伝記を書いた作家ロバート・レーシーは述べる(『ロイヤル』)。

1950年代と比較すれば、現在の英国は、肌の色や人種が異なる多くの人間が「英国人」として生活する国である。移民(外国生まれ)人口は1951年の国勢調査で全体の4・2%だったが、2011年では人口の大部分を占めるイングランド・ウェールズ地方では13%に上った。

キリスト教以外の信者も増えている。最近の調査では、イングランド・ウェールズ地方で、キリスト教徒だと答えた人の比率は60%を切った。スコットランド、ウェールズ、北アイルランドではそれぞれ独自の地方議会が成立した。

英王室は分権化、多様化が進む英国を、ゆるやかに1つにまとめる、象徴的な存在だ。

―格差社会の文脈の中で

上流、上・中流、中流、労働者階級といった社会的な階層分けが厳しい英国では、両親が富裕あるいはエリート層であったり、良いコネがあれば、社会的な成功の度合いが高くなる。女王の自伝を書いたアンドリュー・マーは「この30年で、社会的流動性は逆行している」と語る。

格差社会を問題視すれば、その象徴たる王室が由々しき構造と見えてくる。

60周年祝賀行事の開催中にも、各地で共和制の実現を訴えるデモが行なわれた。

参加者が手にもったプラカードには、「王室を過去のものにしよう」、「1人の女王を支えるお金で9500人の看護婦が養える」などのメッセージが記されていた。

英国は民主主義国家だが、立憲区君主制をとっているため、国民は女王の「臣下」となる。共和制支持者は王室制度は「民主的ではない」として、廃止を唱えている。

国民の憧れの対象である王室だが、同時に、王室には国民の税金を使う特権階級という側面があることを、多くの国民は見逃していない。

そこで女王は、1993年からは所得税の支払いを実行し、バッキンガム宮殿の修繕費を作るために宮殿を一般公開するなど「国民に開かれた」王室作りに力を入れてきた。

過去20年間、政府は財務省から出る王室費の値上げを凍結しているが、来年からは王室が所有する不動産の管理会社の収入の一部を王室予算とする方式が実施される。無駄なお金を使わない・使わせないのが英国流だ。

少し前の数字になるが、調査会社ICMによる世論調査で(保守系日曜紙サンデー・テレグラフ、今年6月3日付)、エリザベス女王は、歴代の国家元首の中でも最高の元首に選出された。55%が王室は今後も永遠に続くとし、いつか共和制になると答えたのは28%だった。王室支持派が過半数(80%前後)で、共和制の支持率が20%台というのは、長年続く傾向である。

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(筆者のブログ「英国メディア・ウオッチ」、月刊誌「メディア展望」、隔週雑誌「英国ニュースダイジェスト」の筆者による記事に加筆しました。)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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