脱線事故から10年目の真実…福知山線の大惨事は予測されていた。内部文書「重大な事態につながる恐れ」
乗客106人と運転士が死亡、562人が負傷した兵庫県尼崎市のJR福知山線(宝塚線)脱線事故から、25日で10年となった。
この事故を巡っては、JR西日本の3人の元社長が、自動列車停止装置(ATS)の設置を指示する義務を怠ったとして起訴されたが、裁判所は「(事故の)危険性を予見することは相当困難」との判断を示しており、1・2審で無罪の判決が下されている(現在上告中)。
ほとんどのマスコミは、この判決に批判的である。あれほどの大惨事を起こしながら会社も代表者も刑事責任を負わないとは「納得できない」との主張だ。
とはいっても法の判断がそう下ったのであれば、JR西日本の責任をさらに追及するわけにも行かず、「この教訓をいかに生かすか」との論調に落ち着かざるを得ない。
しかし、本当にそれで良いのだろうか? JR西日本の責任についてはもっと議論すべき点がないのだろうか?
デイリーNKジャパンは、JR西日本の安全対策に関わる内部文書を入手した。それを見ると、同社内には事故前から、自社の安全対策の欠陥を認識し、いずれ大惨事が発生しかねないとの危機感が存在していたことがわかる。
国土交通省の「航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)」は2007年6月に公表した報告書で、同事故の発生原因について「運転士のブレーキ使用が遅れたため」と推定している。
さらにその理由としては、直前にミスを繰り返していた運転士が会社からの懲罰的な指導を恐れるあまり、「注意が運転からそれたことによるものと考えられる」と指摘。同時に、JR西日本の運転士管理方法に問題があった可能性に言及している(クリック⇒参考)。
一方、デイリーNKジャパンが入手したJR西日本の内部文書は、平成3(1991)年12月16日に同社内で開かれた「総合安全対策委員会」での議論に基づいて作成されたもので、その中には次のような記述がある。
〈もしも、事故が起これば責任の所在は明らかにしなければならないが、これを起こした当人の問題のみが強調され過ぎれば、社員の関心が「重大事故の防止」より「責任事故の防止」に集中することになりかねず、軽微な事故を起こした際でも、自己の責任となることを回避しようとして新たな事故を引き起こしたり、事故の隠ぺいを図ろうとするなど、より重大な事態につながる恐れも考えられる。〉
事故調査委員会の見方に沿うならば、2005年4月25日に発生した脱線事故は、この文書で指摘されているように運転士が「自己の責任となることを回避しようとして」「より重大な事態につながる」という、その典型的事象であったことになる。
ということはつまり、JR西日本が「考え方」で自ら示した方針を徹底していたならば、脱線事故は起きなかったとも考えられる。なぜ、そうならなかったのか。
2005年の事故直後にこれらの文書を入手し、取材に当たったジャーナリストの李策氏によれば、「問題の背景には、JR内部の深刻な労組間対立がある。とくに、会社と一体化した主流派労組による反主流派つぶしの過程で、社内イジメが慢性化した」のだという。
さらに、そうした労組間対立や労務問題には過激派の極左セクトまでからんでくるのだが、その闇はあまりに深すぎてここには書ききれない。
ともかく、数多くの犠牲を無駄にせず鉄道の安全対策を盤石のものとするためには、タブーなき論議を尽くす必要があるだろう。