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金正恩氏が「ぞうきん」と「タバコの銀紙」を集める理由

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

2016年の北朝鮮を振り返る(3)

北朝鮮では今年、36年ぶりに開かれた朝鮮労働党第7回大会(5月)に向け、大増産運動「70日戦闘」が繰り広げられた。その中で、北朝鮮当局は一見すると奇妙とも思える行動を見せた。国家的規模で、国民に対し「古着の供出キャンペーン」を強いたのだ。

庶民はその様を見て「古着まで物乞いする有様なのに、何か成果だ、超過達成だ」と冷笑しているのだが、実はこのキャンペーンの裏にはある重大な事情があった。朝鮮人民軍が、極端な「雑巾(ぞうきん)不足」に苦しんでいたのだ。

軍内部で殺し合い

では、「雑巾不足」の何がそんなに問題なのか。自衛隊OBが次のように説明する。

「北朝鮮に限らず、各国の軍では雑巾、というよりも古着などを裁断したウエスが大量に使われています。用途はもちろん、兵器の手入れ。自動小銃や砲は火薬の燃えカスが砲身や機関部に溜まり易く、泥水をはね飛ばしながら走行する戦車や装甲車の汚れもひどい。頻繁に掃除をしなければ正常に動かなくなり、作戦行動に重大な影響が出てしまうんです」

筆者はこの情報を、3月末に本欄で伝えたのだが、するとすぐさまある識者から、「朝鮮人民軍はなぜ、今になって古着集めに力を入れているのか? ヤバい徴候ではないのか?」との指摘があった。

言われてみれば、それもそうだ。北朝鮮が慢性的なモノ不足であることを考えれば、軍の「ぞうきん不足」も以前からのものであると思われる。また、軍の現場から調達を求める声が上がっても、自分の権力や利権が最優先の政治軍人たちが、真剣に耳を傾けてこなかった状況も想像できる。

(参考記事:北朝鮮「軍内部で不満爆発」の戦慄情報

それなのに、今になってにわかに「ぞうきん集め」の動きが活発になったのは、米韓との戦争を現実のものとして意識しているからではないか――前述の識者は、こうした可能性を指摘していたのだ。

朝鮮半島の危険要素は、北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルだけではない。北朝鮮は、2010年の韓国海軍哨戒艦「天安」撃沈事件や延坪島砲撃事件に見られるように、第2次朝鮮戦争にもつながりかねない、とんでもない軍事的冒険に出ることが実際にある。また金正恩氏は、非武装地帯での地雷爆発事件に端を発した昨年8月の軍事危機の際、韓国との「チキンレース」で一敗地に塗れており、いまだに雪辱をねらっていても不思議ではないのだ。

(参考記事:【動画】吹き飛ぶ韓国軍兵士…北朝鮮の地雷が爆発する瞬間

そして米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、北朝鮮当局が古着集めに血眼になっていた時期と前後して、もうひとつ、当局が集めていたものがあった。「タバコの銀紙」である。

RFAの咸鏡北道(ハムギョンブクト)在住の情報筋によれば、「当局は軍事施設のカモフラージュに使うためだと言っている。壁に銀紙を貼り付けると、人工衛星からの撮影ができなくなるらしい」とのことだ。

では、こちらにはどんな意味があるのか。軍事関係に詳しい人から、次のような説明を受けた。

「偵察衛星の撮影機器には、光学式カメラのほか、合成開口レーダーというものがあります。マイクロ波を大量かつ長時間、対象物に照射し、反射された信号を高性能コンピュータで解析して物体の形状を描き出すもので、天候などに影響されません。

一方、レーダー波を欺瞞する装置に、チャフというものがあります。アルミ箔などを空中に散布することで、レーダー波を乱反射させ、敵戦闘機やレーダー誘導式ミサイルの追尾をかわすもので、軍用機や軍艦に搭載されています。

北朝鮮の『タバコ銀紙』集めは、チャフの原理を応用し、米軍偵察衛星の合成開口レーダーを欺くことを狙っているのではないでしょうか。果たして、それが有効かどうかは疑問ですが、偵察衛星を持たず効果が検証できないながら、北朝鮮としては『やれることを、最大限やっている』のでしょう」

これらの情報は一方で、朝鮮人民軍の窮乏ぶりを伝えるものでもある。

そもそも、朝鮮人民軍を取り巻く環境は劣悪で、末端兵士の間では物資の取り合いなどで殺傷事件も発生。空腹に耐えかねた兵士の中には、中国側に越境して強盗殺人を働くケースも多い。

(参考記事:北朝鮮、軍内部で「殺し合い」…ミサイル発射の影で

それに金正恩氏とて、仮に十分な量の雑巾やタバコの銀紙が揃ったところで、通常戦力では米韓連合に勝ち目がないことぐらいわかっているはずだ。だからこそ、一日も早く「核武装した独裁者」となるべく、暴走に暴走を重ねているとも言えるのだ。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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