「血の粛清」で終わった北朝鮮「反体制」の教訓
昨年7月に韓国に亡命したテ・ヨンホ元駐英北朝鮮公使は、25日にソウルで海外メディア向けに行った記者会見で、「(北朝鮮は)監視社会であるため軍などによるクーデターの可能性はほぼないが、人々の不満は高まっており、民衆が蜂起する可能性はある」と指摘した。
また、テ氏はこうした見方を補強する説明として、「かつて取り締まりが始まれば逃げていた商売人たちが、(当局の警告を)無視して商売を続けるようになった」「こうした小さな抵抗が、いずれ政治的なものへと変化する可能性がある」と強調した。
筆者は、テ氏のこの話に何ら異論はない。可能性はどこまでも可能性だが、それが「ゼロ」でないことは確かだろう。ただ、北朝鮮の民衆が蜂起する可能性は日に日に高まっているとしても、それが成功する可能性の方はどうだろうか。
北朝鮮においてもかつて、軍の一部がクーデターを計画したり、民衆が権力に抗議の声を上げたりしたことがあった。だが結果的に、いずれも体制の「血の粛清」で弾圧された。
(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」)
これらの動きが大きなうねりにつながらなかった理由は、大きくふたつ考えられる。ひとつはテ氏の言う通り、北朝鮮が徹底した監視社会であること。たった数人の会合でさえ、秘密警察の内偵の対象になるとあっては、緻密かつ複雑な計画を成功させるのは難しい。
そしてもうひとつは、特権階級や、秘密警察など体制の走狗となってきた勢力と、一般民衆の間の利害のかい離が大きいことだ。
(参考記事:口に砂利を詰め顔面を串刺し…金正恩「拷問部隊」の恐喝ビジネス)
仮にいま、北朝鮮で民衆蜂起が起きたとしよう。それを見て恐怖を覚えるのは、金正恩党委員長ひとりだけではない。彼の権威を笠に着て庶民を搾取してきた勢力も、自らの安泰に不安を覚えるはずだ。
もっとも、そのような勢力はまず間違いなく日和見的であるだろうから、金正恩体制が不利と見れば民衆の側に寝返る。問題は、そのような状況が起きるかどうかだ。
蜂起した民衆の側に勝利を引き寄せ、金正恩体制を敗北に追いやるもっとも手っ取り早い方法は、米韓連合が軍事介入することだ。上手く行けば、北朝鮮の軍は雪崩を打って民衆の側につくかもしれない。
しかし今や、金正恩体制は核武装している。核兵器は、弾道ミサイルで敵国に打ち込む以外にも使い道はある。核兵器が待ち構えているのを承知で、米韓連合は素早く軍事介入できるのか。判断が遅れれば、蜂起した民衆は体制側により蹂躙されることになる。
もちろん、起こり得る状況はこれほど単純なものではない。中国やロシア、日本の動向が影響する可能性もある。
いずれにしても、周辺国の明確な意思なくしては、北朝鮮の民衆蜂起の成功はおぼつかないということだ。