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インド空軍機5機の「失踪」 真相は「藪の中」へ

小泉悠安全保障アナリスト

もうひとつの航空機失踪事件

イラク空軍向けのAn-32輸送機(写真:Wikipedia)
イラク空軍向けのAn-32輸送機(写真:Wikipedia)

昨年発生したマレーシア航空機370便の失踪に続き、新たな航空機の失踪事件が取りざたされている。といっても、幸いなことに犠牲者は出ていない。

失踪劇の舞台となったのはウクライナで、消えたのはインド空軍に所属する5機のAn-32輸送機だ。

An-32はソ連の輸送機メーカーとして有名なアントノフ設計局が1960年代に開発したAn-26中型輸送機の改良型で、生産は1982年に開始された。左右の主翼にプロペラ式のAI-20Dターボプロップ・エンジンを装備し、最大貨物積載量7.5t、巡航速度470-530km/h、航続距離3200km(燃料満載、貨物2.8t搭載時)といった性能を発揮する。

これだけ見ると現代の輸送機としてはあまりぱっとした性能では無いが、An-32の最大の強みは、あらゆる環境で運用可能なことである。気温55度の熱帯から高度4500mの高地にある飛行場まで、並みの輸送機では運用が難しい環境でも貨物や兵員を空輸することができる。

An-32の総生産数は361機とソ連製輸送機としてはそう多い方ではないが、その3分の1近い104機をインド空軍が購入した背景には、まさにこうしたAn-32のタフさが存在していた。特にパミール高原でパキスタンと軍事的対立を抱えているインドとしては、An-32の高地運用性能は欠かせない能力であったと言える。

消えたAn-32

しかし21世紀に入ると、さすがにAn-32も老朽化が進んできた。

そこでインド空軍は2009年、「ウクルスペツプロイェクト」社を仲介として、製造元であるアントノフ社との間で、保有するAn-32全機を近代化改修する契約を結んだ。改修内容は衛星航法システム、新型レーダー、衝突防止システムといった最新型電子機器の搭載で、契約総額は4億ドルほどと伝えられる。

ちなみにソ連崩壊後のアントノフはウクライナ政府が所有する国営企業となっていたが、恒常的に経営は苦しく、インドからの巨額発注は渡りに船であった。

このプロジェクトはAn-32REと呼ばれ、最初の40機はウクライナで、残り64機はインドに改修工場を建設し、アントノフ社の技術者と協力して2017年までに全機の改修を終えるはずだった。

ところが先週末、ウクライナに送った40機のAn-32のうち、インド側には35機しか返送されていないとの情報が米軍事専門誌Defense Newsによって報じられた。

これは単に作業が完了していないといった問題では無く、残る5機がどこに行ってしまったのか分からなくなってしまったという意味だ。

迷走するAn-32RE計画

もちろん、国有財産である航空機が5機も「行方不明」になれば大問題である。しかし報道によると、インド空軍がウクライナ大使館に対して説明を求めたところ、「それは我々の問題では無くアントノフ社が解決すべきことである」と素っ気ない返事を受け取っただけであるという。

前述のDefense Newsに対して、インド空軍の代表者は次のように答えている。

「これら5機の航空機は行方不明になってしまい、探すことができません。外交的努力は何の解決ももたらしませんでした」

これに加えて、インド本国で実施されていた64機分の改修作業も暗礁に乗り上げていた。ウクライナ危機の勃発によって多くの技術者がウクライナへ帰国してしまう一方、ウクライナからの部品供給が滞りがちになっていることが原因であるという。

いずれにしてもAn-32RE計画はウクライナ側でもインド側でも散々な結果に終わった。このため、インドはロシアか米国から代わりの輸送機を導入することを視野に入れている模様である。

突然の「発見」 真相はどこへ?

ところがこの記事を書いている最中、問題の5機が「発見」されたというニュースが飛び込んできた。

30日にアントノフ社のキーヴァ社長が発表したところによると、5機はキエフの第410GA航空機修理工場にあり、近代化改修作業が行われているという。同工場はこれまでもAn-32RE計画で改修作業を行ってきた工場であり、それ自体は不自然な話では無い。

第410GA工場(写真:Google Earth)
第410GA工場(写真:Google Earth)

だが、もちろんこれで一件落着とはなるまい。そもそも第410GA工場で作業を行っていたのなら、その旨インド空軍に通知すればいいだけのことで、国際的なニュースになる筈がない。

5機は当初、このまま「行方不明」になる筈であったが、騒ぎが大きくなりすぎたので「発見」した、という疑念は拭えない。

事件発覚当初、印露の武器輸出問題に詳しいロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所のアンドレイ・ヴォロディンは、失踪した5機は売り払われてしまったか事故で破損したので隠しているのでは無いかとの見解を述べていたが(ノーヴォスチ通信2015年3月30日)、前述のキーヴァ社長の発表が正しければ、5機は無事であるようだ。

とすると、残る可能性は、アントノフ社または外部の誰かが5機を第三国に密輸出して利益を得ようとしていたといったあたりであろう。

外国政府からあずかった航空機を勝手に売り払ってしまうなどあまりに杜撰な話に聞こえるが、汚職体質は旧ソ連の軍や軍需産業に共通する宿痾である。ロシアの前国防相セルジュコフ氏は自らの愛人を通じた汚職問題がきっかけで失脚を余儀なくされたし、ウクライナでは昨年、同国最大の戦車メーカーであるマールィシェフ記念戦車工場の社長が売上の5分の1を横領していたとして逮捕されたばかりだ。

一方、インド空軍は5機が失踪したとの噂を否定する声明を発表した。果たして5機の失踪は単なる誤報であったのか、誤報ということに「されたのか」。真相は「藪の中」である。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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