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2500億円のスタジアムは必要なのか?新国立への不安。

小宮良之スポーツライター・小説家
改修するだけで十分だった国立競技場はすでに更地になってしまった。(写真:Rex Features/アフロ)

 2020年の東京五輪、パラリンピック開催に向け、メインスタジアムとなる"新国立競技場"の建設費が懸案となっている。流線型の"奇抜"な外観は、2500億円という総工費を弾き出した。2008年北京五輪の国家体育場が525億円、同じく2012年ロンドン五輪のメイン会場が635億円だったと言われており、新国立にどれだけ高額な工事費が必要かは一目瞭然だろう。

「2500億円だと、東京ドーム規模のスタジアムが5つは作れる」とも言われており、一つのスタジアム建築に対して2500億円というのは正気の沙汰なのか?

 これはじっくり検証する余地があるだろう。

サッカーワールドカップのスタジアム

 スポーツイベントの規模としては五輪と同等、もしくは上回るサッカーのワールドカップでも、スタジアム建設には莫大なお金が動く。

 2006年のドイツW杯では、12会場を建築(増築修築を含め)して11億ユーロ(約1430億円)だった。しかし一つの会場は平均したら100億円程度。バイエルン・ミュンヘンの本拠地であるアリアンツ・アレーナは総工費510億円だが、建築デザインは至ってユニークである。昆虫の繭のようなフォルムで、夜になると内部の照明が外に向かって幻想的な光を放つ。最寄り駅からスタジアムに向かって歩いていると、観客はなにかが起きそうな予感に気持ちが高ぶる。

 スタンド施設やピッチなども最高級のスタジアムで、W杯後の集客数はドイツ国内は着実に増え、2014年に代表チームが優勝したように、強化にまでつながっている。

 2010年の南アフリカW杯は、10会場に10億ユーロ(約1300億円)を費やしているが、アフリカで発のW杯としてまずまずの成功を収め、これも想定の範囲内だろう。

 一方で天下の悪評を買ったのは、2014年のブラジルW杯だった。総工費は一気に増え、12会場で25億ユーロ(3250億円)となった。サルバドールのフォンテ・ノバ・スタジアムに至っては約1000億円。この大会に関しては国内外から批判が出た。

「そんな施設を建てるなら、国内の福祉にまわせ!」

 国民は政府に対して激しいデモを始めることになった。その騒ぎは収まらず、工事の完成を大幅に送らせた。そして喜劇が起こった。サンパウロでのスタジアム工事はW杯開幕に間に合わず、一部をプレハブ席で迎えることになったのだ。ゴール裏の席には屋根も付いていなかった。当然、観客は雨ざらしだ。

 これはW杯を開催するフットボール王国の名折れである。

「ブラジルW杯は巨額の建設費が国民を圧迫し、政治家とゼネコンだけを潤した」と批判されたが、そう勘繰られても仕方ない。

金満主義の結末

「お金を費やせば、いい大会になる。代々受け継がれて、スポーツの財産になる」

 そんなものは利権を得る者の言い訳か、幻想だろう。ブラジルW杯で640億円を投じて大改築したブラジリアのスタジアムは、大会から1年が経った今、運営費を維持できない。観客も寄りつかず、試合が行えない状態で、バスの停留所と化しているという。サッカーW杯バブルの投資がまったく回収できていない。これはぞっとする光景である。

 サッカー界でワールドカップに次ぐイベントである欧州選手権で、2004年に大会を開催したポルトガルは低コストで大会を準備して成功した。各地でスタジアムを新たに建築しているが、1会場につき100億から300億円程度。いずれも建築物としての愛嬌やユニークさに溢れ、サッカー会場としても素晴らしく、今も高い評価を受けて集客にもつながっている。首都リスボンのダ・ルスは昨シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝の地に選ばれた。

 冷静に考えれば、一つの会場で2500億円などという総工費はやはり常軌を逸している。不吉でしかない。

「新国立はアーチだけで900億円」

 そんな記事を目にすると、常軌を逸していると言わざるを得ない。このデザインを採択した一部の建築家のエゴを感じ、それだけのお金が動くことに舌なめずりする政治家や事業者の存在が透けて見える。"世紀のスポーツイベントはいくらでも資金を捻出できるから、できそうにもない建築物を"という欲望があからさまだ。

 スポーツをする時間と空間を人々と共有し、愉しむという姿勢が前提にない。

 そもそも、スポーツスタジアムは何よりもプレーする選手と、それを見るために足を運ぶ観客のものである。そこで臨場感を味わえるか。例えば、それは座席の傾斜角度や高さなど、ピッチと観客の関係がほとんどすべてのはずだ。

 最たるものが日韓ワールドカップの決勝スタジアムで、観客席の傾斜が浅く、ピッチから遠く、「最低のワールドカップ決勝スタジアム」と各国記者たちの悪評を買うことになった。箱としての巨大さや外観を考慮した挙句、一番重要なところが抜け落ちていた。

レガシーというたわごと

 単刀直入に言って、レガシーとしてのスタジアム、などというのはたわごとだろう。

 事実、最近の五輪の会場は、遺産は遺産でも、負の遺産になっている。潰すに潰せない。会場を維持するために、どんどん赤字を出し続ける。

「50年後を考えれば、高くはない。長く愛される」

 新国立に関してはそんな声もあるが、それはきっとまやかしである。工事が大きくなればなるほど、そこには利権が潜んでいる。その利権にとりついた者たちが、どんどんく食い漁り、富を増やすために”被害”を広げるだろう。レガシーを維持するには、町ごと開発し続けるしかない。一部の人々にとっては、最後まで利権の汁をすすれる仕組みだ。

 2500億円以上をかけてご立派なスタジアムを作ろうとする姿勢に、五輪という「巨大な公共工事」の本性と、スポーツを食い物にする金満主義がはっきりと見えてしまう。おそらく、負の遺産が残るだけだろう。

 レガシーは先人の遺産を受け継ぐ、という意味がある。もう一つ、時代遅れ、という意味もある。”新国立”は人々に愛されるのか。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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