スローインでのゴールは卑怯か?

ロングスローを武器に得点力を高める青森山田。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

冬の風物詩とも言える全国高校サッカー選手権。「1試合でも多く戦いたい!!」。そこでは高校生たちの純粋な想いがぶつかり合う。プロリーグのような熟成された戦いは見られないが、その無垢さが感動や驚きを与える。

青森県代表として劇的な勝ち上がりを見せる青森山田だが、ロングスローイングを用いての得点が密かな話題になっている。

神奈川県代表の桐光学園との一戦では、後半ロスタイムに約35mという長距離のスローインを放り込み、劇的な同点弾を決めた。スローワーは肩を鍛えてきたと言われ、球質も変えられるという。敵陣でのスローインがコーナーキック、もしくはフリーキックに等しい武器となれば、相手に与える脅威は計り知れない。なによりオフサイドにならないし、ボールの軌道も投じるだけに(キックと違って)読みにくいのだ。

「飛び道具」として、スローインが俄にクローズアップされている。

レアル・マドリーの暗黙の訓戒==

しかしサッカーという競技におけるスローインの位置づけは、実は難しい。

世界的には、能力の高い選手ほどスローインを軽視する傾向がある。それはあくまで、「プレーを再開するための行為」であって、「有効なセットプレー」とは考えられない。そのため、スローインができない選手(ファウルスローになってしまう)というケースが少なくなかったりする。ロングスローではロリ―・デラップというアイルランド人選手が世界的に関心を高めたが、扱われ方は色物に近かった。有力な選手ほど、スローインに無関心である。

80年代までのレアル・マドリーでは、嘘のような"暗黙の訓戒”まであった。

「スローインで得点を狙うなど、臆病千万。卑怯の手段なり」

世界に冠たるクラブであり続けようとした白い巨人、マドリーのOBたちにとって、スローインからのゴールは唾棄すべき類のものだった。"どんな手段でも勝てばいい"、そういう放埒さを彼らは憎んだ。紳士的に勝つことを彼らは愛した。

しかし90年代に入ってから、変化が起きる。

マドリーを率いることになったベニート・フローロ監督(現・カナダ代表監督)は、合理主義者だった。機械の機能を高めるように、選手に戦術を落とし込んでいる。必然的に、"暗黙の訓戒"を悪しき伝統と捉え、徹底的にスローインからの得点戦術を高めた。例えばタッチラインでスローインを得ると、高速リスタートを発動。まず、一番近い選手ができるだけ速く敵陣にめがけてボールを投げ入れ、スローの前にはもう一人の近い選手がダッシュしていた。カウンターで相手に泡を食らわせる、敵が準備動作ができない瞬間を狙っており、それは効率的だった。

しかし、その光景に慣れていない人々は眉をしかめた。"暗黙の訓戒"においては、カウンターでさえも卑怯な手段だったのである。

フローロという監督は、同時代にバルサを率いたヨハン・クライフが伝説のドリームチームを作り上げていただけに、決して評価が高くない。彼の論理的思考はマドリーでは懦弱とされ、とくにOBに受け入れられなかった。この流れは、サッカー全体の流れとも言えた。しかしフローロ以後の監督は、スローインにも少なからず着目。時代の流れによって各チームの戦術が洗練され、格差は縮まり、確実に勝利するにはスローインも見逃せなかった。2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、マドリーはロベルト・カルロスが敵陣で得たスローインを素早くリスタート、裏に走り込んだラウール・ゴンサレスがそのまま持ち込み、得点している。

伝統に挑んだフローロがその轍になったとも言えるだろう。

言うまでもないが、スローインはプレーの一つであり、そこから得点する行為は決して卑怯ではない。

しかし高潔な先人たちにとっては、卑怯だと断定してしまうほどに、スローインでの得点は許されなかった。そして、名残までが霧散するということはない。今も、プロリーグで活躍を遂げた元選手の監督たちは、積極的にスローインを武器として用いていないのが現状である。スローインを導入したフローロも、プロ選手としての経歴はなかった。スローインを戦術として採り入れているジョゼ・モウリーニョ、ビラス・ボアス、ラファ・ベニテスなどは、いずれも選手として大成していない監督である。この点は、興味深い。彼らにとって、スローインは「恥知らず」な行為ではあるはずもなく、極めてロジカルな答えなのである。