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ハリルJは悪いゲームをしたわけではない。原口の得点とPK献上に見るハリルの功罪。

小宮良之スポーツライター・小説家
ハリルホジッチ監督と原口元気(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

ロシアW杯アジア最終予選、オーストラリア戦でヴァイッド・ハリルホジッチ監督は妙妙たる布陣を立てている。

バックラインはゴールから25m~30mで微調整し、決して下げすぎない。主将の長谷部誠が中盤で周囲との距離感を保ちながら堅陣を敷き、一番危険なコースには常に立ち塞がる。サイドでは原口元気、小林悠がサイドバックの前のディフェンダーのように敵の攻撃を封鎖、侵入した敵は挟み込む。オーストラリアに付けいる隙を与えない。

前半5分だった。自陣の左サイドでパスカットした原口が中央の長谷部につけ、主将がトップに入った本田圭佑に前を意識させるパスを流す。ダイレクトではたかれたボールを左から走り込んでいた原口がファーに突き刺した。

「相手がリトリートする前に崩す」

そう目論むハリルホジッチとしては、快哉を叫びたくなるようなゴールだっただろう。

その後も、日本は戦術的にオーストラリアを完全に封じ込めていた。前半45分間を0-1で終えた後、後半になっても戦局は代わらなかった。

ところが後半8分に先制点を決めた原口が、PKを献上してしまう。ペナルティエリア内での後方からのチャージで、相手は前を向いてボールを持っていた。それは軽率な判断だった。その後、日本は攻守にちぐはぐさが出始め、どうにか立ち直り(敵の拙攻にも助けられ)、1-1のドローに終わっている。

では、PK=引き分けは原口一人の責任だったのだろうか?

原口のPKは彼一人の責任か

まず、PKに至るまでのシーンを巻き戻すべきだろう。

長谷部がバックラインまでプレスにいったとき、留守にした中盤右に敵選手に入られてしまい、そこにパスが通されている。この時点では人数が揃っていて難なくリカバリーできた。しかし、右サイドバックの酒井高徳までが少し無理な距離からチャレンジにいってしまう。そこで今度は酒井のポジションが空く。ここでフリックパスを通され、右サイドに左サイドバックの侵入を許し、フリーでクロスを上げられた。

つまり、守備が崩されていたわけだ。

帰陣した原口は、果敢に最悪の事態を阻もうとしたに過ぎない。

そもそも、原口は気性が荒いタイプの選手である。この試合だけを見ても、相手選手や審判に逐一、不満を示し、その猛気を発している。プレッシングやドリブルの仕掛けにおいて、そのアグレッシブさはポジティブに出ていた。

しかし、PKのシーンでは熱くなりすぎて冷静さを失っていた。

ただ、原口一人の責任にすべきではない。

ハリルホジッチ監督はこの試合に向け、好戦的なチームを作っている。それは果敢で集中力の高い守備に現れていたし、奪った後の攻撃強度にも出ていた。ただ、監督自身は熱くなりすぎていたように映った。ベンチではオーバーアクションを繰り返し、タッチラインから判定に不服を申し立て、主審に窘められる場面もあった。副審に対しても猛抗議し、神経過敏。そうした言動は、選手の闘争心を煽り立てるためだったのだろうが、本気で怒っており、彼の性分なのだろう。

感情の起伏が激しすぎる。

思っていることがすべて顔に出てしまう、というのはボスとして得策ではないだろう。指揮官の不安定な感情は選手に伝播する。ファイティングスピリットも伝わった。しかし同時に、理性をなくして"判断が狂う"という部分も伝染した。気が逸り、力が入り、度が過ぎる。

原口の反則は、それが一つの形として露出した。

ジョゼ・モウリーニョ監督がレアル・マドリーの監督をしていた時代、選手たちは牙をむき出すように猛々しいプレーをした。ポルトガル人指揮官が求めた「ファウルすれすれ」という攻撃性はやがて、その度を超すようになった。例えばぺぺは暴力的なファウルが多くなってしまい、ダーティーなレッテルを貼られている。「勝つためなら、なにが悪いのか!?」。セルヒオ・ラモス、ファビオ・コエントランのようなDFだけでなく、アンヘル・ディ・マリアのようなアタッカーにまでこの症状が現れるようになった。

本来のぺぺはそこまで粗っぽい選手ではなかったが、人が変わったように悪態をつくようになった。その後にぺぺ自身が、モウリーニョの影響が色濃かったことを告白。暴力的傾向は別々のチームになった後は消えている。

モウリーニョとハリルホジッチが同じなのは、受け身に立って戦う、というプランにもある。リアクション戦術は悪ではない。しかし、選手は精神的にぎりぎりの戦いを余儀なくされる。ボールを持たない、というのは想像以上に、プレーヤーにとってはストレスなのである。能動的ボールゲームに慣れ親しんできた日本代表選手にとって、なおさらだ。

酒井高は、自分のポジションを捨ててまで前に出る必要はなかった。しかしそこで飛び出してしまったのは、心理的に耐えられなかったのだろう。90分間、受けて立つようなメンタリティはイタリアならいざ知らず、日本人にはない。

「ドゥエル」(1対1の決闘)

ハリルホジッチが叩き込もうとしているメッセージも、"呪詛"のように響いたかも知れない。

ハリルの戦略の拙さ

ボスニア系フランス人指揮官には、戦術を用いるだけの戦略が足りない。

オーストラリアを封じ込めたタクティクスと得点シーンは、ハリルの手柄だった。戦術的に良い準備をし、悪くない内容だった(ボールゲーム主体の方が発展性があるという議論とは別に)。交代に関しては批判も浴びているが、戦局は拮抗しており、動きにくかったのも分かる。アウエーゲームとしては、タイ戦からの上積みを感じさせた。

にもかかわらず、全体で失敗した印象になってしまう理由。それは指揮官が持つキャラクターが、良くも悪くもチームを左右してしまっているからだろう。PK献上のシーンは象徴だったが、それだけではない。

「本田が良かったら、勝てた試合だった」

ハリルホジッチは試合直後にマイクに向かって話したが、リーダーとしては迂闊だ。「フィジカルコンディションが良かったら、もっと良いプレーができた」というのが真意だったようだが、言葉は独り歩きしてしまう。これでは結束につながらない。健闘したドローも台無しだ。

繰り返すが、勝ち点1を敵地でオーストラリアから勝ち取る作業は簡単ではない。ロジカルな戦いで積み上げたことに胸を張り、選手たちを堂々と労ったら――。もっといい形で次のサウジアラビア戦に迎えられるはずだった。

指揮官の洞察は的を射ている場合も少なくない。しかし表現が一方的すぎたり、評論家の言い訳に聞こえてしまったり、喋れば喋るほど反感を買ってしまう。気の毒ではあるが、リーダーとしての戦略マネジメントの未熟さと言える。指揮官の気分が出過ぎてしまい、試合そのものにネガティブに影響する。言うまでもないが、それはリーダーとしては危うい。

しかし好むと好まざるにかかわらず、原口がハリルホジッチの影響を最も色濃く受け、旗印になりつつあることは間違いないだろう。

ようやく、ハリルJの姿が見えてきた。

ただ、11月のサウジ戦に敗れたら(あるいは引き分けでも)、その形も幻となる。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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