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政府の「ブラック企業対策」では取り締まれない、「求人詐欺」の実情

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

12月25日、厚労省は法令違反を繰り返す企業からの求人をハローワークで受け付けないと同時に、求職者への企業の情報開示を進めるという、入社後の若者のトラブルを防ぐ新しい制度の詳細を発表した。「ブラック企業求人の締め出し」として報道されている。

この制度は、ブラック企業問題を背景に今年9月に成立した「青少年雇用促進法」に基づいている。これまで、ハローワークは原則として、企業が出す求人に関してすべて受け付けなくてはならなかったが、新制度により、違法な長時間労働や残業代不払いといった労働基準法違反を1年間に2回以上労働基準監督署から是正指導されるなどした企業の求人は受理しないことができるようになった。

また、就職活動中の大学生や、大学、ハローワークなどが求めた場合、企業に対して、過去3年の採用者や離職者の数、平均勤続年数、残業時間や有給、育休の実績など、職場環境についての、いずれかのデータを提供す義務が設定された。

だが、こうした対策ははたして効果が期待できるのだろうか?

「一歩前進」だが、課題が多い

確かに、これまで全くといっていいほど規制がなかった企業の求人掲載において、ルールが作られたことは、ひとつの「前進」と言っていいだろう。その意味で、政府の対策の方向は決して間違っていない。

しかし、その実効性はまだまだ不十分と言わざるを得ない。

まず、元々企業の数に比して少ないと指摘されていた労働基準監督署の監督官の数は、依然として不足しており、実際に十分に労働基準法違反を取り締まることは難しい。その状況で今回の「1年間に2回の是正指導」というハードルはあまりにも高いだろう。実際に、監督官の数は東京23区内でも100人程度に過ぎず、一つの区に5人程度しかいない計算になる。

また、企業のデータ提供に関しても、そもそも仕事を探す側である学生が、企業に対して情報提供を要求することは難しいし、どの情報を提供するのかの判断は企業にゆだねられている。その上、学生が就職活動するにあたって大きな影響力を持つ民間の就職情報サイトに対しては未だ情報提供を義務づけられていない。

そして、何よりも、今回の新制度の議論で抜け落ちている重大な視点がある。それが、企業が戦略的に行っている「求人詐欺」の実態だ。「求人詐欺」のテクニックを用いれば、企業は労基署に取り締まられることはなく、結果的に今回の取り締まりをすり抜けることができるのである。

「求人詐欺」のテクニック

「求人詐欺」のテクニックは「人手不足」が叫ばれる中で開発されてきた。

本来、人手不足の状況であれば、企業は人材を獲得するためによりよい労働条件を労働者に与えるため、賃金は上がるはずである。ところが、ブラック企業ではなかなかそうはなっていない。

安く働かせるために、求人の段階では給料が高いとウソをついて労働者を募集し、実際には低賃金で働かせる。騙してしまえば、人手不足でも高い給料を支払う必要がないというわけだ。だから、今ハローワークににせよ民間求人サイトにせよ、「詐欺求人」が蔓延しているのが実情なのだ。

2つの事例を挙げよう。

サービス業の正社員として働いていた20代Aさんからの相談。「基本給20万円」の募集を見て入社したところ、実際には基本給14万円、「固定残業代」6万円であったことが判明した。本採用が決まった段階だったため、やむを得ず提示された条件で契約した。結果として一時間当たりの賃金は最低賃金に近く、何十時間もの残業代が支払われない。

4年制大学を卒業し、大手コンビニとフランチャイズ契約をして15店舗ほど運営している会社に正社員として入ったBさん。会社の求人では月額20.8万円、1日8時間のシフト制で年間休日は100日となっていた。しかし働き始めると、毎日8時から22時まで約14時間の勤務、休みは週1日、手取りは17.8万円となっていた。そんななか、立ちくらみが増えたり持病の腰痛が悪化するなど、体に限界が見えていたが、同僚も同じように過酷な状況であり、何より新卒の就職活動でやっと内定が出た会社であったため辞めるに辞められなかった。

このように、給料が高めに設定されている求人に騙されて応募し、詐欺に気づいた時には契約せざるを得ない状況であったり、そもそも入社した後に騙されたことに気づくという事例は非常に多い。

だが、騙されたことに気づいたとしても、簡単には辞めることができない。辞めても、入社してそれほど期間が経っていない場合は、雇用保険がもらえなかったり、もらえたとしても受給期間が短い場合がほとんどである。だから辞めると生活ができなくなる。そもそも次の仕事がすぐに見つかる保障はどこにもないのだ。仮に次の仕事が見つかったとしても、低賃金であったり、非正規の仕事しかなかったりするリスクもあるだろう。

(こうしたブラック企業を「辞められない」実情については拙著『ブラック企業2』に詳しい)

さらには、退職すると「履歴書の職歴に傷がつく」という事情も働く。Bさんのように新卒で入社した企業の場合などはなおさらだ。転職の応募先企業から、「新卒で入った会社をすぐに辞めた、根気のない若者」と思われてしまう可能性が高いのだ。

だから、「詐欺」で採用されたにもかかわらず、多くは入社後に「新しい契約書」にサインしてしまうのだ。そして、この「新しい契約書」さえ成立してしまえば、本来の約束通りに給与を支払わなくても、形式上は「法律違反」にはならない。だから、今回の対策によってハローワークから締め出されることもないのだ。

ブラック企業はこうした労働側の事情をよく理解して、戦略的に脱法行為を行うために、「詐欺求人」を出しているのである。

法律は取り締まっていない!

では、「求人詐欺」に対して国はどのような対策をしているのだろうか?

実は、日本の労働市場においてはこの「ルール」がほとんど機能していないのが現状だ。

本来「求人詐欺」にまつわるルールとしては職業安定法65条がある。ここでは「虚偽の広告をなし、又は虚偽の条件を呈示して、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行った者又はこれらに従事した者」には罰則が与えられるとされている。

ところが、厚労省によると、この法律が実際に適用された前例はないという。そもそも、労働基準監督署は65条については取り締まりの対象外としてしまっており、ハローワークはこうした求人と実際の労働条件の乖離に関して調査の権限がないため、取り締まりのしようもない。要するに「誰も取り締まっていない」のである。

この間、ハローワークの求人票が実際の労働条件と違うという相談が全国の労働局に相次いでいる。厚生労働省の集計で、2012年度には7783件、13年度には9380件、14年度には1万2千件の相談があったという。

ところがこれだけの苦情が寄せられていながら、権限がないためハローワークは実際何も対応できていない。単に苦情が積み重なっているだけなのだ。

諦め必要はない

最後になるが、以上のような「求人詐欺」に対して私たちは何も抵抗できないわけではない。行政は取り締まることができなくとも、自ら訴訟を起こしたり、労働組合に加入して責任を追及することはできるからだ。

私が代表を務めるNPO法人POSSEに相談に来られた方々も、本来支払われるべきだった給与を全額支払わせることに成功する場合が多々ある。そうした場合には、実に数百万円から一千万円近い賠償金に上る場合も珍しくはないのである(相談窓口は下記)。

このように当面は、個々人が法的な手段に訴えることで、「詐欺求人」を出した企業に社会的責任を負わせていくことが大切だ。

労働市場を健全化し、優良企業が生き残る仕組みを作る必要があることはいうまでもない。いくら人手不足が進んだとしても、「求人詐欺」を取り締まらない限り、ずるい企業は労働者を騙して採用してしまう。正常に労働市場を作動させるためにも、一件一件きちんと「詐欺」の責任をとらせていくことが必要なのだ。

また、青少年雇用促進法が制定されても、この求人詐欺を取り締まれない事情は変わらない。詐欺求人に対する罰則の具体化を進めることが、今日急務であり、政府には早急な対策強化を求めたい。

2016年3月3日の追伸

2016年3月17日に[=%E6%B1%82%E4%BA%BA%E8%A9%90%E6%AC%BA 拙著『求人詐欺 内定後の落とし穴』(幻冬舎)]が発売される。

求人詐欺に騙されないために、また、詐欺に遭っても泣き寝入らないために書いた本だ。学生本にはもとより、周囲の親、教師にも、ぜひ役立ててほしい。

【相談窓口】

NPO法人POSSE

残業代請求サポートセンター

総合サポートユニオン

ブラック企業被害対策弁護団

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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