ECBが国債買入れに踏み切れない理由 --ドイツのハイパーインフレの亡霊--
第一次世界大戦の敗戦により、ドイツは天文学的な賠償金を背負わされ、財政支出の切り札になったのが、国債を大量発行しドイツの中央銀行であるライヒスバンクに買い取らせるという手法であった。その結果、ドイツは1923年にかけてハイパーインフレに見舞われた。
そのハイパーインフレはヒャルマル・シャハトが設立したドイツ・レンテン銀行によるレンテンマルクの発行などにより終息することになる。レンテンマルクとそれまでの通貨であるパピエルマルクの交換レートは「1対1兆」と決定された。大規模なデノミとともに政府が財政健全化を発表したことにより、いったんインフレは終息する。このインフレの収束はレンテンマルクの奇跡と呼ばれた。さらにシャハトの指導によるアウトバーンを初めとする大規模な公共事業などによって失業率は改善し、ドイツは1937年にほぼ完全雇用を達成したのである。
レンテンマルクは法定通貨ではなく不換紙幣であり金との交換はできなかった。しかし1924年8月30日には、レンテンマルクに、新法定通貨であるライヒスマルクが追加された。レンテンマルクとライヒスマルクの交換比率は1:1となった。
シャハトなどの支援もあり、1933年1月30日にはヒトラー内閣が成立。しかし、ヒトラーがシャハトを解任したあたりから再び状況が変わる。シャハトが帝国銀行の総裁を兼務していた際は国債の発行にも歯止めがかけられていたが、その歯止めがなくなった。ヒトラーは帝国銀行を国有化して大量の国債を引き受けさせ、戦争に向けて軍需産業への莫大な投資を行った。ただし、日本と同様に価格統制によりハイパーインフレそのものは発生しなかったが、戦後にハイパーインフレが発生することになる。敗戦によりヒトラー政権の発行したライヒスマルクは紙切れ同然となった。
戦後設立されたブンデスバンクは、インフレに対して極度に神経質となり、その要因となった中央銀行による国債引受に対して警戒感というか嫌悪感を強めたのは、この歴史が背景にある。ブンデスバンクは政府からの独立も保障され、ECB発足以前は世界でも最も高い独立性を有する中央銀行の一つであると評価されていた。
1993年に発効した「マーストリヒト条約」およびこれに基づく「欧州中央銀行法」により、当該国が中央銀行による対政府与信を禁止する規定を置くことが、単一通貨制度と欧州中央銀行への加盟条件の一つとなった。つまり、ドイツやフランスなどユーロ加盟国もマーストリヒト条約により、中央銀行による国債の直接引受を行うことは禁止されている。当然ながら欧州中央銀行(ECB)も国債の直接引受は禁じられている。
2010年5月、ECBによる国債買入れが実施されたが、これはあくまでユーロの信用危機による国債市場の安定化そのものが目的となっており、例外的なものとなっていた。しかし、もしECBが今後追加緩和策、量的緩和として国債を買入れるとなれば、財政規律の重要性等が明記された「成長安定協定」に違反することになりかねない。
特にドイツ出身の委員がECBの国債買入れに反対しているのはこの歴史のためである。ただし、ドイツ国内にあっても景気の低迷や物価下落もあり、ECBの国債買入れに関しては意見が分かれつつある。
10月21日にはECBによる社債の買入れ観測が出たことで、これが欧米の株式市場の反発要因のひとつとされた。国債の買入れについてはハードルが高いことで、まずはカバードボンドと呼ばれる銀行などの金融機関が保有する債権を担保として発行する債券の買入れなどから始め、次のステップとして国債ではなく社債が出てきたのも上記の理由によるものと推測される。