ジャクソンホールで踊る中央銀行
米国ワイオミング州ジャクソンホールで開催されるカンザスシティ連銀主催のシンポジウムは市場参加者にとり大きな注目材料となっている。今年は8月27日から29日にかけて開催された。
過去の歴史を見ても、カンザスシティ連銀主催のシンポジウムでは主に金融政策に関わる興味深い出来事が多かった。このシンポジウムは、ある程度マスコミ等から遮断されての意見交換の場もあるとみられている。これには著名学者などとともに、日銀の黒田総裁など各国の中央銀行首脳が多数出席することで、金融関係者によるダボス会議のようなものとなっている
なぜこのようなシンポジウムが、ワイオミング州ジャクソンホールという小さな町で行なわれるかといえば、FRB議長だったポール・ボルカー氏がフライ・フィッシングの趣味があり、この街を良く訪れていたお気に入りの場所であったからという説がある。
ロシア危機とヘッジファンド危機に見舞われた1998年に、当時のグリーンスパンFRB議長がこのカンザスシティ連銀主催のシンポジウムの合間に FRB理事や地区連銀総裁とひそかに接触し、その後の利下げの流れをつくったとされる。
1999年には日銀の山口副総裁(当時)と、バーナンキ・プリンストン大学教授が、日本のバブルに対する日銀の金融政策の評価をめぐり、論争を行ったことでも知られる。
さらに2010年8月27日にはバーナンキ議長(当時)がQE2を示唆する講演をジャクソンホールで行った。このシンポジウムに出席していた白川日銀総裁(当時)は予定を1日に早めて急遽帰国し、8月30日の9時から臨時の金融政策決定会合を開催し、新型オペの拡充策を決定している。
ジャクソンホールでの発言が今後の金融政策の方向性を示唆することがあるのに対し、ここでの発言があまりに注目されるためもあって、本来なら出席してしかるべき人が今後の金融政策の方向性の言質を取られないようにするためなのか、出席しないことも多い。もちろん別な政治的な事情があった可能性もある。
2012年のジャクソンホールでは、9月1日にECBのパネルディスカッションの出席も予定されていたにも関わらず、ECBのドラギ総裁は直前になってシンポジウムへの参加を取りやめた。その理由として、向こう数日に多忙を極めると予想されるためとECB報道官は語っていた。結局、ドラギ総裁とともにECBの理事は出席しなかったが、ドイツ連銀のバイトマン総裁は出席していた。そして、9月6日のECBの政策理事会では新国債買い切りプログラム(OMT)を決定していたのである。ここでいったい何かあったのか。2010年8月の白川総裁の急遽帰国とともに興味深い出来事となった。
2013年5月22日にバーナンキ議長(当時)の会見でテーパリングの意向が明らかとなったことで、9月のFOMCでテーパリング開始が決定されるのではないかとの観測が強まっていた。しかし、この年のジャクソンホールにバーナンキ議長は異例とも言える欠席をした。結局、テーパリングの開始を決定したのは9月ではなく12月となった。
そして年内利上げをすでに示唆しているイエレン議長も本来であれば主催者ともいえる立場でありながら(形式上はカンザスシティ連銀主催)、やはり今年のジャクソンホールの欠席をすでに表明している。これは2013年のバーナンキ議長を見習ってのものと思われるが、バーナンキ議長は当日のイエレン副議長とともに市場の動揺を限定的にさせてテーパリングを成功させている。イエレン議長の出口政策もこのときのことはかなり参考にしているとみられる。