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日本初の金融先物(債券先物)が30年前に誕生した理由

久保田博幸金融アナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

2015年10月19日で長期国債先物(通称、債券先物)は30周年を迎える。今回は30周年を記念して、1985年10月19日に日本初となる金融先物の債券先物が東京証券取引所に上場することになったのか。その経緯を振り返ってみたい。

1985年6月に銀行に対して国債の「フルディーリング」が認められた。銀行が大量に保有する国債を市場で自由に売り買いできるようになったのである。

この背景には国債の大量発行があった(現在とはまったく規模は異なるが)。ところが、当時はまだレポ取引といった債券の貸借取引が整備されておらず、国債の価格変動リスクをヘッジする手段がなかった。金融市場の国際化や自由化の進展もあり、そこで米国市場などで活発に利用されていた先物取引を、まずは債券市場で導入しようとの機運が高まったのである。

1984年の証券取引審議会公社債特別部会で、市場創設に向けての具体的な検討が行われ、「債券先物市場の創設について」と題する報告書が大蔵大臣に提出された。先物の仕組みとして対象を長期国債とすること、標準物方式が望ましいこと、証券取引所において行うこと、そしてディーリング認可金融機関(つまり銀行)を直接参加させること、当面は機関投資家中心の市場とすること、証拠金・値洗い・制限値幅等の投資家保護ための制度を設けることなどが提言された(東証『債券先物取引市場10年間のあゆみ』より)。

こうして、債券先物の参加者としては、東証会員の証券会社だけではなく、国債を大量に保有している銀行の参入が、特別会員という資格で認められた。国債の自己売買が認められている金融機関であるディーリング認可行と、非会員証券会社のなかで一定の資格条件を満たしたものについては「特別会員」として債券先物の取引所取引ができるようになったのである。

先物の対象(標準物)となる債券には、発行主体の支払能力が高く、債務不履行リスクが低く、発行量や残存が多く、現物の取引が活発に行われ、現物市場で価格情報が広く継続的に提供されているなどの性質が求められた。これに合致するのは国債、なかでも当時最も発行量や残存が多かった10年の長期国債であった。

こうして1985年10月19日に誕生した債券先物であったが、上場直後に相場は急落した。その要因は、前月9月22日にニューヨークのプラザホテルで秘密裏に開かれた会議にあった。G5と呼ばれた国(日本、米国、イギリス、フランス、西ドイツ)の蔵相・中央銀行総裁が集まり、米国の貿易赤字と財政赤字の問題(双子の赤字)を是正するため、ドルの引き下げに合意したのだ。いわゆる「プラザ合意」である。これを受けて日銀が短期金利の高め誘導を行ったことで、上場したばかりの債券先物は急落したのである。

1985年にプラザ合意があり、債券先物が東証に上場したのは単なる偶然であったのであろうか。この1985年から債券は本格的なディーリング時代を迎え、外為市場では円高が進行し、株式市場もバブルに向けて突っ走ることになる。日本の金融市場が活況を呈するようになったのは、この1985年がひとつのきっかけとなっている。その意味でプラザ合意とともに債券先物の上場は、日本の金融市場にとって象徴的な出来事であったといえる。それから30年が経過し、果たして日本の金融市場はどれだけ進歩してきたといえるのであろうか。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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