「ピコ太郎」大ブレークの理由
パンチパーマでサングラスをかけ、ヒョウ柄の衣装を身にまとったチンピラ風の謎の人物「ピコ太郎」が世界を席巻している。彼がYouTubeにアップした動画『ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)』は、彼が音楽に合わせて踊りながら「ペンパイナッポーアッポーペン」というフレーズを繰り返すというもの。これがSNSを通じて世界中に広まっていった。
・PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)/PIKOTARO(ピコ太郎)
https://www.youtube.com/watch?v=0E00Zuayv9Q
ジャスティン・ビーバーがお気に入りの動画として紹介したことをきっかけに、再生回数もさらに飛躍的に伸びていった。世界中のミュージシャンや一般人がこの曲をカバーする動画も多数アップされており、関連動画を含めると再生回数はすでに2億回を突破しているという。この現象は『CNN』『BBC』『TIME』などの海外メディアでも取り上げられるほどのビッグウェーブとなった。日本でも中高生などの若い世代を中心に人気を博している。10月7日には、この曲が世界134カ国で配信限定でリリースされた。
ピコ太郎は経歴不明のミステリアスな人物ということになっているが、その正体と噂されているのはお笑いタレントの古坂大魔王。かつては「底抜けAIR-LINE」というコンビ(初期はトリオ)で活動していた。底抜けAIR-LINEは音楽や効果音を多用して、派手な動きで見せるコントで独自の芸風を確立しており、『タモリのSUPERボキャブラ天国』『爆笑オンエアバトル』などに出演。爆笑問題、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)、ネプチューンなどが出てきた90年代後半の若手芸人ブームの片隅にいるコンビのひとつだった。
だが、2003年に古坂はお笑いの活動を休止してしまった。その後、2008年にピン芸人として活動を再開した。
くりぃむしちゅーなど同世代の芸人たちは皆、古坂のことを「天才」だと太鼓判を押す。しかし、「楽屋にいるときが一番面白い」「テレビでは良さを発揮できない」などとも言われてきた。『ボキャブラ天国』では、一度に何十組もの若手芸人が出演していた。彼らは本番で全力を出し切り、本番後の楽屋では休憩を取っておとなしくしているのが普通だという。
だが、古坂だけは違った。1人ではしゃぎ続け、しゃべり続ける。その姿に周りの芸人たちはあきれながら苦笑していた。彼は芸人には珍しくオンとオフのスイッチがないタイプの人間だった。
底抜けAIR-LINEとして活動していた頃から、古坂には音楽とダンスへのこだわりがあった。ネタの中で使われる音楽もかなり作り込まれていたし、動きのキレも半端ではなかった。相方の小島忍はバク宙もできる運動神経の良さを売りにしていた。いま当時の彼らのネタを見てみると「早すぎた」のかな、と思う。6秒という超短時間で見せるショートコント、作り込まれた音楽やダンスを軸にしたネタなど、彼らのパフォーマンスはいわゆる漫才やコントといった伝統的なお笑いネタの枠には収まりきらないものだった。
ネタ番組では「ネタ」が求められ、バラエティ番組では「キャラ」が求められる。ネタの面白さが認められて世に出た芸人のうち、愛されるキャラを持っている人だけがテレビタレントとして次のステージに進むことができる。
古坂はマルチな才能を持った天才的な人間だったが、その才能はたまたまここ20年のテレビバラエティの文脈には乗らないものだった。芸人はテレビで売れなければ「売れた」と認めてはもらえない。古坂は雌伏の時を過ごしていた。
だが、ここ数年、状況がガラッと変わった。インターネット環境が激変して、動画サイトが乱立。若い世代を中心に動画サイトの支持者が増え、そこから新たなスターやブームが生まれる土壌ができてきた。オリエンタルラジオの『Perfect Human』、エグスプロージョンの『本能寺の変』など、音楽的なパフォーマンスが動画サイトから人気に火が付いて爆発的に拡散する現象も見受けられるようになった。
ネット上でウケるネタには、構成も伏線もフリ・オチも要らない。その場のノリが重視され、短い時間で気軽に楽しめることが重要。その方がSNSなどで拡散して友人に見てもらいやすいし、真似をするのも簡単だ。ノリの良さを大事にして、短い時間で伝わるネタを追求してきた古坂は、ここへ来てようやく時代の波に乗ることができた。
言葉の面白さを掘り下げてきた従来の日本のお笑い芸は独自の高みに達しているが、言葉の壁があるので海外進出とは相性が悪い。だが、古坂は音楽を武器にその壁をやすやすと乗り越えていった。1997年に発行されたお笑いムック『平成「お笑い」最前線』のインタビューで、古坂はこう語っている。
ペンとパイナップルとアップルとペンを組み合わせて「ペンパイナッポーアッポーペン」という造語を作ることが面白いなんて、普通は誰も思いつかない。でも、古坂はそれに可能性を感じていた。天才だけに見えていた細い細い道。それは、日本のテレビという枠を超えて世界へと通じる一本道だった。