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商店街に吹く後継者の新しい風

前屋毅フリージャーナリスト

■テナント業に変わる商店主たち

神奈川県横浜市伊勢佐木町は独特な雰囲気をもつ街である。「雑多」という言葉が、この街ほど似合うところもないだろう。

明治時代から繁華街として知られ、現在でも1丁目から7丁目までを貫く「イセザキモール」を中心に商店、飲食店などが並ぶ。平日の昼間でも人の通りは多いが、横浜駅周辺や中華街などにくらべれば劣る。

しかも、同じイセザキモールでも2丁目までと3丁目以降では雰囲気がガラリと違う。1丁目から2丁目にかけては見慣れたチェーン店が目立ち、通行人も多いが、3丁目から7丁目にかけては昔ながらの小さな店が並び、人通りもがくんと落ちる。閉店したままになっている店舗も目にはいる。

その理由を地元の人に訊くと、次のような説明がかえってきた。「1、2丁目は昔からハコ(店舗面積)の大きなところが多かったので、そういうところは大手チェーンが借りたがるから、自分の店はたたんでテナント業になったところが多い。しかし3丁目以降はハコが小さいから借り手がいなくて、昔ながらに細々とやっているところが多い。そういうところも後継者がいないので、これから閉店するところが増えていくんじゃないでしょうか」

ここも、日本の多くの商店街に共通する問題を抱えているのだ。1丁目から2丁目、そして3丁目以降では商店会組織も違うという。テナント業が主体になったところと、昔ながらの商売のところでは、うまくいくはずがない。

■商店街での活躍を望む若い世代もいる

その伊勢佐木町の商店街に、「新しい風」が吹きつつある。

協同組合「伊勢佐木町商店街」の事務局のなかに、「ABY事務局」という組織が置かれている。ABYは「Adventures to Build the city of Yokohama」の略称で、横浜の街をつくっていく挑戦者たちといった意味である。

この組織、伊勢佐木町界隈の商店の2代目、3代目、4代目たちで構成されている。といっても、まだ10人ていどの規模でしかない。

先ほどの地元民のコメントにもあったように、ここも後継者不足が深刻だ。チェーン店や大型店の影響で業績的には伸び悩む店ばかりだから、2代目、3代目たちは家をでて企業に勤めることを選ぶのだ。

ABYのメンバーは、そんななかでも残った2代目、3代目というわけではない。2代目や3代目としてやってきたメンバーもいるが、いったんは家をでて勤め人になったものの戻ってきて2代目、3代目になったメンバーもいる。

ABYを結成した張本人で、現在は顧問の肩書きをもつ渡邉清高氏も「出戻り組」である。彼は、伊勢佐木町と隣接する若葉町に拠点を構え、1952年から続く仕出し弁当業の「うお時」の3代目だ。ちなみに、横浜で「仕出し業」が広まったのは、この店からだったという。

■若い世代の発想と行動力が商店街を変える

渡邉氏は、大学を卒業すると家業を継がず会社員になった。しかしサラリーマンとしての実績もあげつつあった5年前、家業を助けるために戻ってきたのだ。家業の業績が思わしくなかったことが理由である。

うお時の創業者である渡邉氏の祖父が手がけたのは、仕入れた魚を注文に応じて料理して届けるという文字どおりの「仕出し」だった。そうした仕出しの注文が減ってくると、2代目である渡邉氏の父親は弁当をつくり、勤め人などからの注文を朝にとり、昼食時に届ける仕出し弁当へと業態をマイナーチェンジした。それが成功した。

しかし、競合相手が急増してくるなかで商売は厳しくなる一方で、経営は苦しくなっていった。廃業の話もちらほらでてくるようになり、渡邉氏は戻ることを決意したのだ。

専務として家業を切りまわすようになった渡邉氏がやったことは、それまでの商売を止めることだった。といっても、弁当そのものを止めたわけではない。朝、あちこちに電話して注文を集める方法を止めたのだ。

「いくらでも弁当のある時代ですからね。あちこち連絡しても、1日に1個か2個しか注文がはいらない日もあります。これでは商売にならないのは当然でした」と、渡邉氏。

その代わり彼が始めたサービスが「ワン・デリバリー」である。あちこちに弁当を配達するのではなく、あらかじめ注文をとった1カ所に弁当を配達するやり方だ。予定が組めるし、効率もいい。

ただし、そんな都合のいい注文をとるには工夫が必要になってくる。「横浜は文化財や景勝地が多く、ドラマなどのロケ地に最適な場所、いろんな映画で使われた場所がたくさんあるんです。そういうところを記した地図を弁当箱の蓋の裏に印刷して放送業界に売り込んだら受けて、ロケのときの弁当として使ってもらえるようになりました」と、渡邉氏。ほかにも横浜特産の野菜を使うなど特色のある弁当作りをこころがけ、それを営業の武器にすることで「ワン・デリバリー」として成功させ、業績をたてなおしつつある。

「親父の代の商売を否定することになるわけです。言いだすのも勇気がいるし、説得するにも骨が折れます。しかし、それをやらなければ商売がダメになる。親父が祖父の時代の商売をマイナーチェンジしたように、僕ら3代目など後継者が家業を盛りたてていくためには時代にあったマイナーチェンジをしていくことが大事なんです」と、渡邉氏は力をこめていった。

先代からの店を受け継ぎ、漫然と商売の方法も同じことをやっていたのでは時代の波に乗ることは難しい。跡を継ぐためには、時代に乗る覚悟と知恵が必要になってきているのだ。

「しかし、1人で考えても難しい。だから、この商店街に2代目、3代目、4代目が戻ってくるとき、その相談にのれる環境づくりをしようとおもったわけです。それがABYです」と、渡邉氏は説明した。同じ境遇の後継者たちが力をあわせる場がABY、というわけだ。

さらに、渡邉氏はいう。「後継者だけではありません。もしも閉店するところがあって、その場所で新しく商売をやりたいという人があれば、そういう橋渡しの役もはたしていけるようになりたいと考えています」

「昔ながら」だけでは難しい局面にあるのが現在の商店街である。その状況を、戻ってきて変えようとしている2代目、3代目、4代目の動きがあるのも事実だ。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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