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「はだしのゲン」問題からみえる日本の教育

前屋毅フリージャーナリスト

島根県松江市の「はだしのゲン」問題が波紋をひろげている。日本の教育の現実を目の前につきつけられたようで、たまらない。

「はだしのゲン」問題と書いたが、そのような呼び方が定着しているわけではない。島根県松江市教育委員会(市教委)が、作品のなかに過激な描写があるという一部の市民からの指摘をうけ、昨年12月の校長会で書庫などに納めて子どもたちが自由に閲覧できない閉架図書にするよう要請、これに従った市立小中学校が従った、というのだ。

広島で被爆した漫画家の故・中沢啓治氏が自らの体験をもとにして描いたのが「はだしのゲン」で、いまでは原爆の悲惨さを訴える作品として全世界的に評価を高めている。そういう本を子どもの目にふれさせないようにする市教委の措置が8月16日に伝えられると、ネットを中心に批判の声があがった。反原爆から反原発(反原子力発電所)につながる動きを封じた、と受け取っているようだ。

市教委は閉架にした理由を、原爆にはふれず、旧日本軍がアジアの人々の首を切り落としたり、銃剣術の的にする場面が過激だ、と説明しているらしい。いっさい原爆にふれないところが、原爆にこだわっているようにおもえる。

これから「はだしのゲン」問題の波紋は、ますますひろがっていくにちがいない。反原発の動きとも密接にからんでいくことだろう。ただし、ここで問題にしたいのは、そちらではない。

市教委からの要請を校長たちはすんなりとうけいれ、さらに教員たちもおとなしくしたがった。こちらも軽視できない問題である。

報道をみるかぎり、閉架になった当時、現場の教員、または父兄がこれを問題にしたということはなかったらしい。「問題意識の低さ」と言ってしまえば終いだが、東京電力福島第一原子力発電所事故があったにもかかわらず、そこに関心をはらわない教員ばかりの教育現場というのではさびしいかぎりだ。

関心をもつ教員がいたとしても、そんな存在は問題にもされない市教委の「強さ」なのだろうか。市教委のおもうがままになっているのが、島根県松江市の実態なのだろうか。

松江市にかぎらず、日本における教育現場の現実なのかもしれない。多様化が求められる時代といいながら、教育現場では多様化ではなく、号令一下でものごとが決まっている。議論が起きる土壌も、それを受け入れる土壌すらもないようだ。

そういう現実で教育される子どもたちにの未来は、はたして明るいものなのだろうか。子どものための教育は、土壌改良からはじめなければならない事態になっているのかもしれない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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