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宇都宮「ギョーザ1位競争」離脱から考える順位の意味

前屋毅フリージャーナリスト

「ギョウーザのまち」として知られる宇都宮市が、「1位争い」から離脱するそうである。1位になれないからの「負け惜しみ」という見方もあるようだが、もはや「争う」ことに意味がなくなったということだ。

宇都宮市が1位争いに参戦したのは、総務省の家計調査にギョーザの世帯当たり購入額がはいっていることを職員が発見したのがきっかけで、これで1位をとれば「ギョーザのまち」としてアピールできると考えたからだった。狙いはあたり、ギョウーザといえば宇都宮というくらい全国に知られるようになっている。みんなが一斉に参戦したわけではないから、1位になるのは難しいことではなかったはずだ。もともと餃子店が多かった、という下地もあった。

そこに、浜松が参戦。2011年と12年は、1位の座を奪われてしまった。13年に奪還したものの、14年には再び奪われてしまった。こうなると熾烈な1位争奪戦にエスカレート、というのがお決まりの展開である。

しかし宇都宮は、「PRのための順位はもういい」と宣言したのだそうだ。この引き際には、拍手である。

1位をとったからどうなの、と冷静に考えてみれば、あまり意味は感じられない。「市民がいちばん餃子を食べる町みたいよ」「へぇー、そう」で終わりである。

しかも、このギョーザ1位、スーパーなどの小売店で売られる「調理品」だけが対象で、餃子店の食事や持ち帰り、冷凍食品はふくまれていない。外食でいちばん食べられているのなら、それほど旨いのなら行ってみたい、となるのだが、そうではない。「1位」という言葉に、宇都宮の餃子店も旨いに違いないと錯覚したに過ぎない。もっとも宇都宮の餃子店はたしかに旨いので、錯覚であっても嘘ではなく、市外からも客を引き寄せるきっかけにはなった。PRとしては大成功したのだ。

でも、錯覚でしかないのだから、こだわってもしかたない。そんな錯覚を頼りにしないで、餃子そのものの味で勝負したほうがいい。それに気づいた宇都宮は、ほんもののギョウーザのまちである。

宇都宮のギョーザにかぎらず、順位には錯覚させられることが多い。たとえば全国学力テストで1位になったからといって、その地域の教育水準が高く、子どもたちが活きいき生活できているとはかぎらない。1位になることばかりに必死になって、何を意味する1位なのかをわかっていない、なんてことは、よくあることだ。宇都宮を見習って、意味のない順位競争からは離脱する理性をとりもどすのも悪いことではない。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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