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あの日から35年。モスクワ五輪ボイコットを考える。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

もう35年も経つのか。1980(昭和55)年5月24日。日本オリンピック委員会(JOC)はモスクワ五輪不参加を決めた。スポーツ界が政治の圧力に屈した痛恨事であり、忘れてはならない日である。

1年前、他界された五輪評論家、「ハムさん」こと伊藤公(いさお)さん(亨年78)は生前、こう漏らしていた。

「なぜ、日本はモスクワ・オリンピックをボイコットしたのか。我々は、この自問をし続けなければならない」

伊藤さんはボイコット当時、日本体育協会事務局の国際担当参事を務めていた。「スポーツが政治に敗れた日」とも口にしていた。

東西冷戦下の1980年モスクワ五輪。その前年暮れに起きたソ連(現ロシア)のアフガニスタン侵攻に抗議する米国のジミー・カーター大統領の呼びかけに応じ、日本政府はボイコットを決めた。日本スポーツ界も追随した。政治の強権はともかく、当時のJOCは体協の傘下にあり、財政的にも貧弱で非力だった。自立していなかった。

結局、二百四十六(選手百八十二人、役員六十四人)の日本選手団は幻に終わった。拙著『五輪ボイコットー幻のモスクワ、28年目の証言』(新潮社)を執筆するに際し、モスクワ五輪代表だった柔道の山下泰裕さんやレスリングの高田祐司さん、マラソンの瀬古利彦さんらの話を聞いた。

オリンピック運動とはひと言で言えば、「世界の平和建設への寄与」である。そのシンボルであるオリンピック大会へのボイコットは絶対、あってはならないとの思いを強くした。

それでも2014年ソチ冬季五輪の時には反同性愛法を理由にしたボイコット騒ぎがあり、ロシアのウクライナ騒乱介入問題で国際スポーツ界は揺れた。

2020年東京五輪パラリンピックに向けても、中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題と、国際スポーツ政治のゴタゴタに発展する危険性をはらむ。いまこそ、我々はオリンピズムやオリンピック運動の精神を確認しなければならない。

そういった意味で、昨年10月に国連総会で決議された「スポーツの独立性と自治の尊重およびオリンピック・ムーブメントにおける国際オリンピック委員会(IOC)の任務の支持」は画期的なことである。

決議では、スポーツを平和促進の手段として認め、国際オリンピック委員会(IOC)とオリンピック運動に光があてられている。国際的なスポーツイベントのボイコットは決して許されず、「スポーツの独立と自治」が明確にうたわれている。

平和な世の中だからスポーツができるのではなく、スポーツが平和をつくるのである。そう思う。

2020年に東京五輪パラリンピックを控える日本では今秋、スポーツ庁が創設されることになっている。

なぜ日本はモスクワ五輪をボイコットしたのか。スポーツ界は自立しているのか。スポーツと政治の関係はどうあるべきか。我々は自問しつづけなければなるまい。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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