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プエルトリコ初の金メダリスト、モニカ・プイグは苦境の国のジャンヌ・ダルク

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
ノーシードながら決勝まで失ったのは2セットだけ。プイグはアグレッシブな戦法で対処

決勝で世界2位ケルバーに快勝

リオデジャネイロ五輪、テニスの女子シングルスでプエルトリコのモニカ・プイグが優勝。五輪史上初めて同国に金メダルをもたらした。カリブ海の島国プエルトリコがオリンピックに参加したのは1948年のロンドン大会が最初。以来8人のメダリストがいるがいずれも銀か銅(内訳は銀2個、銅6個=ボクシング6人、陸上とレスリング各1人)。このうち女子は一人もいなかった。

決勝で世界ランキング2位のアンジェリック・ケルバー(ドイツ)を相手に力強いサーブから攻撃的なテニスを展開。第1セットを6-4で先取する。このセットの第10ゲームでケルバーは負傷したように見えたが、ドイツ人は底力を発揮して第2セット、逆に6-4で獲りタイに持ち込む。しかし第3セットはラ・ボリクア(プエルトリコ人の別称)の独壇場。第7ゲーム、4度のマッチポイントをしのいだケルバーだったが、最後バックハンドがラインを割り、6-1でプイグの勝利。この瞬間スタンドではプエルトリコ人たちのフィエスタが始まった。

プイグ(22歳)の快挙を13日(日本時間14日)米国のスペイン語TV「テレムンド」はニュースの第一報で伝えた。同時に同局の親会社というべき4大ネットワークのNBCもトピックとして報じた。(2つの局は五輪を独占中継している)プエルトリコはボクシングや野球で好選手を輩出しており、金メダリスト初は意外な印象もある。また今回の五輪では同国のような小国、たとえばシンガポール(水泳のジョセフ・スクーリング)、コソボ(柔道のマイリンダ・ケルメンディ)など初の金メダリストが誕生した。だがプイグの話題にニュース・バリューがあったのはいくつかの理由がある。

米国自治領プエルトリコ

その前にプエルトリコを「国」と断言していいものなのだろうか。確かにボクシングにしろ野球にしろバスケット、テニスでも一国としてカウントされているが、正確には米国自治領。独立国でもなければ米国の1州でもない。何年かおきに独立するか、米国の51番目の州に昇格するかで住民投票が行われる。一番最近の投票では州になることを望む住民が多数派だったというが、いまだに「どっちつかず」の状態が続く。

住民は米国籍だが、米国の納税義務や大統領選挙の投票権はない。逆に以前は徴兵義務があった。スポーツの試合に見られるように心では独立に傾くが、米国籍は失いたくない――というのがスタンダードなプエルトリコ人の気持ちだと現地の識者はいう。この曖昧とも取れる状況が最近の経済危機を引き起こしていることは後述したい。

さて米国のヒスパニック人口のトップは何と言っても長い国境を接するメキシコで、全体の65%ほどを占める。続いてプエルトリコ系が10%弱といわれる。両者には大きな隔たりがあるが、それでもプエルトリコ人はラテン系では2位を占めている。その“国”から初めて五輪のメダリストが生まれ、しかも花形競技テニスの女子選手だったことはヒスパニック社会に大きなインパクトを与えた。88年のソウル五輪で初めて公式種目となったテニスの同大会優勝はシュテフィ・グラフ、前回ロンドン大会では世界ランキング1位セレナ・ウィリアムズが金メダル。これまで米国は女子シングルスで5人がゴールドメダルを獲得している。そんな華麗なヒストリーを継承したこともプイグの功績を浮き立たせた。

トリニダード以来の感動

またリオ五輪開幕時、世界ランキング34位のプイグは88年以降、シングルスで優勝した最初のノーシード選手となった。プイグは今年、全豪オープンと全仏オープンで3回戦まで進出しているが、リオでは3回戦で全仏オープンの現チャンピオン、ガルビネ・ムグルッサ(スペイン)を下す殊勲。準決勝ではウィンブルドン2度制覇のペドラ・クビトバ(チェコ)を破り決勝へ進出。ファイナルで対戦したケルバーは「彼女はここへプレッシャーなしでやって来たと思う。そしてキャリアで最高のプレーを披露した。失うものがなく、メダル獲得に一心不乱だった。素晴らしい選手だとは分かっていたわ。トップの選手を次々下し、チャンピオンに相応しい活躍だった」と相手を称えた。

もう一つ、プイグの勝利にインパクトがあったのは長年プエルトリコがこんな出来事に飢えていたからに違いない。

17年前デラホーヤ(右)を下してプエルトリコを熱狂させたトリニダード
17年前デラホーヤ(右)を下してプエルトリコを熱狂させたトリニダード

表彰台の中央に立ちプエルトリコ国歌を聞きながら涙を流したプレグを見た同胞たちの頭をよぎったのは99年9月、ボクシングの世界ウェルター級タイトルマッチだった。プエルトリコの英雄フェリックス“ティト”トリニダードがスーパースター、オスカー・デラホーヤ(米)に判定勝ちで王座統一を果たしたビッグマッチ。会場のラスベガス、マンダレイベイ・リゾートのスタンドで狂喜乱舞するボリクアたち。あれから17年の歳月を経て、人口350万人の小国からヒロインが誕生した。

SNSで祝福メッセージが氾濫

“ティト”の快事も相当ヒートアップしたが、今回はプイグを祝福するメッセージがネットであふれ、ソーシャルメディアが占領されるような状況となったからすごい。セレブからの発信も多く、ラテンポップの大スター、リッキー・マーティン、同じくミュージック界のエドニタ・ナサリオ、プエルトリコ知事アレハンドロ・ガルシア夫妻、バラク・オバマ米国大統領が祝辞を送った。この中でマーティンは「きょう、間違いなく私のプエルトリコは世界中で一番幸せな島となった」と発信。一方“プエルトリコの歌姫”と呼ばれるナサリオも「グラシアス、モニカ。幸せな涙と勝利の金メダルで私たちに誇りをもたらせてくれた」と記した。

他にもウィンブルドン3度優勝の名選手クリス・エバート、ラップ歌手のダンディ・ヤンキー、バスケットボールNBAのホセ・フアン・バレア(ダラス・マーベリックス)、メジャーリーガーのカルロス・コレア(ヒューストン・アストロズ)がツイート。プエルトリコ・オリンピック委員会のトップ、カルロス・ベルトラン(メジャーリーガーとは別人)も「モニカの(金メダル)獲得はプエルトリコが結合し大きな事を成し遂げられる励みとなった」とメディアに語った。

カリブのギリシャに転落

どうしてこれほどまでプイグにスポットライトが当たるかといえば、プエルトリコの国内事情とは無関係ではないだろう。“ラ・イスラ・デ・エンカント”(魅惑の島)と呼ばれるプエルトリコだが、イメージは少しずつ悪化している。報道によれば約10年前から景気後退と財政危機が表面化。失業者の増加を招いている。

米国の“一部”という立場から賃金などの水準は他のラテンアメリカ諸国より高く、生活保障も完備。とはいえ現状は途上国だから米国よりも物価は安い。住民は米国への納税義務はない。まさに“魅惑の島”に思えるが、好事魔多し。これが破綻を巻き起こしてしまったようだ。

NAFTA(北米自由貿易協定)が94年に発足すると、それまで免税処置などで事業を展開していた米国企業が人件費の安いメキシコへ拠点を移してしまった。加えて免税処置も06年に廃止された。投資が激減したのに将来を見込んで本土米国から借金を続けた。EU(欧州連合)から金を借りまくったギリシャに酷似していると経済専門家は嘆く。

観光以外に基幹産業がなく、地下資源も乏しいことも災いした。最低賃金が米国並みのため輸出品の価格が割高となり悪循環を起こした。経済的にも単なる憧れとしても米国での生活は魅力。昔からニューヨークの底辺で生きるのはプエルトリカンといわれたが、近年東部を中心に米国へ渡る住民が増え、今では400万人以上が本土で暮らす。島の人口を楽々と超えてしまった。国土が狭く(兵庫県とほぼ同じ)失業率が高いと言ってしまえばそれまでだが、移民が多い国でも本国より他国へ移った人口が上回る国はないだろう。もっとも米国との関係は“国内移動”とも取れるのだが・・・。

モニカ効果で治安も回復?

今年4月の時点でプエルトリコが抱える負債総額は720億ドル。当時のレートで約8兆2000億円に達するという。まだ支払いのメドは立っていない。

勝利の瞬間、国旗を掲げて涙を流し喜びを爆発させたプイグ
勝利の瞬間、国旗を掲げて涙を流し喜びを爆発させたプイグ

プイグはテニスのキャリアを本格的にスタートさせた後は米国フロリダ住まい。だが母国への想いは尽きない。「プエルトリコは困難な時期を迎えています。自分でも(優勝は)必要でしたが、国民が一致団結するためにも重要だったと思います」(プイグ)。経済崩壊の最中、彼女のメダルが直接復興の手段となるわけではないが、やはり精神的な効果は少なくない。もしメダルの色が銀か銅っだったら、インパクトがここまで大きかったかは疑問だ。

13年3月、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の準決勝でプエルトリコ代表が日本代表に勝った時も感動を与えたが、金メダルの値打ちで歴史をつくったプイグには一歩譲らなければならない。決勝では同胞たちの「Si se puede!」(君ならできる)の連呼が彼女の背中を押した。治安が悪化しているというカリブの島国だが、現地の記者は「彼女の勝利で犯罪も減少するだろう」と予言している。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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