「スマホ絶ち」、その真の意味は? スマホ依存気味の人に!
先日の毎日新聞の記事:「スマホ断ち 「依存」小中高生向け、無人島で野外体験」が発端になって、いわゆる「スマホ絶ち」に関して議論が白熱しました。特に治療を要するレベルの依存症としてのスマホ依存と、スマホを扱う時間が極めて長いというだけのスマホ依存が同じ軸の上で語られ、さもスマホが依存症の根本原因であり、「絶つ」べき非行行為であるような扱いに対して疑問が投げかけられています。
まず、新聞記事にあるような兵庫県の取り組みは、依存症の治療行為であるとは考えられず、行為的に解釈すれば、スマホの利用方法について一石を投じた取り組みであって、スマホを使わないことが児童、学生の健全育成に結びつくとは到底考えていないはずです。また、「(スマホを使わないことで)リアルな世界の楽しさを伝えたい」と、記事ではまとめていますが、現実にはスマホしか見ていないのではなく、あらゆる選択肢の中からスマホを選んでいる可能性が高いのです。その点は、スマホがモバイル機器であり、特定の場所や時間に縛られるものではなく、スマホ以外に接続(接触)するあらゆる機会が存在しているのです。
冒頭の引用で藤代裕之氏が言われるように、スマホを使わないことが正当であるかのように、あるいは問題があるからといって単純に触らせないという選択を助長するかのような印象の記事は今後のネット社会を担う子供達の育成にとってマイナス要因にこそなれ、ネット社会での子供達の生活を支える手段や知恵には程遠いものでしょう。どうしても新聞やテレビ等では、全ての人を対象とすることから、わかりやすくするために、善悪の極論どちらかの立ち位置で解説しがちです。スマホ依存気味であるからといって、「スマホ絶ち」が効果的かといえば、熟考しなくても、本質的な解決策にならないことに気づくでしょう。
この問題は、先に書きましたYahoo!ニュースでの記事:「教師も危ないからLINEを使わないように!?【続報】」と同じです。その記事では、その滑稽さを描きました。スマホ依存気味だからといって、使わせないというのは短絡的であり、特に短期間であることの効果は、スマホがモバイル機器であるという事実も相まって、期待できません。依存症としてのスマホ依存ならばともかく、スマホ依存気味の児童、学生に対しては、その利用方法を単なる「べからず」集としての規則やマナーを教えるのではなく、スマホがどういうものか、ネット社会とはどういうものか、そして良いことも悪いことも含めて何にができるのかを学ぶ必要があるのです。