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5月病に利く? 遅咲きジャパン伊藤鐘史、1月に語ったワールドカップ舞台裏【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
唯一の出場となったスコットランド代表戦中。(写真:ロイター/アフロ)

ゴールデンウィークが終わった時期に話題となるのが5月病。新しい環境へ適応する際の精神的な疲れなどによるうつ病に近い状態を指す。

メンタルタフネスを身に着ける術は、千差万別。そんななかプロラグビー選手の伊藤鐘史は、気分や周囲の状況に流されずに目の前のタスクへ一意専心する。

2012年に31歳で初めて日本代表入りし、昨秋のワールドカップイングランド大会に34歳で出場。1月下旬、神戸市内で当時の心境などを明かしているのだが、その内容にはこの季節に頑張る人へのヒントが隠されていよう。

伊藤は昨秋のイングランドでは9月23日、グロスターのキングスホルムでのスコットランド代表戦に途中出場。大会唯一の出番となったワールドカップデビュー戦では、10-45と敗戦した。

もっともグラウンド外では、ラインアウト(タッチライン際での空中戦)の作戦立案をサポートした。平均身長で常に相手を下回るなか高いボール保持率をマークし、歴史的な3勝を挙げた。身長191センチ、体重100キロの体躯で、冷静さとぶつかる際の姿勢の低さが評価される。

京都産業大学を経て、2003年度にリコー入り。一時はキャプテンも務めたが、度重なる故障に泣いた。さらには2009年度には代表入りを目指して神戸製鋼に移籍も、規定による1年間の公式戦出場停止を余儀なくされた。辛苦を乗り越えた先での大舞台への挑戦に際しては、「自分の持っているものを全て出し切って貢献していきたい」と意気込んでいた。

以下、一問一答。

――昨年の春は、1日3回練習が当たり前の宮崎合宿に行っていました。参加した誰もが辛い思い出だと振り返ります。

「そうですね。人間、同じ場所、同じ生活サイクルがずーっと続くと、飽きというか、その景色に慣れちゃいますよね。会う人も同じですし。あれが続いたのは大変でしたけど、あれがあったから結果が出たとも思います。

コーチ陣は毎日、毎日、いろんな角度でプレッシャーをかけてきました。それをクリアするのに必死だから、先なんて見えなかったですよね。その日のトレーニングで、どれだけの精度でプレーできるかを考えていました」

――9月19日には、スプリングボクスこと南アフリカ代表との初戦を控えています(ブライトンコミュニティースタジアム)。相手は過去優勝2回の強豪ですが、ジャパンは勝利を目指していた。

「『ビート・ザ・ボクス』というセッションがあって、ずっと自陣22メートルあたりでのラインアウトからスタートするんです。全部、ショートラインアウトから(タッチライン際での空中戦で、少人数同士の競り合いからプレーを始める)と決まっていて。同じチーム同士だから、お互い、サインもわかっているわけじゃないですか。そこでいいリスタートをすには、いかに速くセットして(位置について)、いかに速くサインを出して…というのが必要になる。息も上がっているなかで…。

他にもいろんなプレッシャーがかかりました。大音量で音楽が流されて、そのなかでラインアウトのコールを伝えるとか。コーチ陣がワールドカップで起こるだろうプレッシャーをいろんな角度から用意していた。それをどう乗り越えるか、でした」

――ラインアウトは、元イングランド代表キャプテンのスティーブ・ボースヴィックフォワードコーチが仕切っていました。

「ワールドカップイヤーは、凄く準備していましたね。サインの量、コールの方法…。ラインアウトリーダー陣にもそうした問いかけはありました。ワールドカップが始まるまで、ずっと僕らを高めていました」

――7月から北米でおこなったパシフィック・ネーションズカップ(PNC)は苦戦しました。

「その時は言い訳できないから、あれがベストだったというしかない。でもあの頃は、負けが込んでいても、自分たちの進むべき道に疑問を抱かず、迷わず進めた。あそこで『どうやんやろう』と疑念を抱きだしたらぶれていた。チームが同じ方向むいていたから、あの結果があった。大会直前までは、メディアの方もあまり期待していなかったでしょう? うまく、ピークを合わせたな、という感じです。あれは見事でした」

――大会中。伊藤選手のコンディションはいかがでしたか。

「僕自身は、ピーキングをミスしました。ワールドカップに照準を合わせられなかった。PNC終わったあたりから、膝がトップで走れないような状態になって。このプレーで痛めた…というものはないです。痛みをどうにかするために注射を打ったり、コンディションを整えたりしている間に、周りの選手の調子も上がってきたことで、(レギュラー争いの)2番手、3番手になった。あそこが、本番に出られるか出られないかの違いです。僕のピークは…6月かな。あの、一番、練習がしんどい時期」

――本番で唯一の出番だったスコットランド代表戦。当時のエディー・ジョーンズに控えメンバーに入ったことを知らされたのは、2日前の発表会見の直前でした。現地では、会見後の取材機会に現れ、「さっき、知った」と話されていました。

「そう。あの記者会見がある直前にメンバーが決まって…。ラインアウトからのアタックは、すべてはまりましたよね。ボースヴィックも、『相手の○○がここに立っているから、そのプレーが有効なのだ』という分析と理論をしっかりさせていた。ただ、僕の感覚では、トップリーグではよくやるプレーもあって、目新しくはないんです。でも、『これ、(大型選手の多い)ワールドカップで使うんや。大丈夫かな』と思ってたけど、意外に効いた。トップリーグでよくやる小細工は、フィジカルの強い世界のチームはあまりしないのかな、と感じました」

――26-5で勝った10月3日のサモア代表戦(ミルトンキーンズ・スタジアムmk)を控え、ジョーンズ前ヘッドコーチは選手に活を入れています。

「怒る頻度は多かった。メンタルのコントロールは上手な人ですから、ああやって、選手に刺激を与えていましたね。あの辺のことは本人にしかわからないですが、多分、(怒るタイミングや熱量は)全部コントロールをしているんじゃないかなと思います。怒ることで、メッセージは伝わるから」

――若い選手は、そこまで想像できません。

「それはそれで恐怖を感じていたらいいと思うんです。刺激にはなる。意図はわからなくても、その語調で『おぉ』となる。それをいい意味でのプレッシャーに変えられたら。で、経験を積めば『あれはメッセージだ』とわかることができて、それだけでピリッとなります。『若手を怒っているようで、これは周りにも言っていることだな』と思う時もあった」

――大会中の膝の状態は、いかがでしたか。

「スコットランド代表戦をやっている間は何も感じなかった。その後もいつも通り練習をしていたし、準備もしていた。(その後の試合に出られなかった理由は)それ以前の準備で後手を踏んでいたからかもしれないですね。

毎回、メンバーが外される場合は、エディーとの1対1でのミーティングがあるんですよ。『今回は外されたけど、次もチャンスがあるから』と言われて、次に向けてしっかりとアピールするようにした。

何と言うか…。毎回、同じルーティーンなんですよね。試合に出る、出えへんに関わらず、自分の仕事はする。相手のラインアウトの分析はするし、ボースヴィックとのミーティングにも参加する。メンバーから外れたら、次の相手に向けた準備を先に初めて、少しでも手助けになるようにする。その繰り返しです。エディーとの1対1に呼ばれる。『また外れるのか』と思って行ったら、やはり外れる。正直、悔しい思いはあるねんけど、気持ちを切り替えて、次…という感じでしたね。

アメリカ代表戦(キングスホルムスタジアムでの予選最終戦。28-18で勝利)に外れますというミーティングがあって、その後にサモア代表対スコットランド代表を観ていたんですよ。で、サモア代表が負けたことで、アメリカ代表戦の次のゲームがなくなった(勝ち点の関係上、試合前に順々決勝進出への道が絶たれた)。

個人的には、その時、『フィールドに出るワールドカップは終わったのだな』と思いました。あとは練習と、仲間の応援しかないなと。でも、そこで何ら変わることなく、やれることをやろうと思いました」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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