Yahoo!ニュース

エジプト革命は終わらず:国民投票をめぐる混乱

六辻彰二国際政治学者

エジプト革命は一つの山場へ

今月15日、エジプトで新憲法の草案を承認するか否かを問う、国民投票が実施されます。しかし、国民投票を前にエジプトでは、モルシ大統領の政権運営と、新憲法案をめぐって国論が二分しています。4日には、モルシ大統領と憲法草案に抗議する人々が大統領府を取り囲み、警官隊と衝突しました。首都カイロだけでなく、アレクサンドリアなど、他の都市でも同様のデモが発生しており、エジプトの体制転換は一つの山場を迎えています。

ムスリム同胞団:その100年の闘い

2010年12月にチュニジアで始まった一連の政変、「アラブの春」のうねりのなか、エジプトで30年にわたって権力を握っていたムバラク大統領が失脚したのは、2011年2月のことでした。ムバラクを批判する抗議デモは、最初は大学生をはじめとするリベラルな若年層が中心でしたが、やがてムスリム同胞団に代表される穏健なイスラーム組織がこれをリードするようになりました。

ムスリム同胞団は、イギリスの経済支配のもとで資本主義経済が波及し、貧富の格差が拡大し始めた1920年代のエジプトで生まれました。以来、ムスリムの五つの義務の一つ、持てる者が持たざる者に自らの富を分け与える「喜捨」の精神のもと、ムスリム同胞団は貧者救済を活動の柱にしてきたのです。しかし、それによって貧困層の間で人気と支持を集めたことで、ムスリム同胞団は時の権力者達から常に警戒されることになりました。弾圧されるなか、ムスリム同胞団のなかからもテロや暴力的な活動に向かう者が現れ、特にムバラク政権のもとでは、両者の対立が激しさを増しましたが、その間もムスリム同胞団は貧者救済を通じて、貧困層の間に支持を広げていったのです。

つまり、ムスリム同胞団の勢力拡大は、

  • 政府が本来担うべき医療、貧困世帯への扶助、インフラの整備といった社会サービスの提供、

に加えて、

  • ムバラクなど、(イスラエルを支援する)欧米諸国と友好的で、世俗的な権力者への反発と、これを背景とする宗教復興、

を大きな背景にしていたのです。

いずれにせよ、イスラームの教義というアラブ社会に根付いた求心力と、貧者救済の物質的恩恵を考えれば、ムスリム同胞団が「アラブの春」が波及したエジプトで、無類の動員力を発揮できたことは、不思議ではありません。これを反映して、2011年12月から2012年1月にかけて行われた議会選挙でムスリム同胞団の政党「自由公正党(FJP)」が508議席中235議席を獲得して第1党に踊りで、さらに2012年6月の大統領選挙ではFJPのモルシ候補が当選しました。誕生から約100年をかけ、ムスリム同胞団はエジプトの国家権力を握ったのです。

イスラーム権力への批判

しかし、新憲法の採択という、体制転換の大詰めを迎えて、ムスリム同胞団はかつてなく他の勢力と対立しています。ムバラクという共通の敵、あるいは憎悪の対象があるうちは、反ムバラク派の間の摩擦が大きくなることはありませんでした。ところが、モルシ大統領が就任した後、ムスリム同胞団などイスラーム組織と、それ以外の勢力の間の確執が目立つようになりました。6月の大統領選挙では、ムバラク政権で最後の首相を務めたシャフィーク氏が、モルシ氏と一騎打ちを演じました。シャフィークの支持者には富裕層や中間層が多く、彼らはいわばムバラク政権のもとでの既得権益層でした。最終的にシャフィークは敗れたものの、これはムバラク政権下でエジプト中に張り巡らされた汚職に基づく利益供与のネットワークが、ビジネスマンや公務員を中心に、根強く残っていることを示したのです。

この時点では、しかし大学生らのリベラル派やマイノリティであるキリスト教徒などは、旧政権支持者とイスラーム勢力のいずれとも距離を置いていたため、新政権支持者とそれ以外の市民が対立することはありませんでした。それが決定的になったのは、憲法起草委員会でした。新憲法案を作成した憲法起草委員会は、政府や議会の構成を反映して、そのメンバーの多くがイスラーム主義者で、そこでの議論に自分たちの意思が充分反映されていないとして、リベラル派メンバーやキリスト教徒が11月30日の採択を棄権したのです。

さらに、この憲法草案の採択に先立って、11月22日にムルシ大統領は、新憲法草案の是非を問う国民投票までの期間、大統領の命令は最高憲法裁判所の司法判断を受け付けないとした「憲法令」と呼ばれる大統領令を出しました。これはいわば、大統領に無制限の権限を認めるもので、これを受けて憲法起草委員会は憲法起草の作業を半ば切り上げるようにして、採択に向かったのです。この大統領令に対してリベラル派などは「独裁的」という批判を強め、全土的に新政権支持者との間の対立が広がることになったのです。

「革命」のもたらすエネルギー

今回の対立の激化は、「革命」後の社会にありがちな側面とともに、それを克服することの難しさを示しています。「革命」後の社会では、同質化と差異化という、相反する二つのエネルギーが充満しがちです。一体感をもって、お互いに協力すべきという考え方は非常時において強調されやすく、「革命」後に新国家を建設するとなれば、その大きさは測りしれません。だからこそ、フランス革命を初めとする歴史上の多くの革命では、国家と国民の一体性や、国民の同質性を強調するナショナリズムが鼓舞されたのです。

一方で、もともと異なる個々人を一つに束ねるのは困難です。その際、お互いの共通項を見つける一番簡単な方法は、J-J.ルソーが指摘したように、異なる第三者を発見することです。つまり、「我々とは違う者」を「我々」から識別し、排除することで、「我々」の一体性は保たれる、という思考です。しかし、これは容易に「魔女狩り」に行き着きがちです。やはり歴史上の革命では、同質性が強く求められる裏返しとして、「反革命的」な「異分子」とみなされた人々への一方的な糾弾と、ひどい場合には虐殺が横行したのです。1789年7月、革命直後のパリで、バスチーユ牢獄に捕えられていた、旧体制下の支配層で革命に批判的な100名以上の聖職者が、「監獄の清掃」を掲げて乱入した暴徒に殺された「7月虐殺」は、同質化と差異化のエネルギーが急速に結びついた時の混乱ぶりを象徴します。

昨年吹き荒れた「反ムバラク」の主張は、体制の中核にいた「彼ら」と、そこから疎外された「我々」という、同質化と差異化の結合した見方に基づいていました。しかし、その憎悪の対象であったムバラクがいなくなったとき、反ムバラク勢力は同質性を失いました。もっぱら「敵」との差異化によってのみ同質性を保っていた勢力は、その対象を失ったとき、同質性を失わないようにするために、今度はお互いの差異化を進めがちです。その結果、反ムバラク闘争の過程で大目にみられていた、あるいは不問に付されていた、イスラーム主義者、リベラル派、キリスト教徒などの間の差異が表面化したのです。

新憲法の草案をめぐる立場の違い

新憲法の草案では、第3条でキリスト教徒やユダヤ人らマイノリティの信仰の自由が、第45条で表現の自由の保護が、それぞれ保障されています。さらに、法律によらない逮捕の禁止(35条)、通信の秘密の保護(38条)など、権威主義体制のもとで常態化していた人権侵害から国民を保護する条項が確認されます。

一方で、第2条でイスラームが法の精神の根本をなすことが強調されている他、第11条では国家が公共の秩序とともに倫理、公衆道徳、愛国心、アラブ文化なども保護することが明記されています。さらに、第31条では、他者の尊厳を傷つけることが禁じられています。これらの条項は、特定の価値観を国家が強制する契機になり得るとして、さらに(女性の権利などを制約しがちな)イスラームの教義に批判的な言論を取り締まろうとするものとして、リベラル派らから警戒・批判されています。

とはいえ、イスラーム主義者からすれば、これらは譲れない一線です。欧米諸国では、「表現の自由」の名の下に、預言者ムハンマドやイスラームそのものが揶揄される、あるいは侮辱されることが頻発しています。今年の9月にも、アメリカでイスラームを批判する内容の映画'Innocence of Muslims' が公開されたことが、その後イスラーム圏で大規模な反欧米デモを引き起こしました。つまり、表現の自由が無制限に許容されると、他者(この場合はイスラームの尊厳を傷つけることになりがちで、それはエジプト社会の混乱をもたらすため、認められないというのが、イスラーム主義者の主張なのです。その意味で、今回の憲法草案が、多分にイスラーム主義の影響を受けていることは確かです。

少数者の権利なき民主主義の危険性

イスラーム主義者と、それ以外の勢力の考え方をすり合わせるのは容易ではありません。とは言え、既にみたように、増幅していたムルシ政権への不満が爆発した契機は、一時的とはいえ司法判断を無効にする大統領令にありました。司法関係者に旧政権支持者やリベラル派が多いことに鑑みれば、憲法裁判所がムルシ政権にとって、目の上のたんこぶであることも確かです。しかし、選挙で勝った多数派の決定を問答無用で通すのは、その「ゲームのルール」に対する信頼があり、不満な人たちは次の選挙で違う勢力に投票して政権を交代させればいい、という環境が整備されたあとですべきであって、そもそも憲法すら暫定的なものしかない状況では、相互不信を高めるだけです。なにより、多数者の意思をもってしても奪えない少数者の権利を認めてこそ、民主主義は独裁や全体主義に陥ることを避けられるのです。

力で抑えられていた社会が、その重石を取り払った時、それまで抑えられてきた自己主張のエネルギーが一度に噴き出すのは、避けられません。そのなかで、「独裁者」に抵抗する時には力を合わせられた者同士の間で、原理・原則の差異が逆に際立ってくることもまた、多くの革命の歴史が示す通りです。しかし、そのように社会が四分五裂し、争いが絶えない状況は、革命後のフランスでナポレオンが国民から求められて皇帝に即位したように、多くの人に力と安定を求めることになりがちです。7日、メッキ副大統領は国民投票の延期の可能性を示唆しました。考え方の相違もさることながら、その手順に不満が集まった以上、モルシ政権の譲歩があって初めて、事態の打開が期待されると言えるでしょう。

【付記】

本記事が掲載された約6時間後、モルシ大統領は憲法令を撤回したが、同時に15日の国民投票は予定通りに実施すると発表した。これに対して、野党勢力は憲法起草作業のやり直しを求めている。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事