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エジプト危機は克服できるか:国際的な仲介努力とエジプト内部の対立が示す力学

六辻彰二国際政治学者

エジプト危機とムスリム同胞団の孤立

11日、エジプトの暫定政府は、ムスリム同胞団の支持者たちによる、首都カイロでの座り込みの強制排除に取りかかる意思を表明しました。13日には警官隊とムスリム同胞団の衝突で1名が死亡。暫定政府の正当性をめぐって市民同士の衝突も発生しており、エジプトは今後より危機的な状況に向かう兆候を示しています。

エジプトでは7月3日にクーデタが発生し、昨年6月に就任したモルシ大統領が拘束されました(クーデタに至る経緯については、こちらを参照)。これによって、ムスリム同胞団をはじめとする穏健派イスラーム政権は、わずか1年で崩壊したのです。軍部はその後、ムスリム同胞団の幹部たちを相次いで拘束。一方でその他の穏健派イスラーム組織には新憲法の制定に向けた協議への参加を呼びかけ、ムスリム同胞団の孤立化を図ると同時に、暫定政府の正当性を高めようとしてきました。IAEA(国際原子力機関)事務局長を勤めた経験と、ノーベル平和賞を受賞したことで国際的に知名度が高い、リベラル派のモハメド・エルバラダイが副大統領に就任したことは、内外に「軍部の独裁でない」とアピールするものです。また、軍部の呼びかけに呼応して、2011年11月の議会選挙で、ムスリム同胞団の政治部門であるFJP(自由公正党)に次いで第二党となったアル・ヌールは既に暫定政権に協力しています。しかし、イスラームの教義により忠実なサラフィー主義に基づくアル・ヌールは、リベラル派のエルバラダイを副大統領に据えることに反対するなど、暫定政府は「反ムスリム同胞団・反モルシ」以外の共通項を欠いたものであるといえるでしょう。

失業率の悪化に象徴されるように、モルシ政権が国民生活を必ずしも改善できなかったことは確かです。さらに、必ずしも「イスラーム国家の建設」などを謳っていないものの、イスラームに特別な価値を認める内容の憲法を、イスラーム系組織以外の勢力が反発するなかで採択したことが、国内の分裂を深める大きな要因になったことも否定できません。これらの背景のもと、反政府組織タマロド(Tamarod)は6月から抗議デモを主導する一方、ツイッターやフェイスブックを通じて、モルシ大統領に退陣を求める署名活動を展開。エジプト総人口の約3分の一に当たる2200万人が署名したと発表しています。タマロドはアラビア語で「反乱」を意味し、その支持者の多くはリベラル派やキリスト教徒とみられます。そして、この運動と連動するように、モルシ大統領就任から1年を目前にした時期に抗議デモが頻発したのです。しかし、いかに不人気とはいえ、国民参加の選挙で選出された政権を軍事力で打倒することは、認められるべきでないでしょう。

欧米諸国のエジプトへの関与

モルシ支持者らと暫定政府との対立が抜き差しならないものになり、緊張が高まるなかで、米国EUは仲介を試み、さらに暫定政府に対しては治安部隊による暴力的な鎮圧の自制を求めてきました。一方で、安部政権が「法の支配」や民主主義の価値を(主に中国を念頭に)熱心に掲げながら、この事態に何もアクションを起こさないことは、さして驚くことでもありません。ただし、欧米諸国の行動もまた、必ずしも民主主義の理念だけに突き動かされたものではありません

もともと、2011年の政変で失脚したムバラク大統領を30年に渡って支援したのは、西側諸国、なかでも米国でした。パレスチナ問題を巡るイスラエルとアラブ諸国の対立を背景とする、四度に渡る中東戦争は、エジプト政府の不満を高めることになりました。他のアラブ諸国政府が、外交上はともかく、実際には兵力をほとんど派遣しないなか、一貫してイスラエルとの最前線に立ち続けたのはエジプトでした

エジプトの疲弊を恐れたサダト大統領(任1970-81)は、米国の仲介のもと、1978年のキャンプ・デービッド合意で、イスラエルとの単独和平に踏み切りました。これは他のアラブ諸国から「裏切り」とみなされましたが、他方で相次ぐ中東戦争に全面的に関与し続けたエジプト政府からすれば、「パレスチナ解放」や「イスラエル打倒」を掲げながらも実際には協力しようとしないアラブ諸国との関係より、眼前の脅威であるイスラエルと和平合意にこぎつけることで、自国の安全を確保するとともに、経済的衰退を食い止める決定だったといえるでしょう。

いずれにせよ、これによってエジプトはアラブ諸国のなかで数少ない、イスラエルと国交をもつ国となりました。パレスチナ問題で一貫してイスラエルを支援してきた米国にとって、エジプトはアラブ諸国における重要な友好国になったのです。それは同時に、エジプトの当時の体制を支えることが米国の利益になったことを意味し、その結果、サダトやその後を受けたムバラク大統領による反体制派の弾圧を、米国をはじめ西側諸国は容認し続けたのです。そのなかで、世俗的なリベラル派だけでなく、イスラーム勢力も政治活動を制限され、なかでも貧困層に支持者の多いムスリム同胞団は、軍の支持を背景とする世俗的なサダト/ムバラク政権からみた最大の脅威となり、弾圧の対象となりました。これがイスラーム過激派の台頭を促し、1979年には貧弱救済などを主に行っていたムスリム同胞団から分裂した急進派アル・ジハードのメンバーがサダトを暗殺するに至ったことは、弾圧とテロの悪循環を示します。

2001年以降、米国ブッシュ政権が最優先課題とした対テロ戦争は、エジプト政府にムスリム同胞団を「テロ組織」として弾圧する大義名分を与えるものになりました。他方で、ブッシュ政権はテロが起こる背景の一つとして、政治的な異議申し立てができない状況があると考え、これに基づき2003年には中東各国の民主化を促す「中東民主化計画」を掲げたことで、ムバラク政権は少なくとも形式上、民主化に舵を切る必要に迫られたのです。これを受けて2005年、エジプトでは史上初となる、複数候補による議会、大統領選挙が実施されましたが、ムスリム同胞団は公式には参加が禁止され、ムバラク陣営が勝利しました。米国をはじめ西側諸国の政府は、エジプト政府がテロリストの取り締まりと民主化を両立させたと高く評価しましたが、反ムバラク勢力からみた場合、これが権威主義的なムバラク政権による出来レースと弾圧を容認するものであったとしても不思議ではありません。

欧米諸国の現在の懸念

「アラブの春」に先立つこれらの経緯に鑑みたとき、現在のエジプト危機に対する米国やEUの仲介の背景には、民主主義や人権といった理念にとどまらない動機付けがあるといえるでしょう。

  1. ムバラクが失脚したとはいえ、軍の要職を占める幹部の多くは旧体制時代と変わっていない。言い換えれば、クーデタを起こした軍にとって、モルシ支持者の中核であるムスリム同胞団は長年敵対し続けた相手である一方、西側諸国なかでも米国は1970年代以来、友好関係を保ってきた間柄である。同時に、穏健派とはいえイスラーム主義的なモルシ政権に、米国が少なからず警戒感をもっていたことも周知の事柄である。この状況下で、たとえ米国にとってモルシ派より暫定政府の方が組みやすいとしても、あるいはそうであるがゆえに、わずかでもクーデタに理解を示せば、(その真偽はともあれ)クーデタそのものが「米国の策謀」という印象を与えかねない。
  2. 少なくとも民主的な手続きで選出されたイスラーム主義政権を、(反モルシ派の支持を受けていたとはいえ)世俗的な軍部が力づくで転覆させたことは、穏健派イスラーム主義のモルシ政権のもとでやや静かにしていた急進派の活動を活発化させる契機になり得る。これはちょうど、1990年のアルジェリア議会選挙でイスラーム救国戦線が勝利したことに警戒感を募らせた軍部が、選挙結果の無効を宣言して事実上の軍政を敷き、これがその後の同国におけるテロと武力鎮圧の連鎖をもたらしたのと同じパターンである。アルジェリアの場合、西側諸国は軍部の行動を黙認したが、これがイスラーム過激派の反欧米感情を一層悪化させる結果となったことに鑑みれば、今回の危機の沈静化に失敗すれば、イスラーム過激派の台頭を促し、ひいては新たな対テロ戦線が開くことになりかねない。
  3. 親米的なムバラク政権が倒れ、独自の外交方針を模索するモルシ政権ができて以来、米国とエジプトの経済関係にやや停滞の兆候がみられてきた。これはエジプトの政治的不安定がカントリーリスクと認識されることになったことにも由来するといえる。いずれにせよ、これと入れ違いに、中国やロシアが急激にエジプトへ経済的に進出している。やはり2011年の「アラブの春」のなか、エジプトの隣国リビアでカダフィ体制が崩壊した。従来、中ロはカダフィと友好関係にあり、リビアでの油田開発などで存在感を保っていたが、政変後はそれがあだとなり、新体制とは必ずしも良好な関係にない。すなわち、リビアでの旗色が悪くなったことは、中ロをしてエジプト進出を強めさせる契機になったとみられるのであり、そうだとするとエジプトへの関与を弱めることは、西側諸国にとって、北アフリカ一帯の勢力圏の縮小に繋がりかねない。
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以上に鑑みれば、欧米諸国が暫定政府によるモルシ派の強制排除に憂慮を示し、慎重な対応を求めるため、継続的に関与していることは不思議ではありません。また、暫定政府にとっても、従来友好的だった関係を悪化させないためには、西側諸国の世論から非難される事態は避ける必要があり、その意味でもデモ隊を強制的に排除するリスクは明らかです。だからこそ、これまでモルシ派に対話を求めるなど、比較的慎重な対応を示してきたといえます。いわば、欧米諸国と暫定政府の間では、可能であれば、たとえ一部であってもムスリム同胞団を暫定政府に参加させ、挙国一致の体制を作ることに落とし所があるといえるでしょう。

エジプト危機のゆくえ

暫定政府からみれば、取れる選択肢は大きく二つあるとみられます。

第一に、一部であってもムスリム同胞団を暫定政府に取り込み、挙国一致体制を演出することです。しかし、もう一方の当事者ムスリム同胞団、特に長年抑圧されてきた貧困層からなる末端の支持者たちにとって、これは受け入れにくいところです。今さら暫定政府に参加しても、欧米諸国に近い軍やリベラル派の風下に置かれるであろうことは、容易に想像されます。ただし、このまま対立を続ければ、いずれ本格的な衝突が避けられなくなることも確かです。その意味で、ムスリム同胞団の幹部たちが「暫定政府への参加」という最低限の利益を確保する行動に踏み切れるかが、最悪の事態を回避する大きなポイントになるでしょう。とはいえ、これも楽観はできません。いかに幹部といえど、激昂した支持者らを抑えることは容易でなく、下手をすれば「裏切り者」にされかねません。のみならず、クーデタの直後に主だった幹部たちは軍によって拘束され、その統率力は大幅に低下しているとみた方がいいでしょう。よって、これは期待しにくいところです。

第二に、抗議デモの排除に象徴されるように、最終的にムスリム同胞団との衝突に至り、これを「テロ組織」に位置づけることで自らの正当性をアピールすることです。もちろん、これはまさに内乱を招きかねない選択であり、リスクが高いものです。また、軍部はともかく、リベラル派やその他の暫定政府に協力している勢力が、これに同調するかは不透明です。

このようにみてくれば、第一と第二の戦術のいずれも問題が多いため、実際には暫定政府は両者を織り交ぜながら、ムスリム同胞団に迫るものと考えられます。しかし、アル・カイダなど国際テロ組織がエジプト情勢に関して、民主主義的な手段でイスラームの理念を具体化することの限界を主張し、武装闘争を呼びかける状況に鑑みれば、追い詰められたムスリム同胞団の末端支持者が暴発する危険性についても楽観はできず、エジプトは今、内乱の縁にあることだけは確かなのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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