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香港の抗議デモ-「中国の民主化」の観点からの瞥見

六辻彰二国際政治学者

香港で行政長官の選挙の改善を求める抗議デモが広がっています。アジアの金融センターである香港での騒乱を指して、主にビジネス面での影響の観点から、昨年来のタイにおけるバンコク占拠と比較する向きもあります。タイの場合、都市-農村といった地域間、階層間の対立という側面が濃厚だったわけですが、香港での抗議デモは、比較政治学や国際政治学でこの20年来大きな争点となっている「中国の民主化」という観点から興味ある現象といえるでしょう。

香港の抗議デモ

今回の抗議デモの直接的な契機は、2014年8月に中国の全国人民代表大会(全人代)が、2017年に行われる行政長官選挙で、民主派の立候補を事実上排除する決定を下したことでした。

1999年に英国から返還された香港では、本土で規制される報道の自由や表現の自由が保障される「一国二制度」のもとにあります。行政の責任者である行政長官は、28の職能団体を含む1200の個人・団体で構成される選挙委員会で選出され、その立候補には中国当局の同意が必要です。8月の発表は、現行の間接選挙から直接選挙への移行を提示したものですが、それと同時に中国当局に批判的な人物の立候補を制限したものです。これに主に若年層が異議を唱え、普通選挙の実施を求めて、学期が始まったばかりの授業のボイコットなどを経て、9月29日には8万人が金融街の中心を占拠。これに対して、中国当局はデモ参加者の連絡手段となっているSNSを遮断し、さらに警察が催涙弾を発射して鎮圧に乗り出しましたのです。

「民主化」の潮流に乗らない中国

1990年代から比較政治学や国際政治学の世界では、「民主化」が一つの大きなテーマになってきました。その口火を切った研究の一つである『第三の波』(1991)のなかで米国のサミュエル・ハンチントンは、人間が有史以来「三度の民主化の波」を経験したと捉えました。第一波は18世紀の市民革命から1920年代の普通選挙権の普及まで、第二波は第二次世界大戦後の「同盟国」の民主化から植民地解放の時期、第三波は1970年代半ば以降を指します。このうち第三の波は、1970年代半ばから80年代初頭にかけての、スペイン、ポルトガル、ギリシャなど南欧や、アルゼンチンやチリなどラテンアメリカにおけるファシスト体制や軍事政権の崩壊で始まり、その後1980年代のフィリピン、韓国、台湾などのアジアを経て、冷戦終結の前後に東欧、旧ソ連圏に及んだというのです。

そのうえで、ハンチントンは波状的に各地で民主化が促された5つの要因をあげました。

  1. 既存の権威主義的な体制が、民主的な価値観の普及や経済停滞などにより、その支配の正当性を低下させたこと、
  2. 教育や所得水準が向上し、都市中間層が増加したこと、
  3. 第二バチカン公会議(1962-65)でカトリック教会が、それまでの「政治に関与しない」方針を転換し、現実世界における改革を支援する姿勢を示したこと(ポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が冷戦末期にポーランドなど東欧諸国の民主化を支援したことなど)、
  4. ジミー・カーター米大統領(任1977-81年)の「人権外交」のように、外部勢力が民主化を促す機会が増えたこと、
  5. テレビの国際放送など、国境を超えたデモンストレーション効果が高まったこと、です。

いずれが強く作用するかは、国ごとに差がありますが、概ねこれらの要因は南欧、ラテンアメリカ、東アジア、東欧などの歴史的事象に合致するといえるでしょう。ところが、ハンチントンのいう「第三の波」がなかなか及ばない地域や国もあり、中国はその典型例として扱われてきました。

焦点としての都市中間層と経済成長

中国の場合、特に2.の都市中間層は、ハンチントンの一般理論との齟齬が目立つものでした。つまり、中国では改革・開放後、都市中間層が増えたにもかかわらず、それが政治改革に結びつくことはなかったのです。

1970年代の半ば以降、民主化を実現させた多くの地域や国では、都市中間層がその担い手となるケースが多くありました。ほとんどの国では、富裕層は総じて既存の政権と近く、政治改革の担い手となることは稀です。一方、生活に事欠く貧困層は、既存の社会によって不利益を受けやすいものの、政治的な活動をするコストの負担が大きいため、民主化の主体となることは、やはり稀でした。2010年末からの「アラブの春」では、貧困層がクローズアップされることが多かったのですが、その場合は貧困層によって支持されるイスラーム系団体が、食事などの物質的基盤を提供し、彼らを組織的に吸収することで、はじめて抗議デモの中心となったのです。それ以前、抗議デモをリードしていたのは、むしろ大学生を含む中間層でした。

国を問わず、農村と比べて都市は個々人がバラバラになりやすく、それは良くも悪くも、個人が自由に動きやすい環境であることを意味します。そして、一定の知識と生活水準がなければ、政治的なアクションを起こしにくいといえます。その意味で、都市中間層が多くの国で民主化運動の担い手となったことは、不思議でありません。その結果、-私自身はナンセンスな手法だと思いますが-欧米諸国の研究者のなかには「都市中間層が人口の何パーセントを超えると政治変動が起こるか」を統計的に解析しようと試みる向きもあります。

ところが、中国に目を転じると、繰り返しになりますが、この一般理論が必ずしも当てはまりません。過去30年間で劇的に成長した中国では、貧困層が減少し、都市中間層が急増しましたが、それが政治改革と結びつくことはありませんでした。その主な理由は、1.の条件を中国があまり満たしていないことにありました。つまり、中国は決して民主的といえないものの、経済成長のパフォーマンスは誰も否定できず、これが共産党体制を支えたといえます。

なぜ政府の支配を受け入れるのか、あるいは受け入れるべきなのか」という問いは、政治哲学の永遠のテーマといえます。近代以前、多くの世界では宗教的権威や軍事力が政府の支配を支える柱でした。近代欧米で、これは「国民の意思」に代わりました。しかし、いかに「国民が選んだ政府」であっても、「国民に恩恵をもたらさない政府」は支配の正当性を失います。そして逆に、「国民に恩恵をもたらす政府」は、民主的でなくても一定の支持を集めることが可能です。サウジアラビアなど中東の富裕な産油国で、国王の絶対王政に近い状態であっても、豊富な石油収入を政府が国民に還元することで、体制が維持されていることは、その象徴です。

中国の状況はそれに近いものがあり、爆発的な経済成長の恩恵を受けられる都市中間層が増えたことは、物質的な満足感が大きくなることで、共産党体制の支配の正当性が高められてきたといえます。中国へ行けば、特にタクシーの運転手などから、党や政府に対する悪口を聞くことをは稀ではありません(最近では、タクシーの運転手に「外国人の客と政治の話をあまりしないように」という通達も行っているそうです)。つまり、決して共産党が好かれているとは言えません。しかし、それでも共産党体制のもとで物質的な満足感が得られているからこそ、多くの人はそれと「折り合いをつけている」といえるでしょう。言い換えれば、中国共産党にとって、爆発的な経済背長は国力の増大という面だけでなく、自らの体制を存続させるためにも必要だったといえるでしょう。これは、新疆ウイグル自治区などで、テロ事件が頻発しながらも、多くのウイグル人が消極的にであれ「中国のなかで生きる」ことを選んでいることと同じです。

体制が異なるために全く同列に扱うことはできませんが、1960年の安保闘争で国民の間の政治対立が激しくなり、その後岸内閣を継いだ池田内閣のもとで「所得倍増計画」が打ち出され、多くの人の生活水準が向上したことで自民党長期政権が確立されたことは、「物質的満足感」が支配の正当性に結びついた点で共通します。

ただし、中国の場合、経済的・物質的な満足感がいかに都市中間層を覆っていたとしても、その一方で政治的な活動が力ずくで抑え込まれてきた側面もまた、否定できません。1989年の天安門事件当時、民主化要求を展開した大学生の世代は、その後多くの人が政治活動からビジネスに転身しました。当局に目をつけられ、場合によっては家族、親族にまで累が及ぶより、例え政治的な不満を抱えながらも、経済成長の波に乗って物質的に豊かな生活を追求した方が、個人にとっての幸福につながりやすいのは確かです。

「生活の不満」と「民主主義の理念」

以上の観点から、今回香港で抗議デモが広がったことは示唆的です。1997年に英国から返還された香港では、もともと中国当局への警戒感が強く、これまでにも教科書の内容や報道の検閲に対する抗議デモがたびたび発生してきましたが、今回のデモは大学生だけでなく、中高生まで含むティーンエージャーが中心となっている点で際立っています。米国ウォールストリート・ジャーナル紙は、爆発的に成長する本土への投資を通じて、その成長の恩恵を受けてきた世代と比較して、若い世代にはその感覚は薄いと述べ、政治への熱意に関する世代間ギャップを指摘しています。その記事のなかで引用されている香港大学の調査によると、金融街の中心地「セントラル」を占拠する活動に反対する香港住民が46.7パーセントだったのに対して、支持する住民は31.3パーセントにとどまりました。ただし、24歳未満に限ると47パーセントが支持しており、40~59歳の20.9パーセントとは対照的な結果となりました。つまり、今回のデモは総じて若年層によってリードされているといえるでしょう。

とはいえ、世界銀行の統計によると、香港の2013年の一人当たりGDPは38,123ドルで、中国本土の6,807ドルを大きく上回り、先進国並みといえる水準です。また、若年(15-24歳)失業率は9.1パーセントと、本土の9.7パーセントより低いだけでなく、先進国平均の18.3パーセントと比較しても低い水準です。これらを踏まえると、香港の若年世代に社会経済的な不満や不安があるにせよ、今回の抗議デモはそれが爆発した側面より、行政長官の選挙方法という極めて政治的な問題が核心部分にあるとみた方がいいと思います。

もしそうなら、それは1970年代の南欧やラテンアメリカで生まれた「権威主義的な体制の経済パフォーマンスの悪化による支配の正当性の低下」が「都市中間層の反政府活動を活発化させた」という古典的なパターンと異なり、「初めて直接選挙が実施されるので(ある程度)期待していたが、それが中国当局によって否定されたことに対する異議申し立て」という、いわば純粋に理念的な活動といえるでしょう。「期待が裏切られた」という感覚がもたらす不満や憤りが、(例え相手が「お前たちが勝手に期待しただけではないか」と言おうとも)合理性で割り切れないものということは、多くの人が日常生活ででも感じられるものではないでしょうか。逆に言うと、香港の大人たちが抗議デモに消極的な背景には、経済合理性だけでなく、ハナから中国当局に「期待していなかった」からこそ普通選挙が実施されないことへの不満が小さかったことがあるとも考えられます。

香港の抗議デモが成功しないとみられる二つの理由

いずれにせよ、今回の香港における抗議デモは、1997年の英国からの返還後「最悪の混乱」とも呼ばれ、世界的に関心を集めています。しかし、これが成功し、中国当局に「完全な直接選挙」を呑ませる可能性はほとんどないとみられます。

その第一の理由は、ハンチントンのあげた5つの要因の第2点目「都市中間層の増加」を補足する条件にあります。単純に所得面で都市中間層が増えても、それが民主化の原動力になるとは限りません。南欧やラテンアメリカなどの経験が示しているのは、社会にある不満が何らかの組織に吸収され、その組織によって人々が動員され、力が一点に集中することにより、初めて政治的な力となったということです。これに加えて、組織化されていなければ当局との交渉もままならず、さらに不本意な妥協を含む合意が成立したときにメンバーを納得させることができません。南欧やラテンアメリカの場合、労働組合やキリスト教会が当局との交渉、あるいは民主化勢力と既存の政府の間の仲介を行いました。

香港の若年層は、いかにも現代の若者らしく、「アラブの春」や「ウォール街占拠運動」でもそうだったように、SNSを武器にしています。指導的な立場の人間はいるようですが、中核となる組織がないままに活動が進んでいる模様です。ところが、SNSという緩やかな仮想現実のネットワークは、不特定多数の人々に働きかけられる一方、現実にある組織のように、メンバーを動員したり、あるいは個人レベルで納得できない取り決めが成立した際にそれを呑ませたりする拘束力はありません

組織に所属することは、人間関係など様々なコストの負担を余儀なくされるものです。しかし、対面の関係、あるいは現実の利害関係に基づいているが故に、良くも悪くも、個人レベルであまり気の進まないことであっても、やらせてしまう力をもちます。これと対照的に、ソーシャルネットワークはあくまで参加の自発性を前提としているため、目的達成のための結束という点では脆弱と言わざるを得ません。言い換えると、社会不満の発露を促し、情報を交換し、問題意識を共有することはできても、ソーシャルネットワークに実際の政治活動を取り仕切る力を期待することは困難です。その意味で、「アラブの春」や「ウォール街占拠運動」が雲散霧消してしまったことは、不思議でありません。また、香港はともかく、中国本土ではあらゆる組織が共産党の管理下に置かれていることに鑑みれば、これも「中間層の増加=民主化」という単純な図式で中国を語れない一要因と言えるでしょう。

第二に、香港の若者が期待するような国際的な支援は、ほとんど想像できないことです。ホワイトハウスのホームページには、オバマ大統領に[jp.wsj.com/news/articles/SB11426559292233444529604580183431588386808 「香港の民主派を支援して、中国政府に圧力をかけるよう」求める嘆願]が世界の10万人以上から寄せられています。これを受けて、米国政府や英国政府は抗議デモを支持する考えを表明していますが、いずれの国も、何らかの踏み込んだ措置をとるとは明言していません。

1989年の天安門事件の際、欧米諸国は揃って経済制裁を課しました。日本政府は欧米諸国よりやや遅れて、言い換えれば欧米諸国の動向をみたうえで、援助停止などの措置に踏み切りました。これが当時の中国にとって大きな圧力となったことは確かです。しかし、まさに中国政府が言い切るように、今の中国は25年前と違います。石油・天然ガスが輸出品のほとんどを占めるロシアに対する経済制裁も、先進国にとっては大きなリスクですが、仮に中国に経済制裁をした場合のリスクは、その比ではありません。いまや米国債の最大の買い手は中国政府なのです。

これに加えて、占拠されているのが「セントラル」と呼ばれる金融街であることは、その影響が国外にまで広く及ぶことを意味します。香港のティーンエージャーは「だからこそ、諸外国も見て見ぬふりはできず、手助けしてくれるはず」と踏んでいるかもしれませんが、大人の政治の世界では「だからこそ、できるだけ早くデモが終わってほしい」となりがちです。その観点からすれば、今後ほとんどの国が、外交的にはデモの強制排除などを批判しながらも、実質的にデモを支援する措置をほとんど取らなかったとしても、驚くことではありません。

とはいえ、仮に今回の抗議デモが成功しなくとも、香港の若者たちの活動が無意味だとは思えません。繰り返しになりますが、共産党体制は経済成長の恩恵をばらまくことで、その支配の正当性を維持してきました。しかし、天安門世代が享受してきたような経済的恩恵を、今後もずっと提供し続けられるかは疑問です。これまでは新疆ウイグル自治区やチベット自治区など、漢族との所得格差に直面しやすい少数民族の政治活動が目立っていましたが、永久に爆発的な経済成長を続けることが困難な以上、遅かれ早かれ共産党体制は、これまでと違う「支配の正当性」を提示する必要に迫られます。その意味で、先々振り返ったとき、今回の抗議デモが歴史的な意味をもつことになる可能性は充分あるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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