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イスラーム国空爆にみる欧‐米の温度差の深淵:「誰よりも狙われた男」からのメッセージ

六辻彰二国際政治学者

イラクとシリアにまたがる地域を制圧したイラク・レバントのイスラーム国(ISIL)が6月29日にイスラーム国(IS)を名乗り、イスラーム国家の樹立を宣言してから3か月余りたちました。外国人や異教徒だけでなく、従わないものは同じスンニ派であっても処刑・弾圧の対象とするISに対して、米国は8月8日からイラク領内で空爆を開始。9月23日以降、シリアでも空爆を始めました。

ISに対抗する「有志連合」には、米国をはじめ50ヵ国以上が加わっています。有志連合は国連憲章で規定された「国連軍」と異なり、参加の有無だけでなく、活動内容も各国が独自の判断で行うことができます。今回、イラクでの空爆は米英仏に加えてベルギーやデンマークなど、さらにサウジアラビアやUAEなどのアラブ諸国も参加していますが、シリアでの空爆にヨーロッパ勢は参加していません。その他のドイツをはじめアルバニア、チェコ、デンマーク、エストニア、イタリア、ポーランドなどの活動も、後方支援、輸送、現地友好勢力への軍事訓練や物資提供がほとんどです。つまり、ISを共通の脅威と捉える点で有志連合は一致しているのですが、他方でその対処へのかかわり方には温度差があるといえるでしょう。

IS台頭をめぐる責任論

占領地で無関係の市民、外国人に蛮行を働くISの台頭は、人道的に看過できないものです。また、ISが欧米諸国でのテロ活動を画策しているという情報もあり、その脅威はイラクやシリア、あるいは中東にとどまるものではありません。さらに、SNSなどを通じて世界中から、特にホスト国での差別や偏見によって社会的に不満を抱いているムスリム移民系の若年層をリクルートしている状況は、ホームグロウン・テロやISメンバーの補充といった意味で、憂慮すべき状況といえるでしょう。

その一方で、ISの台頭は米国の戦略によって促されてきた側面も否定できません。イラクのメルトダウンは、「対テロ戦争」の一つのハイライトともいえる2003年のイラク戦争に端を発するとみて間違いないでしょう。その一方で、最近欧米の保守系メディアでは、オバマ大統領が2011年末にイラクから米軍を完全撤退させたことが力の真空を生み出し、ISの台頭を促したというオバマ批判が鮮明です。保守系といわずとも、イラク戦争でブッシュ政権と行動をともにし、それが後に批判の対象となった英国労働党のブレア元首相も、やはりオバマ大統領の責任に言及しています

イラク戦争がイラクの混乱とムスリムの敵意を増幅させたことは、否定できません。その一方で、抑え込んでいた力がなくなったことが、ISの台頭を加速させたこともまた、確かです。つまり、ISの台頭はブッシュ政権からオバマ政権に至る、一連の米国の戦略が重層的な要因を形成しているのであり、いずれか一方に全ての責任をおっかぶせる議論は、自らの責任転嫁を図る、国内政治の延長戦に過ぎないといえるでしょう。

覇権国の落とし子

とはいえ、ISが急速に勢力を広げたことのより近接的な要因として、シリア内戦に関する米国の方針があったことは無視できません。チュニジアに端を発した民主化運動、「アラブの春」のうねりのなか、2011年からアサド政権と反体制派の間で衝突が相次ぎ、これが内戦に発展しました。もともとシリアを「テロ支援国家」に指定していた米国は、直接的な介入を避けながらも、アサド政権を批判し、「シリア国民連合」を中心とする反体制派との和平交渉を(アサド政権を支援するロシアとともに)仲介してきました。しかし、その一方で、やはりアサド政権と敵対してきたサウジアラビアやUAEなどスンニ派の湾岸諸国が、シリアで活動するスンニ派の反アサドのイスラーム武装勢力に資金、人員面で支援し続けることを事実上黙認してきました。それらの一部がISを含むアル・カイダ系組織に流れ、結果的にISの台頭を後押しすることとなったのです。

自らの敵と対立する現地勢力を支援する、いわば「敵の敵は味方」というアプローチは、帝国主義時代に英国が頻繁に用いた手法です。例えばインドでは、少数派のシーク教徒などと結び、多数派のヒンドゥー教徒を支配しました。また、第一次世界大戦中に、ドイツに与するオスマン・トルコを内部から揺さぶるために、当時トルコ人に支配されていたアラブ人に「独立」を約束して武装活動への協力を取り付けた英国の作戦は、映画「アラビアのロレンス」で描かれている通りです。この手法は、自らが前面に出ることの政治的コストとともに、多数の兵員を本国から派遣する経済的コストをも軽減するものだったといえます。二度の世界大戦を契機に英国が覇権国の座から滑り落ちた後、その後継者となった米国は、この手法を継承しました。有名な話では、1978年にソ連が侵攻したアフガニスタンで、それに抵抗して世界中から参集したムスリム義勇兵(ムジャヒディン)を支援したのは米国でした。

しかし、この手法は短期的に自らのコストを軽減し、味方を増やすことができたとしても、それが長期的に自らのコストを増やし、敵を増やす結果になることも、珍しくありません。世界中からアフガニスタンに集まったムスリムが後に、アル・カイダをはじめとする国際テロネットワークの母体となったことは、その典型です。ISに話を戻せば、アサド政権という共通の敵に対応するため、スンニ派武装勢力を支援したのは主に米国とスンニ派湾岸諸国であり、それに対応するためのコスト負担にヨーロッパ諸国が消極的になったとしても、不思議ではありません

シリア空爆の意味

とはいえ、ISは実際に目の前にある脅威であり、抑え込むことができなければ自らにも災厄がふりかかってくるため、米国の責任を強調して何もしないという選択は、多くのヨーロッパ諸国にとって困難です。また、アフガン戦争やイラク戦争の記憶から、米国だけでなくヨーロッパでも厭戦ムードは顕著で、それを無視することは各国政府にとって不可能です。ヨーロッパ諸国にとって幸いにというべきか、米国オバマ政権も地上部隊の派遣は明確に否定しており、多くの国が空爆や後方支援といった限定的な関与を選択したことは、当然といえるでしょう。

ただし、そこで注意すべきは、シリアでの空爆です。先述のように、ヨーロッパ勢でもイラクでの空爆に加わっている国はありますが、シリアで空爆を行っているのは米国と湾岸諸国だけです。10月3日、米国のヘーゲル国防長官と会談したフランスのルドリアン国防相は、米国側から「ISの脅威は特定の国境のなかにとどまっているものでない」と打診された「イラクだけでなくシリアでの空爆の可能性」について、明言を避けました

イラク戦争後、米国のバックアップの下で政権が樹立されたイラクと、米国政府が「テロ支援国家」に指定するシリアとでは、条件が異なります。イラクの場合、政府が国連などで各国に、ISに対抗するための協力を求めています。これに対して、シリアのアサド政権は自らISとの戦闘を続ける一方、8月25日にムアレム外相が「ISとの戦いにおいて『いかなる国とも』協力する用意がある」と発言。そのうえで、「シリア政府の承認なしに行われる空爆は敵対行為」とも付け加えました。

アサド政権にとってもIS掃討は重要課題ですが、それを口実に米国がシリア内戦に直接関与してくることは、望ましくありません。そこで、むしろ「自らこそ正当なシリア政府」という立場を改めて堅持したといえます。もし、米国政府がアサド政権と協力して空爆をするなら、それは米国がアサド政権を「シリアの正当な政府」と認知することに他なりません。その認知は芋づる式に、「反アサド勢力は反体制派のテロリスト」「その鎮圧は妥当」という見解に行き着き、最終的には「テロリストを支援していた米国や湾岸諸国の行動は不当」となり得ます。ゆえに米国政府は米国や湾岸諸国は、アサド政権を支援するロシアなどから批判されながらも、シリア政府の同意ぬきでの空爆に踏み切っているのです。つまり、シリアでの空爆に参加することは、こじれにこじれているシリア内戦とそれをめぐる米ロの対決において、米国とほぼ全く同じ立場に立つことを意味します。ヨーロッパ勢がシリア空爆に消極的な背景には、米国と同じ立場に立つことの警戒感があるといえるでしょう。

欧‐米の隙間風

「欧米」という言葉に象徴されるように、米国とヨーロッパは一括りで扱われがちです。実際、その歴史的経緯から、文化や政治的立場には相当程度の類似性がありますが、しかし近年では特に外交方針をめぐって軋轢が生まれることも稀ではありません。2003年のイラク攻撃に国連安保理の場でフランスとドイツが反対し、当時のラムズフェルド国防長官がこれらを「古いヨーロッパ」と罵倒した一方、英国やスペインなど米国と行動をともにする各国を「新しいヨーロッパ」と称賛したことは、その転機だったといえます。

イラク戦争が米国の国際的信用や威信を失墜させたことは、もはや否めません。そのなかで、ヨーロッパ各国は米国と距離を置き始め、独自の国際的立場の模索を加速させていきました。国際刑事裁判所(ICC)の事例は、まさにその典型でした。1998年の国連外交会議で設立が合意され、2003年3月にオランダのハーグに設立されたICCは、「戦争犯罪」や「人道に対する罪」などに関して責任ある個人を訴追・処罰するもので、場合によっては国家元首すらもその対象となり得ます。1990年代、旧ユーゴスラヴィアやルワンダなどで大量虐殺(ジェノサイド)をともなう殺戮が発生したことを受けて設立されたICCですが、米国は1998年段階で反対し、2000年にICC設置を定めたローマ規定に一旦署名しながら、2002年にこれを撤回。それは、米国政府や米軍が訴追の対象となることを恐れたためでした(オバマ政権下でその姿勢に軟化の兆しもみえる)。同様の理由で、中国やロシアも参加していません。

これと対照的に、ヨーロッパ各国は総じてICCに好意的で、むしろその設立の中心的存在でもありました。現在、ICC締約国は122ヵ国ですが、西ヨーロッパは25か国、東ヨーロッパは27カ国で、合計すると半分近い勢力です。また、2011年段階の職員数では、第1位のオランダ(91名)を含め、上位10ヵ国中7ヵ国をヨーロッパ諸国が占めています。ICCは、従来は「国家主権の発動」たる戦争において放置されがちだった人権侵害を取り締まるものであり、いわば「法で力を抑える」取り組みともいえます。その実効性や、「法」を運営すること自体が政治権力になる点は、ここでは置いておきます。ここで重要なことは、ICCの設立と運営に尽力するヨーロッパ諸国の姿勢は、まさにICC設立と同じ年、同じ年に始まったイラク戦争を率いた米国政府と好対照だということであり、これはそのまま両者の国際的なイメージとなります。

武器の国際移転に関しても、ほぼ同様の観点からみることができます。原子爆弾などと比べて、その危険性が軽視されてきた「小型武器」は、しかし世界の戦場で実際に使用されており、1990年代の戦闘の死者600万人のおよそ半数は小型武器で殺害されたという推計もあります【Ted C. Fishrman, 2002, “Making A Killing,” Harper’s Magazine, 305(1827)】。2001年から国連で小型武器の流通を取り締まるための国際会議が隔年で開催されるようになりましたが、小型武器の流通の脅威に直面するアフリカ諸国とともに、これを各国に働きかけてまわったのはヨーロッパ勢やカナダでした。逆に、小型武器の大輸出国である米国は、やはり中国やロシアとともに、小型武器の商業流通に関する規制をできるだけ小さくさせようと働きかけつづけてきました(国連小型武器会議で提唱された武器貿易条約に、オバマ政権は2013年に署名した)。

このように、2000年代以降、欧‐米関係には様々なシーンで「多国間主義と一国主義」、「法と力」、「国家戦略と人権」といった対立軸が鮮明になってきたのですが、それを加速させたのは対テロ戦争なかでもイラク戦争だったといえます。これを契機に、ヨーロッパ諸国なかでもEUの中核を占めるフランスとドイツは、「一国主義的に力ずくでコトを進めようとする米国」と自らのコントラストを際立たせることで、「文明的」あるいは「洗練された」先進国としての地歩を固めようとしてきたとさえ言えます。それが翻って米国の不快感に繋がってきたことは、想像に難くありません。

西側内部の「冷戦」

両者の、決して温かくない友好関係を象徴するのが、昨年来ヨーロッパで相次いで発覚した米国の諜報活動です。NSA(国家安全保障局)がドイツのメルケル首相の携帯電話まで盗聴していたという疑惑を受け、2013年10月のEU首脳会議では仏独首脳が「互いの国を対象とするスパイ行為を禁じる協定の締結」を主張し、各国から支持されました。これに対して、ホワイトハウスは「これから盗聴はない」と弁明しましたが、「これまで」については結局明らかにしていません

ところが、今年に入って再び同様の事態が発生しています。2014年7月、ドイツ連邦情報局内部で米国のスパイ活動が行われていたことが発覚。CIAのベルリン支局長が国外退去処分を受けるという異例の事態に発展しました。いかに友好国や同盟国といえども、スパイ行為であることは間違いなく、ドイツ側の反応は至極当然なものです。通常はいかにもアングロ・サクソン圏の声を代弁しているかの風情の英国ロイター通信まで米国を批判するコラムを掲載するなど、ヨーロッパにおける米国の信頼はますます低下しつつあると言わざるを得ません。

このように欧-米の「大西洋同盟」に隙間風が吹き荒れる状況に鑑みれば、冒頭で取り上げたシリアでの空爆にヨーロッパ勢が加わらないことは、決して驚くことではありません。それぞれの事情からイラク戦争で米国に付き合った国のうち、歴史的に米国と付き合いの深い英国も、EU内部で仏独のリーダーシップに対抗しようとしているスペインも、はたまた冷戦後の新顔の代表格でドイツと因縁の深いポーランドも、その例外ではありません。

ヨーロッパ各国から見た場合、米国が重要なパートナーであることは確かです。ロシアと対抗するにせよ、イスラーム過激派を抑え込むにせよ、米国の軍事力と経済力は不可欠の要素です。とはいえ、イラク戦争後の10年は、「力ずくでコトを推し進めようとする」傾向の強い米国に、いつも唯々諾々と付き合うことが自らにとって長期的に不利益になるとヨーロッパ諸国に確信させたとみてよいでしょう。

「誰よりも狙われた男」からのメッセージ

先日、映画「誰よりも狙われた男」の試写会に行く機会がありました(10月17日公開)。ドイツ、ハンブルグを舞台とするスパイ映画です。冷戦時代、永世中立国スイスのジュネーブは各国の諜報員が集まる「スパイ天国」と呼ばれましたが、ハンブルグは9.11テロ実行犯がその計画を練った街で、ロシアとの往来も多く、さらにアラブ系移民も多いため、現代の諜報戦の一つの主戦場とすらいえます

フィリップ・ホフマン扮するドイツ諜報員は、ある経緯から「大の米国嫌い」。その彼が、チェチェンから逃れてきた一人の青年を巡り、ロシア、イスラーム、米国の狭間で苦慮する様子は、対テロ戦争後のヨーロッパが直面する葛藤だといえます。「ミッション・インポッシブル」のような爽快感も、007シリーズのような派手さもありませんが、今のヨーロッパが置かれた国際状況のリアリティに溢れているといえるでしょう。

ただし、個人的には大変面白いと思ったのですが、この映画の米国と日本での興行成績がどの程度のものとなるかは未知数です。2013年の米国ピュー・リサーチ・センターの調査によると、「米国に好感をもつ」日本人は69パーセントで、ヨーロッパ平均の58パーセントを大きく上回ります。多くの日本人にとって、米国は「友人」と映っているのかもしれません。しかし、NSAの盗聴の関心が日本政府にも向かっていたことに鑑みれば、「友達なんだから付き合うのが当たり前だ」という酔っぱらいのような感覚で、独立した国家間の関係を語ることはできません。その意味で、「誰よりも狙われた男」の興行成績は、日本の一般的な対米感覚を占うものになるかもしれません。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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