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バンコク爆破テロ事件-ユーラシア大陸を挟む覇権主義の余波

六辻彰二国際政治学者

タイを挟んだトルコと中国の対立

8月17日、タイの首都バンコクで連続爆破テロ事件が発生し、20名が死亡し、128名が負傷しました。当初はタイ国内での政治対立との関連を疑う観測が広がりましたが、29日にタイ当局はトルコ人容疑者を拘束。容疑者の携帯電話には、トルコへの通信記録があったといいます。

捜査は進行中で、今のところタイ当局から詳しい発表もないため、この執筆段階で確定的なことは言えません。ただし、もしトルコ人がタイで無差別爆破テロを引き起こしたとすると、既にいくつかのメディアが指摘しているように、その背景として想起されるのは、タイが中国とトルコの対立に巻き込まれた一件です。

中国とトルコの外交関係はこの数年で悪化しつつあり、今年2015年7月には中国の国営メディアが、中国からトルコに違法に渡航しようとする者をトルコ政府が支援していると、これを非難しました。報道によると、タイ政府が173人のウイグル人を難民キャンプに収容した後、109名を中国に送還したといいます。これに関連して、中国の政府系メディアは「ある国」が中国や東南アジアでの「不法移民」や「人身売買」を行っていると強調しています。一方、欧米諸国からは、このタイ政府の措置が国際法に反するという批判も出ています。この後、トルコでは中国人観光客が襲撃されるなどの事件も多発しています。

中国のアキレス腱:ウイグル問題

中国からトルコへ渡航を試みる人々は、そのほとんどが新疆ウイグル自治区に多いウイグル人です。ウイグル人のほとんどはムスリムですが、その祖先は5世紀にユーラシア大陸の西方から現在の中国北西部にやってきた、トルコ系騎馬民族です。この地は清朝によって併呑され、1944年には「東トルキスタン共和国」として独立を宣言しましたが、中華人民共和国が建国された後の1955年、編入が正式に宣言されました。その後、漢人-共産党による支配への抵抗は散発的に続いてきたのです(新疆ウイグル自治区に関してはこちら)。

これに対して、中国は「厳打」と呼ばれる苛烈な取り締まりで臨んでいます。中国当局と衝突を繰り返すなか、ウイグル人組織のなかには、「東トルキスタン・イスラーム運動」など、隣接する中央アジア経由でアルカイダから支援を受ける組織もあり、さらに昨年6月にイスラーム過激派組織「イスラーム国」(IS)が建国を宣言すると、4ヵ月の間に約80ヵ国から15,000名以上の外国人戦闘員がシリアに渡りましたが、このうち約100名は中国人でした。中国はウイグル問題をチベット問題などと同様に「国内問題」と強調し、他国からの干渉を拒絶し続けていますが、ここからみてとれるように、ウイグル問題にはグローバルな対テロ戦争との関係もまた否定できないのです。

ただし、チェチェンなど国内のムスリムをやはり抑圧するロシアと比べて、中国に対して、多くのイスラーム諸国は比較的寛容で、少なくとも公式にはウイグル問題を追及する声は稀です。その最大の理由として、中国が原油の大口顧客になっていることがあげられます。冷戦時代、サウジアラビアなどペルシャ湾岸の保守的なイスラーム諸国は、無神論を説く共産主義陣営と距離を置きました(この点でバチカンは湾岸諸国と同様です)。しかし、グローバル化が進み、さらに対テロ戦争の開始後に中東・北アフリカからの原油輸入を減らすなか、湾岸諸国から中国への原油輸出は急増。IMFの統計によると、2012年のサウジアラビアの中国向け輸出額は約500億ドルで、これは同年の米国向け輸出額521億ドルに肉迫する水準に至っています(IMF, 2013, Direction of Trade Statistics)。つまり、サウジアラビアなど湾岸諸国は、中国にすり寄っているというより、中国シフトの可能性を見せつけることで、米国に対する影響力に用いているといえるでしょう。ともあれ、この環境のもと、イスラーム諸国政府の多くは、「中国ではイスラーム系少数民族も漢人と平和的に共存している」という中国政府の宣伝に表立って批判することはありません。

ところが、イスラーム諸国のなかでトルコは、「中国政府によるムスリムの抑圧」を批判する例外的な国といえます。2009年7月、新疆ウイグル自治区最大の都市ウルムチで大規模なデモが発生し、治安部隊の鎮圧で184名が死亡した際、トルコのエルドアン首相(当時)は「虐殺」という強い言葉をもってこれを非難しました。これに中国政府が反発したため、両国間の緊張はエスカレート。最終的にはトルコの外務大臣が「内政干渉の意図はない」と述べることで、この時は火消しが図られたものの、対立の火はくすぶり続けたのです。

トルコのシフト:ネオ・オスマン主義に基づくユーラシア戦略

トルコと中国の対立の大きな背景には、先述のように、ウイグル人とトルコとの民族的な結びつきがあります。とはいえ、トルコがウイグル問題に関して中国に公式に異議申し立てをするようになったのは、それほど古い話ではありません。1954年、初の在外ウイグル人団体「東トルキスタン亡命者協会」がイスタンブールで創設されました。これに対して、当時のトルコ政府はその創設を黙認しながらも、東トルキスタンの「国旗」のトルコ国内での掲揚を禁じました。この折衷的な対応からは、民族的な結びつきと外交関係の狭間で苦慮していた、当時のトルコ政府の立場がうかがえます。

ウイグル問題に関するトルコ政府の立場のシフトは、トルコ自身におけるイスラーム復興に連動していました。「最後のイスラーム帝国」オスマン帝国の崩壊と相前後して樹立されたトルコ共和国では、国父ケマル・アタトゥルクの掲げた世俗主義が国是となりました。その結果、イスラームに政治的な役割を認めず、トルコ語の表記にアルファベットが導入されるなど、トルコは世俗化、近代化の道を進んだのです。しかし、1980年代頃から、欧米諸国によって主導された市場経済化が格差の拡大など社会問題を拡大させるなか、ムスリム同胞団をはじめ、救貧活動を行ってきたイスラーム団体の影響力が拡大。ムスリム同胞団系の政党が結成され、これは選挙を通じて権力獲得を目指すようになります。最終的に、2002年に公正発展党のエルドアン首相が就任することで、イスラーム主義的な政権が樹立されたのです。

エルドアン首相は、2014年8月には大統領に就任。そのもとで、トルコではイスラーム化とともに、民族主義的、国家主義的な様相が強まってきています。2013年6月には、インターネット規制などを批判するデモ隊に治安部隊が催涙弾を発射して4000名以上が負傷しました。その一方で、エルドアン政権は、やはりトルコ系の民族が中心的な中央アジア各国へのアプローチを強めており、露骨に勢力圏の拡大を目指すその対外方針は「ネオ・オスマン主義」とも呼ばれます。このような環境のもとで、トルコはウイグル問題への強硬な姿勢を露わにしてきました。東トルキスタンの「国旗」のトルコ国内での掲揚が2012年に解禁されたことは、これを象徴します。もともと、サウジなどスンニ派アラブ諸国やイランなどシーア派諸国と必ずしもそりがあわず、民族的にもこれらセム系と異なるヤペテ系を自称するなど、イスラーム圏でも独自の存在感を保とうとしてきたトルコは、エルドアン政権のもとでユーラシアへの勢力拡張を図っており、この観点からもウイグル問題への関与を深めているのです。

ユーラシアを挟んだ覇権主義の余波

このようにユーラシア大陸を挟んだ中国とトルコの間の亀裂は徐々に深まっているのですが、そのなかタイで発生したのが、冒頭で紹介した7月の事件でした。中国政府にしてみれば、国内のウイグル人が相次いでトルコに流出する状況は、彼らを通じて中国の少数民族問題、宗派対立、人権問題などを世界に喧伝することにもなるため、押さえ込みたいところです。一方、トルコ政府にしてみれば、ウイグル問題へ国際的に光を当てるためにも多くのウイグル人を受け入れたいところですが、ビザを乱発しても中国政府に力ずくで押しとどめられるなら、第三国を通じて「迫害されている」難民として受け入れるのが、最も可能性の高い道かもしれません。

7月の問題が発生したタイは、開放的で人の往来は盛んで、しかもかつて海のシルクロードの中継地であったように、ユーラシア大陸を東西に結ぶルート上にある立地からみても、中国とトルコのどちらの観点からも、重要なポイントにある国といえます。こうして両国の板挟みになったタイが、ウイグル人たちの処遇をめぐって、圧倒的な経済関係から中国を選んだことは、不思議ではありません

ただし、多くのウイグル人がタイ当局によって中国に送還されたことが、少なくとも結果的に、トルコの熱心なイスラーム主義者やウイグル人からタイに対する怨嗟を呼んだであろうこともまた、想像に難くありません。そして、新疆ウイグル自治区をはじめ、テロへの警戒が厳しい中国と比べて、タイが開放的でテロリストからみて標的にしやすいことも確かです。

念のために繰り返すと、捜査は進行中で、背後関係を含めて明らかにはなっていません。また、トルコ人の過激派あるいは難民と関係のある人間が首謀者であったとしても、トルコ政府自身が関与しているとは考えにくいでしょう。ただし、ウイグル問題以外に、トルコ人が関与する爆破テロ事件がタイで発生しなければならない他の理由も見当たりません。また、トルコ政府と無関係の人間だったとしても、「国策」に則っている以上、トルコ政府はこれに厳格に対応することが難しくなります。これらに鑑みた時、今回の爆破テロ事件が、トルコと中国の狭間に立たされた結果として発生した公算は低くありません。

さらにその場合、やはりウイグル人難民の中継地となる近隣の他の東南アジア諸国にとっても、これは対岸の火事ではありません。タイ以外に、例えばマレーシアでも、2014年6月にウイグル人難民が送還されています。これらに鑑みると、ユーラシア大陸を東西から挟む覇権主義の余波は、近隣地域に少なからず影響を及ぼすとみてよいでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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