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「イスラーム国」(IS)はどこまで勢力を広げているか-さらに複雑化する「ゴルディアスの結び目」

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

10月3日、バングラデシュで星邦男氏がISを名乗る組織によって殺害された事件では、ISがそれを正式に認めたと報じられています。一方、バングラデシュ政府は「国内にIS系組織があるとは承知していない」旨の見解を述べています

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上の図は、インテル・センターの情報をもとに作成した、ISを支持する、あるいはこれに忠誠を誓う、世界の35組織の分布を示す地図です。ナイジェリアのボコ・ハラムなどを除くと、そのほとんどは知名度、資金、人員などに乏しい零細組織です。これらがISへの支持・忠誠を表明するのは、自らのブランド化やISからの支援への期待があるとみられます。いずれにせよ、ここでもやはり、バングラデシュの組織で「正式に」ISと関係をもつ組織は報告されていません。

だとすると、今回の犯行は、シリアやイラクでの戦闘に参加したIS支持者によるもので、ISの声明はそれを追認したものとみるのが妥当といえるでしょう。それは個人単位でISに支持・忠誠を誓う者によるテロ活動が活発化する状況を象徴します。これがテロの拡散への懸念を強めることは、言うまでもありません。

これに象徴されるように、ISをめぐる情勢は、ますます混迷を深めています。少なくともISを支持する者の観点からみれば、ISの台頭は、いわば一種の「革命」という側面をもちます。世界中から3万人以上の戦闘員がシリアへ自発的に集まったことは、そのソーシャルネットワークを通じたリクルート手法の巧みさとともに、ISの「建国」と「領土拡張」が、支持者予備軍にとって、イスラーム圏や世界に満ち溢れた矛盾を一刀両断に解決するための提案と映るからとみられます。しかし、そのIS自身が、新たな矛盾や対立をもたらす一因になる傾向は、ますます強くなっています。

イスラーム世界における「建前」と実体

IS台頭について振り返る前に、イスラーム世界における矛盾についてみておきます。

イスラーム圏では多かれ少なかれ、政府は自らの支配をイスラームの言辞で正当化します。多くの国ではイスラーム法学者(ウラマー)が政府の政策などをイスラームに適っているかを評価する法判断(ファトワー)を出しますが、ウラマーが国家機関に取り込まれていることも珍しくありません。その場合、当然のごとく、公務員であるウラマーが政府に批判的なファトワーを出すことは稀です。つまり、政府がウラマー、特に上級ウラマーのファトワーを通じて、自らの支配をイスラームで正当化することが珍しくないのです。

しかし、その「建前」が実体とかけ離れてくれば、そこに違和感をもつ人々が増えたとしても、不思議ではありません。イスラームでは他の宗教以上に、「信徒の平等」や「信徒同士の相互扶助」が強調されます。ところが、平等重視のイスラーム圏の多くの国でも貧富の格差は大きくなりつつあります。大地主制が根強く残るラテンアメリカのように、もともと「不平等が当たり前」の社会では、60以上のジニ係数があったとしても、大きな問題になりにくい傾向があります。しかし、逆に「平等が当たり前」の社会では、不平等に敏感になりやすくなります。

のみならず、「イスラームは一つの共同体」という「建前」があったとしても、実際にはそれぞれの主権国家に分断されていて、「ムスリム同士の平等」が国籍の違いによって否定されることも珍しくありません。1948年以降、各地に逃れたパレスチナ人たちのなかには、富裕な湾岸諸国に移り住んだ人々も少なくありませんでしたが、教師やエンジニアなどとして社会を支える存在になりながらも、「二級市民」として差別的に扱われてきたことは、これを象徴します。

さらに、コーランではムスリム同士が争うことが戒められていますが、実際にはイスラーム諸国同士の争いは絶えません。スンニ派とシーア派の宗派対立だけでなく、同じ宗派内でも、例えばイラクによるクウェート占領に端を発する1991年の湾岸戦争で、サウジアラビア、エジプト、シリアなどは米国主導の多国籍軍に協力しましたが、ヨルダン、リビア、イエメンなどはイラクを支持し、両派の間には冷たい関係が生まれました。

また、多くのイスラーム諸国はパレスチナ問題をめぐって「イスラームの団結」と「イスラエルの打倒」を口にするものの、イスラエルが軍事大国化するにつれ、1973年の第四次中東戦争を最後に、アラブ諸国が正面からこれと対決することは、実際にはほとんどなくなりました。2014年8月、イスラエル軍のガザ地区侵攻を受けて、サウジアラビアでパレスチナ支持のデモが発生しました。これに対して、同国の上級ウラマーの一人はデモがコーランで禁じられる「扇動」にあたるという法判断を下し、代わりにパレスチナ人を支援するための献金を勧めたことは、イスラエルとの直接対決を避けるサウジアラビア政府の方針に沿ったものでした。ただし、「建前」と実体の乖離という意味では、これもやはり同様です。

「建前」と実体の乖離

どんな社会でも「建前」通りというわけにはいかず、その矛盾を受け入れることは社会の安定にとって欠かせません。その一方で、あまりに「建前」と実体がかけ離れてくれば、体制の正統性が疑問視されることもまた確かです。特に、情報端末が普及し、さまざまな知識や情報が容易に手に入るようになるなか、「建前」を否定する事実を発見することはますます簡単になりつつあります。

さまざまな矛盾に直面するなか、何らかの理念でもって社会を再構築しようとする動きが生まれることは、珍しくありません。経済統合の負の側面が表面化し、不法移民や難民が増加するEU諸国で、「国家としての独立性」を強調するナショナリズムが噴出することは、これを象徴します。イスラーム圏でも、イスラームの教義に適う社会の再構築を図るイスラーム主義の台頭が目立つことは、さまざまな矛盾を解消するエネルギーをイスラームに求める人々が増えていることが大きな要因となっています。とりわけ、ISの台頭はその代表格といえるでしょう。

2014年6月29日の「建国宣言」にともない、ISのアブバカル・バグダディ容疑者は「信者の支持によって」カリフ(預言者ムハンマドの後継者)に就任したと発表しました。その真偽よりむしろ問題は、「信者の支持によるカリフ位就任」が、ムハンマド没後の「正統カリフ時代」以来、絶えて久しい慣習であることです。つまり、その幹部がイラク人によって占められるなど、必ずしも実体をともなっていないとはいえ、ISは「原初のイスラーム共同体の復興」イメージを強く打ち出しているのです。

「一人のカリフのもとで一つのイスラーム共同体を形成すること」は、現今のイスラーム世界が抱えるさまざまな矛盾を解消するエネルギーをもちます。既存の国境線が否定されるため、そこでは現在の国籍に基づく権利や待遇の差はなくなることになり、「ムスリムの平等」が実現することになります。さらに、ISが5年以内の実現を掲げる、イベリア半島から中国北西部に至る「領土拡張」によって「一つのイスラーム共同体」が生まれれば、そこではイスラーム諸国同士の争いがなくなることになります。そして、「領土拡張計画」の範囲にはパレスチナやイスラエルも含まれるので、パレスチナ問題も当然解決されることになります

一時はイスラーム過激派の中心を占めたアルカイダのスローガンは「グローバル・ジハード」、つまり世界各地でのテロ活動の称揚でした。しかし、これは米国などに反感をもつ人間に一定の波及効果があるものの、ISによる「カリフ制国家樹立」と比べて、「その先にある世界像」を提示しきれません。さらに、ホームグロウンテロを称揚しながらも、アルカイダのスタンスは基本的にバックアップに過ぎません。この点において、「理想郷を作る作業への参加」を呼びかけるISの方が、支持者予備軍にとって、参加の心理的ハードルは低いといえるでしょう。これらに鑑みれば、支持確保のためのイデオロギー戦において、ISはアルカイダを凌駕したといえます。

古代ギリシャの伝説に「ゴルディアスの結び目」というエピソードがあります。「ほどいた者はアジアの王になれる」といわれたゴルディアスの結び目は、何人もの挑戦を退けましたが、最後にアレクサンダー大王によって剣で切り落とされ、ほどけたといわれます。ここから、「ゴルディアスの結び目」は、複雑に絡み合った問題を一刀両断に解決することの比喩になっています。

少なくともその支持者にとって、「一人のカリフのもとで一つのイスラーム共同体を形成すること」は、複雑に絡み合い、矛盾に満ちたイスラーム世界の現状を打破する「ゴルディアスの結び目」と映るかもしれません。その意味で、ISのアピールには革命的イデオロギーとしての側面があるといえるでしょう

複雑化する「ゴルディアスの結び目」

ただし、ISの台頭により、「ゴルディアスの結び目」はより複雑化しつつあります。なかでも、昨今のシリア情勢は、その象徴です。

もともと、2011年2月に本格化したシリア内戦では、シリアのアサド政権と、これに対立する反体制派の連合体「自由シリア軍」(FSA)が、それぞれアルカイダ系の「ヌスラ戦線」とも戦っていました。ここに割って入ったのがISでした。

IS台頭を受け、アサド政権に批判的でFSAを支持する米国主導の有志連合が2014年9月からシリア空爆を行ってきましたが、これが大きな成果をあげられないなか、従来アサド政権を支持してきたロシアが「過激派対策」として、9月30日にシリア空爆に踏み切りました。これにより、シリアは米ロ対立の主たるアリーナとなったのですが、その余波は既に近隣諸国に及んでいます。

10月14日、トルコ政府は米ロ両政府に対して、「クルド人勢力への支援は受け入れられない」旨の警告を行いました。トルコをはじめ、シリア、イラン、イラクなどに居住するクルド人は、各地で独立運動を展開していましたが、いずれも当該国政府から抑圧されてきました。しかし、シリア内戦が激しくなるにつれ、反アサド、反ISの一翼としてクルド人勢力、クルド人民防衛部隊(YPG)は頭角を現し始めました。10月12日には、YPGが他のアラブ人組織、キリスト教徒組織などとも連携した新たな連合体「シリア民主軍」(SDF)を組織しました。FSAが内部崩壊し始めるなか、クルド人を中核とする新たなパートナーに、米国はいち早く支援し始めました。ただし、これは従来、米国などに対して軍事援助を求めながらも、思うような支援を受けられなかった非クルド人勢力の一部からだけでなく、クルド人勢力と対立するトルコの反発を招いています。

のみならず、トルコ政府はYPGを、トルコ国内で独立運動を展開してきた非合法組織、クルド労働者党(PKK)と結びついたものとみなしています。NATO加盟国トルコで活動する、社会主義的なイデオロギーをもつPKKには、冷戦時代にソ連が、冷戦終結後はロシアが支援してきました。そのため、トルコ政府は一方でISと対峙しながらも、クルド人勢力とも戦闘を続けてきています。先述のトルコ政府の警告は、このような錯綜した状況を背景としており、これはIS台頭を遠因とする、新たな混迷の一つといえます。

他方、先述のロシア空爆は、イスラーム過激派の世界にも新たなインパクトをもたらしました。アルカイダから分裂したISは、本家筋と対抗する形で勢力を拡張してきました。それは、世界中のイスラーム過激派組織からみて、老舗アルカイダと新興勢力ISのいずれにつくかの選択肢を提供することになり、冒頭で述べたように、大きな力をもたない新興組織ほど、ブランド化や資金協力などを期待してISにつく傾向を生むなど、イスラーム過激派の世界に分断をもたらしてきました。

このような状況のもと、ロシアによる空爆は、アルカイダとISがそれぞれ相次いでムスリムに結束とロシアへのジハードを呼びかける契機となりました。10月12日にはヌスラ戦線が、チェチェンなどコーカサス地方のイスラーム勢力に対して、ロシア人への報復を呼びかけました。これに対して、翌13日にはISが「ロシア人と米国人に対するジハード」を宣言。米国政府はロシアの空爆の大半がIS以外の反体制派に対するものと強調しています。しかし、その真偽はともかく、「シリアで軍事活動するロシアに報復すること」が、それぞれのイスラーム勢力にとって、自らの存在を誇示し、人員や資金を調達するための、新たなアピール材料となったといえるでしょう。

「ゴルディアスの結び目の落とし穴」を避けるために

このようにみたとき、その支持者から「イスラーム世界のあらゆる矛盾を解消する革命」と目されるだろうISの台頭は、イスラーム世界だけでなく、関係各国にも、新たな対立と混迷をもたらしたといえます。

現代ほど情報化が進み、為政者に言行一致が求められ、原理と実体の一致が求められる時代はありません。これらはいずれも、社会の公正さを担保するうえで、欠かせない条件だと思います。ただし、薬や栄養でも、採り過ぎれば身体に害があるように、公正さや平等が損なわれることへの拒絶反応が強すぎれば、社会全体を全否定することに繋がります。過度に純化された理念で現実を裁断することの破壊性は、フランス革命やロシア革命の歴史が示します。

その一方で、注意すべきは、IS対策に軍事力は不可欠ですが、それのみをもって事足れりとするなら、それは「イスラーム国家の樹立をもってイスラーム世界における諸矛盾が解決される」と捉えるIS支持者と同様、「ゴルディアスの結び目」の落とし穴に陥るものということです。いわばISは、人間世界に蓄積された諸矛盾が固まったガン細胞のようなものです。ガンは、遺伝的要素だけでなく、本人の生活習慣などにも大きく影響されます。そのため、切除だけでなく、体質改善や生活習慣の改善も、ガン対策には欠かせません。IS台頭が示した現実社会の諸矛盾をいかに解消できるかは、長期的にみれば、IS対策として欠かせないといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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