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不正を正し、悪に立ち向かうことは無駄なことなのか? ―中国映画『罪の手ざわり』を観て―

中島恵ジャーナリスト
中国映画『罪の手ざわり』のプログラムより

中国映画『罪の手ざわり』(原題:天注定)を観た。観終わった瞬間、何ともいえない「嫌な気持ち」になった。一言で表せば「虚しさ」や「やりきれなさ」、「切なさ」というものになるが、そんな安易な言葉だけでは片づけられず、自己嫌悪にさえ苛まれる。それほど重苦しい気持ちになってしまう映画である。

実話をもとにした4つの物語

ストーリーは主に4つの物語からなる。1つ目は山西省の炭鉱村が舞台。村の共同所有だった炭鉱の利益がある実業家に独占されていたことに怒った労働者の男。お上に訴えることもできず、その実業家を殺してしまう。2つ目は四川省重慶の話。男は妻子に出稼ぎだと嘘をつき、各地で強盗殺人を繰り返す。

3つ目は湖北省宜昌の女。単身赴任中の男と不倫関係にあり、風俗サウナで受付嬢として働くが、ある日客から言い寄られ、抵抗しているうちに思いがけず客を刺し殺してしまう。最後は広東省東莞の若者。同僚を負傷させてしまい、逃げるようにして高級クラブのウエイターとなるがうまくいかず、最後は自殺を図る―。

ジャ・ジャンク―監督は、ここ数年中国で実際に起こった事件をもとに、急激に変化する中国社会の中で、もがき苦しむ「中国の普通の人々」の人生に焦点を当て、この映画を制作した。ここには、日本との領土問題や歴史認識問題など一切関係ない、毎日をただ必死で生きる、中国人の小さな生活が描かれている。

暴力や殺人に訴えるしかない

とにかく、「これでもか」と殺人や暴力が繰り返される。最初はあまりにも安易に人を殺しているように見えて、「非現実的だ。どうしてこんなことをするの?」と不思議に思うのだが、これはまさに今、中国で現実に起きている事件だ、と思うとゾッとする。そして、追い詰められた人々は暴力や殺人に訴えるしか術がないのだ、ということがわかってくる。

そのきっかけは、ちょっとしたタイミングのズレや、相手の心ない態度、不運によってもたらされる。映画の中国語のタイトルにあるように、これが「天の定め」であるならば、彼らが送るたった一度の人生は一体何だったのか、と怒りに震えてくる。

正義が通らない中国という国

しかし、この映画に登場するのは、何も特別な人々や悪人ではない。どこにでもいるごく普通の市民だ。本来ならば、それほど豊かでないにせよ、平平凡凡と人生をまっとうすることができたはずである。だが、ふとした出来事によって人生を狂わされ、追い詰められていき、ついに殺人という恐ろしい事件を引き起こしてしまい、後戻りできなくなる。

彼らは結果的に「罪びと」となるが、「もしかしたら、一歩間違えば自分もこのような運命を辿ってしまうのではないか?」と視聴者に不安を抱かせる。

ただし、それは不正がまかり通り、正義が正義として通らない現在の中国という国の中での出来事だ、ということだ。いや、現在だけではない。中国は1000年前からこうだったのであり、王朝や政権が変わっても、世の中は何も変わっていない。

映画の中に古典が織り込まれている
映画の中に古典が織り込まれている

正直者はバカを見るのか

そう思わされる場面が、象徴的に挿入されている。それは中国の武侠小説をもとにした野外演劇だ。

12世紀初め、宋代末期には悪徳官吏が幅を利かせ、市民は苦しめられた。悪徳官吏を成敗し、梁山泊にこもるのが「水滸伝」の英雄たちであるが、ジャ監督はまさにこの小説を彷彿とさせるような演劇の場面を、映画のワンシーンとして、ところどころに盛り込んでいる。

「中国人は1000年前から悪徳官吏に苦しめられてきた。不正に立ち向かい、真面目に生きようとすればするほど、人々はバカを見る。不正に立ち向かったものは、結局は権力の前に倒れるしかない」とでもいっているかのようで、胸が締めつけられる。以前、取材した中国人が話してくれた「中国に生きていると虚しさ、無気力感に苛まれる」といった言葉を思い出した。

それは、どうやっても変わらない生まれ育ち、そして貧富の差、世の中の不公平さ、あまりにも厳しい競争社会ということだ。自分の努力ではどうしようもないことなのに、生まれた瞬間から「天の定め」があるのか、といいたくなる。

象徴的な若者の自殺

4つの物語ともに憤りを感じる悲しい話なのだが、中でも3つ目の不倫をしている女と4つ目の広東の若者の話は、現代中国を象徴する出来事の代表だといっていいだろう。不倫は今の中国では日常茶飯事。どこででも起きている問題だ。家庭崩壊が頻発し、人間関係は薄れ、人々はただスマホに依存し、そこにかすかなつながりを見出している。

広東省の若者の話は、日本でも記憶に残っている人がいるだろう。かつて「世界の工場」といわれた広東省だが、2010年から2013年にかけて、台湾系企業の富士康(フォックスコン)では、若い労働者の自殺が相次いだ。

正確な原因はわかっていないが、1日の大半の時間を単純労働に費やし、家に仕送りをしつつも自分の将来を悲観する若者たち。自殺ではあるが、殺されたようなものという意味で、他の物語と共通する「中国の闇」のひとつといえる。

いかにしたら思い描く人生をまっとうできるのか

物語は山西、四川、湖北、広東とまわり、最後は再び山西省に戻ってくる。華やかな北京や上海の町、贅沢な暮らしは一度も出てこない。登場人物の顔立ちも、北京や上海で見る人々とはまったく異なるだろう。それどころか、あまりにも激しい田舎のなまりで、私はほとんど映画の中の中国語を聞き取ることができなかった。

広東省の場面で話す広東語だけがはっきりとわかり、以前よく取材した工場地帯の風景を思い出した。

これから先の中国では…

その顔立ちやなまりでもわかる通り、中国という国はあまりにも広大で、あまりにも多種多様な人々が住んでいる。そのことを改めて痛感し、中国という巨大な国を治めることがいかに難しいかについて、考えさせられた。

そして、不正がまかり通る世の中で、人々はいかにしたら、自分の思い描く人生をまっとうできるのか? 視聴者は考えさせられたに違いない。単に「不運だった」では片づけられない人々があまりにも大勢いる。

『水滸伝』の中の英雄たちは梁山泊を下り、都へと戻っていくが、最後はほとんど無念の死を迎えてしまう。そのことをこの映画を重ね合わせると虚しい気持ちになるのだが、これから先の中国も同じであってはいけないだろう。

まっとうに生きる人々が「生きてきてよかった」と思えるような社会を中国人たちの手で作り出さなければいけないと思う。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国などを取材。

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