終戦の日の頃になると思い出す、中国ハルピンで出会った女性との小さな出会い
10年ほど前の夏、中国東北部(旧満州)を巡るツアーに参加したことがある。私は仕事の都合により、ハルピンで参加者たちと別れ、一足早く国内線でひとり大連へと舞い戻る予定だったのだが、天候不順で飛行機が飛ばず、深夜、エアポートホテルに宿泊することになった。このような場合、同性が2人1組で同室にさせられる。私は見ず知らずの中国人女性と相部屋になった。
私より10歳ほど年上に見えたその女性は、とても親切にしてくれ、弟と2人でハルピンに住む親戚を訪ねた帰り道だと明るく話をしてくれた。深夜、電気を消してから、女性同士のおしゃべりが始まった。
女性は「なぜ日本人がこんなところを旅行しているのか?」、「どんな仕事か?」、「何歳か?」などと矢継ぎ早に聞いてくる。こんなとき、私はいつも自分の職業を明かすべきかためらう。相手に変な先入観を与えたくないからだ。このときも迷ったが、結局話すことにした。
私が、東北部に残る日中戦争の戦跡などを見て回り、勉強しているのだと話すと、女性はおもむろに自分の父親の話を始めた。女性の父親は八路軍の兵として日本と戦い、片足を失ったという。厳しい戦線で苦労したが、晩年は穏やかな日々で、数年前、その父親を見送ったという。
真っ暗なホテルの一室で、話題が戦争になったときには、一瞬身構えた。彼女は中国人、そして私は日本人だからだ。だが、女性が心を開いて、あえて父親の厳しい実体験を話してくれているとわかったとき、なぜか心が通じ合ったような気がした。私の勝手な思い込みかもしれないが、彼女も父親の話を日本人に吐露することで、少しだけ「心の整理」ができたのかもしれない。
翌朝、空港で電話番号を交換した。その後、一度も話す機会はなかったが、別れ際、私の顔が見えなくなるまで大きく手を振ってくれたことは、私の旅の大切な思い出となっている。
※著書『中国人の誤解 日本人の誤解』の あとがき より、一部抜粋しました。