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企業内保育所、質は誰が担保するのか 働く親の「最後の砦」、復職への強制力にも

中野円佳東京大学特任助教
事故があった「キッズスクウェア日本橋室町」は日銀、三越などが並ぶ日本橋にある

企業内保育所での死亡事故で激震

裏にはマンダリンオリエンタルホテル、表には日銀。日本橋室町の再開発された真新しいビル内に、名だたる大手企業7社の社員が利用できる合同の保育施設「キッズスクウェア日本橋室町」がある。今年3月11日、加盟企業の1社に勤める女性の1歳2か月の息子、賢人くんがここで死亡した。

保育所の運営会社はアルファコーポレーション。厚生労働省や議員会館にも保育所を持つ「キッズスクウェア」での事故に、関係者には激震が走った。実は私自身、育休中に厚生労働省の会議に参加する際に厚労省内の施設で一時保育を利用したことがある。

賢人くんは通い始めて1か月足らずだった。母親は「既に育休が1年を超えていて、地元の保育園にも入れない見込みが高かった」ので、同施設への申し込みをしたという。実際に認可外含めほかの保育園には入所できないことが分かり、キッズスクウェア日本橋室町の枠も勤め先企業が保有している分は残り1枠だった。

「若い先生が多く、夫に不安だと訴えたこともあった」が、「今回入れなければ復職自体が危ぶまれる」と考え、利用し始めた。事故前にも泣いているのに対応してもらえないなど不安要素があり、再び夫に相談したものの、他の手段も見つからず、「認可に入れるまでだから」と自分を納得させて預けていたところに事故が起こってしまった。

最後の砦、復帰への強制力も

企業内保育所は、いわば保護者にとって最後の砦だ。多くの場合、住んでいる地域の保育園に入れず、苦肉の策として利用することが多い。自治体によって若干異なるものの、早めに認可外施設に預けて復職していると「受託ポイント」という形で認可保育園の申し込みで加点されることもあり、期間限定と割り切って、通園などで多少の無理があっても預けるケースは多い。

会社員の母親たちに聞くと「自分の会社がやってくれている保育園なら安心と考えてしまう」「自分の会社に事業所内保育所があって、空きがあるのに復帰しないというのは会社に説明がつかない」との声があがる。いわば企業内託児所があることで、会社員の親たちにはそこに預けることに対して暗黙的な強制力がかかる面もある。

社員の子どもに何かあったとき、企業は助けてくれるのか

これに対し、実際には企業が保育事業主と契約をする際、企業人事に実質的には業者選定をしたり、運営上のチェックをしたりする能力があるとは限らず、能力があったとしても権限は弱い。複数企業が合同で運営している場合はさらに1社1社のかかわりは限定的にならざるをえない。

賢人くんはうつぶせで昼寝中に亡くなった。後日、状況を母親が調べたところ、1か月に1、2回しか当該施設に来ず賢人くんの普段の様子を知らない非常勤職員が、園長の指示を受けて賢人くんをうつぶせで寝かせ、寝たあとに他の作業を頼まれ、その場を離れていた。呼吸の確認は「2時間に1回した」との説明だったが、実際には「そばを通っただけ」で2時間以上放置されていたという。救命救急の研修を数年に一度しか実施しておらず、実際の事故時の対応も不適切と言わざるを得ない状況があった。

ところが、こうした事故後の調査や運営に対する改善の要求は、遺族が単独で行った。亡くなった賢人くんの母親は利用しはじめて間もなかったため他の利用者とのつながりもなく、自主的に事故後にアルファコーポレーションに対し改善計画書を提出するように要望した。

事故があったキッズスクウェア日本橋室町
事故があったキッズスクウェア日本橋室町

5月になってアルファコーポレーションはビルを保有している三井不動産に事故の状況と改善策の説明を行い、同社では社内の利用者に状況の説明をしたという。一方、加盟社の1社は「アルファコーポレーションから利用者に直接説明があり、当社から社員に広く説明はしていない。利用しようと考える社員から問い合わせがあった場合には説明する」と回答している。

企業側は「あくまでも社員が利用できる施設を契約しているだけ」「何かあっても事業者と利用者の問題」という立場になりがちだ。この現実は、保護者側の「自分の会社がやっているから安心」という認識とは微妙にすれ違う。7社のうちの1社に勤める父親は「見学に行ったことがあり、地域の保育園に入れたので使わなかったが自分の子どもを預ける可能性があった。利用者ではなく特に説明は受けていないが、事故のことをニュースで知って大変ショックだった」と話す。

政府は認可並み補助金を投入

政府は現在、企業内保育所を増やすべく、「企業主導型保育事業」補助金制度を導入し、835億円を投入しようとしている。「保育園を考える親の会」は17日、「質を管理する主体が明確でないまま、認可並みの補助金を投入する政策をはじめようとしていて大変危険」として、内閣府の子ども子育て本部、厚労省児童家庭局保育課に申し入れをし、記者会見を開いた。

認可保育園の場合、自治体が様々な形で関与しており、問題があった時に他の認可保育園に移れるようにするなどの対応が可能だが、企業主導型の場合、市町村の関与が薄い。児童育成協会による「承認」という形を取っており、経営が回るかといった審査はあるものの、保育の質を担保する主体は決まっていないという。

親の会代表の普光院亜紀氏は「従業員のために変なものは作らないだろうという性善説に基づいて作られている」が、「実際には内容について知ろうということもないし、部外者的な立場に立っている企業の人事担当者も多い」と語った。にもかかわらず、補助金が入れば参入する事業者も、契約する企業も急増する可能性が高い。

安心して働ける環境を

政府は第三者の目が入りやすい仕組みや親の声を集約・反映できる枠組みを設けるべきではないか。企業も、様々なリスクがあることを踏まえ、自社の社員の子供たちを守る仕組みや窓口を整備する必要がありそうだ。さもなくば、せっかくの福利厚生・両立支援策がむしろ働く親たちを不安に陥れたり、実際には使われない施設に投資したりすることになってしまう。「保育園を増やす」ことは急務だが、「安心できる保育園を増やす」ことが必要だ。

参考(前回記事):周回遅れの「保育の質」議論 待機児童問題の抜け落ちた視点

東京大学特任助教

東京大学男女共同参画室特任助教。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社。14年、立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、15年4月よりフリージャーナリスト。厚労省「働き方の未来2035懇談会」、経産省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員。著書に『「育休世代」のジレンマ~女性活用はなぜ失敗するのか?』『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか~主婦がいないと回らない構造』。キッズラインを巡る報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞。シンガポール5年滞在後帰国。

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